中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

柏原の一里塚(旧中山道を歩く 287)

2011年12月21日 09時40分41秒 | 7.近江(滋賀県)の旧中山道を歩く(285~3


(中山道六十番目、柏原宿)

(柏原宿 3)
柏原宿は中山道を日本橋から数えて60番目の宿場に当る。
そして近江の国(滋賀県)に入って最初の宿場である。
名物は「伊吹もぐさ」だけのようだ。

柏原歴史館を出て、中山道を西に向うと右手に日枝神社があり、
次いで左側に「柏原銀行跡」(現在の滋賀銀行)がある。
同時にここは問屋場の「西荷蔵跡」でもあった。

説明によれば、
(江戸時代もぐさ屋の山根為蔵家は、
同業旅籠屋・呉服屋であった家筋五軒に働きかけて、
自宅別棟に柏原銀行を明治34年(1901)創設した。
中世・江戸期を通し大きな宿場として栄えた柏原村は、
その当時も多くの商店が立ち並び、
国鉄沿線の醒ヶ井・近江長岡と
岐阜県隣村今須村地域の中心地であった。
柏原銀行の支店出張所は、
米原・醒ヶ井・近江長岡・野一色・岐阜県の今須村にも設置された。――後略)


(日枝神社)


(柏原銀行跡と西の荷蔵跡)

やがて南北に繋がる道路と交差し、
左側には「やくしえのみち」の道標があり、
左へ進めば、西薬師(泉明院)へつながる。

左奥には木造の火の見櫓が見える。
右折すれば清滝村へ通じる道路で,
約1.2kmに清滝寺徳源院がある。
右折してすぐの一帯は、
お茶屋御殿跡が今は公園になっている。

お茶屋御殿跡について、
(江戸初期の頃、
将軍が上洛する時の宿泊や休息のために建てられた御殿の跡です。
家康・秀忠・家光の3人で合計14回ほど利用されている。)(米原観光協会)

清滝寺徳源院(せいりゅうじとくげんいん)については、
(佐々木京極氏の菩提寺で、
正式には霊通山清滝寺徳源院といいます。
足利尊氏の下で佐々木道誉が活躍したことで栄え、
戦国時代は、江の姉様(浅井三姉妹の次女お初)が京極高次に嫁ぐ。
高次は信長、秀吉、家康の間を渡り歩いて再興、大名となる。
これら歴代の宝教印塔34基が並んでいる。)(米原観光協会)
(徳源院には、立ち寄っていませんが、是非お立ち寄りを)


(左角に「やくしえのみち」の道標)


(火のみ櫓)


(お茶屋御殿跡の小公園)


(柏原御殿、館跡の石碑)


(お茶屋御殿跡の小公園2)

お茶屋御殿跡を右に見て通り過ぎると、
左手に郷宿(ごうやど)跡がある。
郷宿とは脇本陣と旅籠屋の中間で、
武士や公用で旅する庄屋などに使用された旅館である。
残っているのは、中山道上、今まで始めて見る。


(「郷宿」少し分り難いが左手に家)

この先柏原の町を離れて左田圃、右は山が繋がる。
やがて左手に復元された南側の一里塚跡がある。
江戸から数えて115番目であると言う。
一里塚は本来街道沿いにあるが、街道に沿って川があったことから、
街道から離れた所に造られていたという。
現在も少し離れて築かれている。

この辺りが西の見付跡で、
喰い違い土手があるというが良く判らなかった。
この場所で、庄屋や役人が正装して、
御偉い方のお見送りやお出迎えをしたに違いない。
柏原の宿場はここで終わりとなる。


(柏原の一里塚)


(街道横に川が流れる)


(「西の見付」付近)

中山道はここから松並木が続き、
やがて右手に「北畠具行卿墓」参道へ右に入るよう案内がある。
案内書によれば、右に入る道は昔の東山道で、
ここから中山道と別れ山越えをしていく。
いずれにしろ「北畠具行の墓」を見たいと、
山の中へ細い道を進む。
右手の山側には(獅子おどし)の電線が張り巡らされており、
山側にお墓などがあるが、右手の山に入ることが出来ない。
道は左手は畑か空き地か平らで山の間を抜けるようになっている。
昔の東山道であれば頷ける。

かなり入った所で、道路は(獅子おどし)の電線でさえぎられ、
先に進むことが出来なくなっている。
清滝寺徳源院からは南へ500mの所にあるはずであるが、
徳源院からは行けるかもしれない。

大変残念であるが諦めることにする。


(松並木が続く)


(北畠具行卿の墓案内板)


(お墓への道、東山道でもあった)


(お墓への道2、右手に「獅子おどし」の電線あり)


(お墓への道3、右手に「獅子おどし」の電線あり)

中山道に戻って、西に向う。
左手は開けた場所であるが、
右側は山が繋がっている。

「鶯が原」という。

太田道灌が江戸から京都への旅日記「平安紀行」に、
鶯の原という所にて、
・聞ままに かすみし春そ しのばるる
        名さへなつかし 鶯の原
と残している。

その先には植樹された松並木がある。
あと30年もすれば見ごたえのある松並木になっていることを期待したい。


(開けた場所「鶯が原」と呼んで時期には鶯の声が聞けた)


(並び松街道の碑)


(植樹された松)





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