大木昌の雑記帳

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演歌の楽しみ―石川さゆり『津軽海峡冬景色』への個人的な妄想―

2024-07-09 07:28:17 | 思想・文化
演歌の楽しみ―石川さゆり『津軽海峡冬景色』への個人的な妄想―


今回は、前回までの重苦しい話から一転して、演歌の楽しみの事例として、石川さゆりの
『津軽海峡冬景色』に対する私の思い切り個人的な妄想を書いてみたいと思います。

石川さゆりは1958年(昭和33年1月)熊本市生まれです。ということは、まさに昭和の真
っただ中に生まれ育った純粋に「昭和の子」でした。

ここで取り上げる『津軽海峡冬景色』がリリースされたのは1976年(昭和51年)、まさ
に昭和のど真ん中でした。

これは、三木たかしの曲に阿久悠が詞を付けた曲です。作詞も作曲も当代随一の大物コン
ビの曲に恵まれたのは、石川さゆりの運の良さでもありました。リリース時、この曲は
[ジャンル 演歌]でとして登録されていました。

この歌がリリースされたとき、石川さゆりは19歳でした。19歳の少女がこの歌にどれほ
ど実感を込めて歌ったのかは疑問ですが、歌詞の良さにも助けられ、そして、彼女の天才
的な歌唱力によって、一気に日本全国を席巻しました。

まずは、この歌の歌詞をじっくりと読んで味わってみて下さい。

『津軽海峡冬景色』
    歌 石川さゆり    作詞 阿久悠 作曲 三木たかし

上野発の夜行列車 おりた時から
青森駅は 雪の中
北へ帰る人の群れは 誰も無口で
海鳴りだけを きいている
私もひとり 連絡船に乗り
こごえそうな鴎見つめ泣いていました
ああ 津軽海峡 冬景色

ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと
見知らぬ人が 指を指す
息でくもるガラス ふいてみかけど
はるかに かすみ 見えるだけ

さよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする 泣けとばかりに
ああ 津軽海峡婦冬景色

この歌に対する私の想いを語る前に、時代背景について少しだけ補足しておきます。歌の
中に出てくる「連絡船」とは、正しくは「青函連絡船」で、これは青森駅と函館駅を結ぶ
連絡船です。

しかし、1988年3月13日には「青函トンネル」が完成し両駅を列車が直接結ぶようになる
と、「連絡船」はサービスを停止しました。

したがって、この歌が発表された時には、文字どおり人びとは青森と函館を連絡船に乗っ
て行き来していました。

それでは「津軽海峡冬景色」にまつわる想いを、個人的な体験と重ね合わせて、そして、
「妄想」を交えて書いてみます。

まず、私が映像を通して石川さゆりを見たのは1977年、4年間のオーストラリア留学を
終え帰国の途中で立ち寄った沖縄の民宿でテレビを見ていた時でした。

突然画面に現れた、まだ少女っぽさが残る、とても可愛い女の子が石川さゆりでした。
長い間、若い日本人の女の子を見ていなかったという点を差し引いでも、私はいっぺん
に彼女の歌う姿と歌声に魅了されてしまいました。

その時歌った曲は、忘れもしない「能登半島」(これも作詞・作曲は三木・阿久のコン
ビ)でした。その時の印象は、未完成さが放つ特有の輝きと新鮮さと初々しさでした。

さて、『津軽海峡冬景色』ですが、この歌を最初に聞いた時、いくつかの疑問というか
想像が浮かびました。

まず、この歌の主人公の女性は一体何歳くらいだろうか、という疑問です。 私は、以
下のような妄想から勝手に30歳前後だと決めました。

彼女は若い時、夢を抱いて連作船で津軽海峡を渡り北海道を離れ東京に出て行ったので
しょう。そこで、仕事も恋もして、きっとそれなりに充実した人生を送ってきたに違い
ありません。

しかしその恋も破局し(おそらく恋人に捨てられて)彼女は仕事を続ける意欲も失って、
今、一度は捨てた北海道に帰ろうとしています。

実は私は1960年代後半の大学生だったころ、「探検部」の合宿で毎年夏の1か月間、知床
の山の中で活動していました。そのころには、まさしく「上野発の夜行列車」で青森へ、
そして連絡船で北海道の函館に渡りました。当時の夜行列車で上野から青森まではたっ
ぷり10時間以上もかかったと思います。

さて、夜行列車が青森に着く長い時間を、彼女はどんな風に過ごしたでしょうか? お
そらく、一晩中眠ることもなく、北海道を出てからその日までの日々を繰り返し振り返
っていたに違いありません。

「あの時、ああすればよかった」、「ああ言えばよかった」、「あの時、ああすれば別れな
くて済んだのに」など、一つ一つの出来事を思い返してたどったに違いありません(も
ちろん、私の妄想です)。

『津軽海峡冬景色]の歌詞のすごいところは、ここまでの彼女の人生が、「上野発の夜
行列車 おりた時から」というたった1行の中に詰め込まれており、聞いている私たち
は、いきなり彼女の人生と複雑な想いを共有することになるのです。

夜行列車が青森駅に着いたのは、雪がシンシンと降る、思わず身が縮む寒々とした早朝
でした。そこには華やいだ人びとの会話もなく、夜行列車を降りた人びとは海鳴りだけ
をじっと聞いています。

これは冬景色の描写であると同時に、いやむしろ彼女の心象風景でしょう。

「北へ帰る人の群れはみな無口で」、というフレーズが、また重苦しさを伝えています。
ここで、「北に向かう人」ではない点が重要です。

つまり、この人たちが無口なのは、夢を追いかけて上京したのに、今、その夢も破れ結
局、故郷の北海道に帰って行くことになったからです。

少なくとも彼らの多くは、東京で成功を収めて意気揚々と故郷に錦を飾る人たちではあ
りません。

この歌の主人公の女性は、そうした人たちと、また凍えそうな鴎(かもめ)と自分とを
重ね合わせて、心で泣いています。ただしここは、文字どおり泣いているというより、
彼女の心模様を表現しています。

それでは、この歌は恋人に捨てられて、傷心のまま故郷に逃げ帰ってきた女性の哀しい
物語なのでしょか?

