![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/3c/f2eaeb6420fb0194ca10c5c40d114841.jpg)
(歩道脇にある案内看板)
(沓掛宿2)
道路は、沓掛ならぬ中軽井沢の町中に入っていく。
やがて中軽井沢駅入り口があり、駅を左に見て進むと歩道脇に可愛い案内看板が目に付く。
赤い文字で、「Welcom-Nakakaruizawa」とあり、ハイキングコースが示されている。
その案内看板に
(この道を横に入って、1つ目の角を右折した先の大きなケヤキの下に、
皇女和宮が休憩した井戸があります、――以下省略」とあるので案内に従って進むと、
大きなケヤキの下に確かに井戸があったが、荒れ放題でごみ置き場のようになっていた。
元ここに本陣があったに違いない。このケヤキの手前に中軽井沢商工会の立派な事務所があるが、
先ほどの沓掛時次郎の碑文と比べると本陣の井戸の荒れようが信じられない。
土地の持ち主との間に確執でもあるのであろうか。せっかくの史跡が惨めである。
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(大きなケヤキ)
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(木の根元にある井戸の跡、石垣の中が井戸)
さらに西に進むと町外れの民家の庭先に、道祖神があり左面に
「左くさつ」と読める。この道しるべの先で国道と分かれ、旧中山道は左脇に入る下り坂となる。
道をすこし下り、右側にある道祖神をみてなお先に進むと、
道はのぼり坂となり国道18号と平行していることが分かる。
町並みが切れると、左右は畑や雑木林でところどころに馬頭観音や道祖神の石碑を見る。
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(民家の庭先の道祖神)
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(「左くさつ」と読める)
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(「左くさつ」の道標から望む国道、中山道は左の下りの道へ)
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(下り道に入ってすぐ右道路脇にある道祖神)
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(あちらこちら沢山ある馬頭観音の石碑)
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(あちらこちら沢山ある馬頭観音の石碑2)
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(あちらこちら沢山ある馬頭観音の石碑3)
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(あちらこちら沢山ある馬頭観音の石碑4)
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(古宿公民館)
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(秋葉神社)
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(本殿)
しばらく歩くと、寂れた町-古宿-の中に入っていく。
やばて右手に古宿公民館があり、その先の同じ並びに石の鳥居がある秋葉神社がある。
秋葉神社は火の神であるから、村人が火事を恐れて祭ったものであろう。
街道には宿場の荷駄に使った馬に感謝の意を込めて、馬頭観音の石碑がところどころに見受かられ、
ずいぶん馬のお世話になったことが伺える。
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(沢山ある馬頭観世音の石碑)
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(男女の道祖神)
旧中山道はまた国道18号に合流するが、すぐ前方へ三本の道に分かれる場所に来る。
両サイドの道は上り坂になる。右側は国道のバイパスで、左側は上州(群馬)へ抜ける道である。
真ん中の道は下り坂になるが、これが旧中山道で、先の方が右にカーブしているのが分かる。
道に沿って進むと、カーブを曲がり終えたところに左へ入る道があるので、進路を左にとろう。
(ここのところはどのガイドブックにも載っていない)
旧中山道らしい道幅の道路で借宿の集落に入る。
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(真ん中の下り道が旧中山道、先で右に曲がっているのが解る)
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(右に曲がったところに左に分かれる道路がある、これが旧中山道)
古い町並みが続き、左側に馬頭観世音の石碑と共に、女街道の案内看板がある。
案内によると、
(碓氷の関所では、「入り鉄砲」「出女」の取調べがきびしく取り締まった。したがって、
女人は関所を避けて裏街道を通るようになった。これを「女街道」または「姫街道」といった。
「関所避けて 女人が多く 往来せし 姫街道」)(軽井沢町教育委員会)
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(「女街道」入り口にある馬頭観音の石碑)
やがて右手に遠近宮(おちこちぐう)が見える。
遠近宮の境内は、苔むして杉の木も古風騒然としたたずまいで、
由緒によると、
「祭神は磐長姫命(いわながひめのみこと)と言い、古来より当地の鎮守産土の神として崇敬される。
現存の棟札によると享保年間(1716~1735)には社殿鳥居等整備せられたことが解るが、
それよりはるかに古く当借宿地方開発の当初守護神として奉祀せられたものである。
「信濃なる 浅間の山に立つ煙 遠近人の みやはとがめん」と
在原業平作の有名な歌によって遠近宮と奉称せられた。」(宮司水沢邦高記)
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(遠近宮の鳥居)
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(本殿)
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(苔むした境内)
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(境内は借宿公園で子供の遊び場)
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(隣接する境内と不釣合いな近代的なトイレ)
苔むした境内を持つ遠近宮は、今は借宿公園ともなって、子供の遊び場にもなっている。
そのせいか、鳥居脇に、由緒ある神社には不似合いな超現代的な建物が、
公衆トイレのマークをつけて建っており、アンバランスで面白い。
その先に、杉玉(造り酒屋の)をぶら提げた家があり、軒下に道路元標が半分埋まった形で建っている。
「元西長倉村道路元標」とある。
借宿の地名になる前は、西長倉村といったのであろう。
今は酒造を辞めたご主人と長々世間話をしたが、家の中をすこし覗くと、
目に墨を入れた達磨や大小の徳利などが棚の上に沢山並び、その昔の繁盛振りが良く解った。
古風な雰囲気の寂れた街の感じは払拭できない。
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(道路元標)
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(杉玉のある家)
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(旧家を思わせる建物)
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(古風な寂れた街の感じの家)
旧中山道のこの界隈の信濃路は道が比較的平坦で荷駄は馬で運び、
険阻な道が続く上州は牛で荷駄を運んだという。
その為か、馬頭観世音を祀る立派な小塚を見ることが出来る。
小塚の前にある常夜灯の台石には、馬が戯れる飾りが刻まれている。
馬と共に生活して来た長い歴史が伺える。
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(馬頭観世音の石碑のある小塚)
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(常夜灯の足元に馬が戯れる図が刻まれている)
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(もう一つの馬頭観世音の小塚)
まもなく国道18号線に合流するが、合流する先に4本のカラマツが見える。
その根元に「道しるべ」となる石標がある。
「ここより左 上州」
は読めるが、その下になんと書いてあるか、ボクには読めない。
ここから追分宿に入る。
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(国道の合流地点向こう側にある四本の唐松)
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(根元にある「道しるべ」)