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麻雀の話

2018-04-28 11:38:10 | 日記
中学2年のときに麻雀をおぼえた。茨城の田舎町に住んでいて、近所の家で大人たちが日曜日になると雀卓を囲んでいた。普通の平机であって、そこに薄い毛布のようなものが掛けられていた。大人たちのやるゲームに興味があって、4人の中の1人の後ろに座って観戦していた。15歳の若い頭だから、すぐにルールを理解した。そのうちに補欠要員になった。4人のうちの1人が遅刻し、その人を待つ間に私が打つのである。もちろん私だけは金を賭けないが、点棒は移動する。大人たちから「ヤボ(私の呼び名)、上手くなったなぁ」と言われることもあった。中学3年になってからは、補欠ではなく正式メンバーになった。不正確な記憶だが、賭けのレートは、千点20円ではなかったか。ただし、現在とは点数の数え方が全く異なる。現在の最低のアガりは千点であるが、それが240点だった。これは子の場合だが、親なら360点である。もちろん、ドラ、一発などのオマケはない。満貫は子が2千、親が3千だったと思う。だから、たとえば親が東と発をポンしたりすると事件だった。緊張した。

家で、家人と娘と3人麻雀を打つ。千点50円を賭ける。あるいはデイサービスサロンで賭けない麻雀を打つ。ふと昔を思い出す。中学生時代のご近所麻雀を思い出す。なんとなく、70年前のあのときと似ている感じがするのだ。もちろん、どこも似ていない。ルールだって全然違う。リーチ、一発、表ドラ、裏ドラ、ゾロゾロなんて言葉は、昭和30年代、40年代にできたものである。似ているものを探すとすれば、家庭的な雰囲気だろうか。学生同士、仕事仲間、あるいは街の雀荘でヤクザ相手に打って来た期間が長かったから、家庭的な雰囲気が懐かしいのだろうか。いや、団地時代もご近所相手だった。あれは、家庭的だったのか、なかったのか。

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