いえ、絶対にそうではない、と私は断言できます。

かつて、ピンクレディーの一連の歌で、女の自立と主体性を歌い上げた阿久悠がそんな
陳腐な物語を書くわけがありません。

実際、彼女は最後に「さよならあなた」と、今度は彼女の方から恋人に決然と別れを宣
言します。

そして「私は帰ります」という言葉で、自分の意志でもう一度、故郷の北の国に帰って
人生をやり直します、という決意を別れた恋人にも自分にも言い聞かせます。

もちろん、そこには楽しかった過去の思い出、別れた恋人への未練、これからの人生へ
の不安がありますが、それらの複雑な想いを断ち切って決然と新たな人生へ踏み出す強
い決意があります。


『津軽海峡冬景色』は、たんなる失恋の歌ではなく、誰の人生にも起こりえる出会いと
別れと、そこからもう一度人生をやり直す再出発の歌なのだと思います。

以上のほかに、どうしても触れておきたいことを2、3書いておきます。

一つは、この歌と音楽との関係についてです。私たちが歌を聞いて楽しむという時、も
ちろん、歌手としてのうまさ、声の質、音楽のリズムやテンポ、メロディー、歌詞の内
容、さらには歌手の表情、容姿などを総合して好き嫌いが決まります。

私の場合これらに加えて、その歌を聞きながら、歌の中の物語の主人公になりきって物
語の中に入ってゆけるかどうかがとても大切です。つまり、歌の世界に浸ることができ
るかどうかです。

「津軽海峡冬景色」の場合、テンポはゆっくりしていて、一語一語がはっきりと聞き分
けられるので、何を歌っているのかが分かり、歌の世界に浸ることができます。

これは、歌詞が原則として一つの音符(四分音符でも八分音符でも)に一語(一文字)
だけを割り当てているからです。

しかし最近のJ-POPでは、一つの音符に3文字とかそれ以上の語を詰め込んでしま
うことも珍しくありません。そして、それを歌いきるために歌手は必至の形相で早いテ
ンポでまくしたてなければなりません。

そうなると、もう物語を追うどころではありません。あとは、リズムの速さと激しさに
身を任せるだけです。

『津軽海峡冬景色』は。石川さゆりの説得力に満ちた歌唱力、歌っているときの全身で
表現する表情、歌詞の内容、音楽の心地よいメロディーとテンポ、全てにおいて私の感
性にぴったりです。

つぎに、「津軽海峡」がもつ象徴的な意味合いについてです。

津軽海峡は本州と北海道を分ける海です。歌の中では、主人公の女性が上京する前、象
徴的な意味で北海道は彼女にとって希望のない場所、逃げ出すマイナスの世界でした。

それに対して、東京(正確に東京なのか首都圏なのか分かりませんが)は、やはり象徴
的な意味で何かが起こるワクワクした都会、素晴らしいことが待っている、夢と希望に
満ちたプラスの世界でした。

ところが、上野発の夜行列車で戻ってきた時には、東京は捨て去るマイナスの世界、北
海道は新たな決意の下に人生をやり直す希望の世界、プラスの世界になったのです。

物語は、津軽海峡の「こちら」と「あちら」で世界が逆転するという構図となっており、
ここでは「津軽海峡」があたかもシーソーの支点のような役割を果たしているのです。

だからこそ、歌のタイトルが、象徴的な意味で物語の中心をなす「津軽海峡」となって
いるのでしょう。

これは、『天城越え』において、天城峠の「こちら」は逃げ出すべきマイナスの世界であ
り、峠の「あちら」は自由と希望に満ちた世界、と想定されている構図と全く同じです。

だからこそ、世間をはばかる関係にある二人はどうしても不自由な「こちら」の世界から
天城峠を越えて「あちら」の自由な世界に ”あなたと越えて” 行きたいのです。

津軽海峡も天城峠も地理的な場所ですが、深読みすれば、「こちら」と「あちら」を分け
る何らかの壁(心の壁も含めて)と解釈ことができます。

演歌(おそらく歌謡曲も)の作詞作曲者の多くはある程度年配の人、それなりの人生経験を
積んできた人たちです。。

このため、今回取り上げた「津軽海峡冬景色」のように、短い歌詞の中にも長い人生経
験に裏打ちされた深い意味が込められているのだと感じています。

私は、アップテンポで激しいの曲も大好きですが、ゆったりと曲に身を委ねて歌の世界
に浸ることも大好きです。

最後に、以上の“妄想”を参考に、石川さゆりが「津軽海峡冬景色」を歌う19歳の少女時代の
ういういしいライブ映像をhttps://www.youtube.com/watch?v=OJxm9Lt-w6Y で、円熟期
(58歳)の映像をhttps://www.youtube.com/watch?v=QhGJQcN70gU で味わってください
(いずれもYoutube で観ることができます)。




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