![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/e1/4abd704a899ddd9489e97397faa9be79.jpg)
(古い建物)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/73/f60ae5a4610663b71d01a5fc0109d27b.jpg)
(街道の町並み)
(和田宿)
追分で左折した中山道は、しばらく古い家並みを通り抜け、
やがて国道に合流する。信号を渡った先に左和田宿5.9km、
東餅屋(和田峠)16.7kmの看板がるので進むと、すぐ次の案内看板にであう。
ここには東餅屋16.6kmとあり左折の矢印になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/48/4e2c80d270404b32dacbe329a56b9254.jpg)
(5.9kmの案内)
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(左16.6kmの案内。後ろに見える広い通りへは行かないで手前の狭い道を行く)
国道を行かずに手前の狭い道を進む。
道路は国道と平行しており、途中道祖神がある大きな木の下を通過するが、
道は突き当たりになっており、道を間違えたかと思う。
しかし案内標識があり、その案内に沿って歩くと、国道に合流するようになる。
前方が開け景色がよく見渡せる。
田んぼと畑、先に町並み、その先に山が待ちうけている。
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(木下の男女仲良い道祖神)
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(前方に開けた景色)
合流した国道を歩くと、やがて「大和橋」の信号に出る。
道路はY字路になっており、案内書に寄れば、この信号を左折しその先を迂回して、
やがてまた国道に合流するようになっているが、
Y字路の右側の道を見ると
「中山道 これより 和田の里」の大きな石の案内があるので、そのまま国道のほうに行くことにした。
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(「大和橋」の信号)
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(中山道これより和田の里)
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(萱葺きのバス停)
その先に茅葺の一軒家を小型化したバス停があり、
軒先に竹筒の先から清水が流れ落ちている。
カップも置いてあり、先客が水を飲んでいる。
冷たそうで美味しそうだったので、ボクも試す。
今日のカンカン照りにはもってこいの美味しさである。
この和田峠越えは、持病のあるボクの体を心配して、カミさんが同行している。
口うるさくて、心配性で、実際には足手間問いなのであるが、
ボクの身を心配してくれることに感謝して、同行してもらっている。
そのカミサンが、「お腹壊すから、一杯で止めて置いたら」と言う言葉に従った。
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(鉄橋が見える「青原」の信号)
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(水明の里)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/33/e73ad4ca119902636088b460d3b82ede.jpg)
(ブルーの案内看板)
さて、日照りの中山道を進むと、前方に鉄橋が見え、手前に「青原」の信号がある。
信号右側に「水明の里」の大きな案内表示と共に緑の芝生と石材を置いた公園がある。
公園脇に「中山道」と右矢印のブルーの案内表示があるのを見つけ、「青原」の信号を右折する。
今後はこのブルーの案内看板が和田峠の案内役になる。
すこぶる役に立った。
公園の奥には、休憩所のあずま屋と、旧中山道の地図が置かれ、
地図には「和田峠の東餅屋」先まで書かれたており、脇には石塔群が建っている。
この公園の脇を中山道は進む。
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(石造群と奥に見える休憩所)
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(木曽街道のマンホールの蓋)
どこまでも続く炎天下の田舎道をただただ進む。
両脇に民家はあるが、お昼寝でもしているのか、人が出歩いていない。
「木曽海道 和田」の浮世絵が描かれたマンホールを時々踏み越えていく。
和田宿までどこまでも同じマンホールの蓋が置いてある。
水量が豊富らしく、勢いよく流れる水の音が聞こえる。
さすが「水明の里」と名づけた土地と感心する。
このあたりは静かで、水の音と水田の蛙の合唱以外はあまり音が無い。
のどかな感じがするが、田舎道はほこりが無いせいか空気が綺麗で、
太陽光線もまともに降り注いでくるから、暑いことこの上ない。
道路わきに馬頭観音像に沢山めぐり合う。
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(馬頭観音)
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(馬頭観音2)
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(馬頭観音3)
馬頭観音は江戸時代、馬の守護神として信仰された。
街道を往来する荷駄は馬の助けによるもので、馬なくして商いは広く行うことが出来なかった。
現代で云うトラックの役割を果たした。牛馬が流通に果たした役割は大きい。
しばらくすると「みみず道祖神」が左側にある。
この道祖神は、まだ新しい。
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(かわいらしい姿のミミズ道祖神)
説明によれば、
「この記念碑は、ここ(みみず)地区に住む人々の希望により祭られました。
蚯蚓(みみず)は、土壌動物の代表で、みみずは枯れた落ち葉や木の枝をよく食べ糞をします。
その糞が「土」となり、生まれたばかりの土にはよく植物が育つのです。
少し残酷ですが、「ミミズの干物」を作り、解熱剤として煎じて使いました」とある。
日本語と英語と韓国語の説明がついている。
話としては面白いが、何のことは無い土地の名前を観光資源にしているのだ。
地方の活性化のための商業主義が見え隠れする。
もっとも、説明の最後のくだりはボクの子供のころ、
熱さましにミミズの干物を煎じて飲まされたことがあるが、
ミミズが煮干のようにカリカリに乾いていたことを思い出す。
よく効いて漢方薬として貴重なのであろう。
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木曽路は水の豊富なところでしたが・・・ここでも綺麗な水が飲めるのですね? お腹を壊すっていうのはなれていない水をのんだら確かにそうなるかもしれません。ですが炎天下での水分不足は 命取りにもなります。私たちはいつもアルカリイオン水を2リットルぐらいは取るように言われるぐらいです。 そのほかに 消毒その他なんにでも使えるように真水を持って歩きます。
ミミズ ジリュウでしたっけ? 漢方薬ですね? ひからびたミミズを煎じて飲んだんですか? あんまり飲みたくないな。
道 かなり整備されている様子。 安心して歩けますね?
奥様もお付き合いで大変ですね。それなのに口うるさいなどど言われて・・・(^0_0^)
萱葺きのバス停が印象的でした。軒先の水はどこからきているのでしょう?私も気になりました。
国道より、わき道の方が見るべきものが残っているんだ、と納得です。
古い木造の家も興味深いです。