(草加松原の松並木)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/d3/4a749099f2e60f1f0384122d5a667042.jpg)
(草加松原から越谷宿へ)
11月5日気温22℃快晴。東武伊勢崎線松原団地下車 PM14時。
旧日光街道にある千本松原に向う。
右に綾瀬川が流れる松並木の街道に出る。
日光街道は杉並木で有名であるが、
ここは松並木で松尾芭蕉も河合曾良も通った並木だ。
松並木の街道に入ると、芭蕉文学碑が目に付く、
「ことし 元禄ふたとせにや 奥羽長途の行脚
只かりそめに思いたちて・・・・」で始まる。
天気が良いせいか普段の日なのに結構な人が歩いて居る。
(芭蕉の文学碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/98/7c6e850f870d2d903f71a0dce8b1e4f4.jpg)
綾瀬川に架かる橋に立つと、奥のほうに高速道路の高架が見える。
あれが友人に聞いた外郭環状道路と確認する。
松並木の松は、一本として同じ形のものは無く、
あるものはそびえ立ち、またあるものは腹這う、
時には二重三重に重なり合うものあり、
東北大震災で残った一本松のようなものもある。
(重なる松並木と先に見える外郭環状線の高架)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/2b/5a60dd39c2c572473e8f82efdd6074c7.jpg)
(腹ばう木もあり)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/26/02f772e11c5163874f4338d690dd685c.jpg)
地面に松原1000mと表示があり、
ここまで千メートル松並木が続いていることを示している。
その表示が1500mに変った所に、
草加松原がそろそろ終わると、丸い輪の彫像が置かれている。
道路は狭まり、松並木が切れる頃、
左手に「今様 草加宿」の標柱があり、草加宿もここまでを教えている。
左手を走る旧日光街道の車は、外郭環状道路に入るべく信号待ちをしている。
歩行者は外郭環状道路を地下へ潜り抜ければ良い。
(松原の終点、丸い輪の彫像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/08/380a64ec332f95047a485a7505ce3def.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/cd/1bc6d06cdbbb4ffa5d55bdf41b95573f.jpg)
潜り抜けた外郭環状線の基礎部分の壁面に、
奥の細道を想像して描いたタイル絵がある。
説明に、
(草加と「おくのほそ道」
俳聖・松尾芭蕉は紀行文「おくのほそ道」の中で、
元禄二年三月二十七日、江戸深川を出立し、
「その日ようやう草加といふ宿に着きにけり」と記しています。
これを想像して描いたものです。)とある。
(おくのほそ道のタイル絵)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/56/d8b8946e6c20f16400b8ef1fa58bc4c2.jpg)
(おくのほそ道のタイル絵2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/71/5425874097f81ac1fdad1c282ce6312b.jpg)
(おくのほそ道のタイル絵3と地下通路)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/0e/6dca624be2946cfc65e1f6772d812bdc.jpg)
道路は細くなり、綾瀬川に沿って桜が植えられ、
右「松原遊歩道」左「槐戸橋(さいかちどばし)」の標柱が、風雨にさらされ、
半ば消えかかったようにして建っている。
道路は次の橋で交差しているが、車が多くて道路横断が容易ではない。
(さいかちどはし)の橋を横断すると、名前に似合わない、
かわいい鳥の飾りが川沿いに、橋脚にはカブトムシかカナブンが飾られている。
この橋の先にもうひとつの橋が見える。
その橋の右側には木がこんもり盛り上がって見えるが、
おそらくあれが「蒲生の一里塚」に違いない。
(綾瀬川と桜並木)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/a3/d50f0ce51034f998d62b0c59f299f3a0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/2f/de3e57320482cd3fcf279a61bf761ce2.jpg)
(川に沿ってある小鳥の飾り)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/96/6e9943ccd224fb971fb938949c3c7f76.jpg)
(橋のカナブン)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/84/34f52cb0695e6988803a0b683020461f.jpg)
(先に見える橋と一里塚跡)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/51/07b8b324e6925b15660569c077359e7f.jpg)
川沿いに歩いて行くと左手に愛宕神社の鳥居があり、祠もある。
町の鎮守であろうか。
次の橋に出ると、「がもうおおはし」とあり、橋脚に灯籠が据えられ、
壁面には、「舟遊び 綾瀬の月を 領しけり 高浜虚子」
の俳句が刻まれている。
橋の反対側には、「そうかふるさと歩道と川に培ったふるさとのまち」とあり、
川に沿って「あやせ川コース 5・5km」の町の案内地図が描かれている。
(愛宕神社)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/ad/3d4f25932bab9dc887f702e7d1b77728.jpg)
(がもうおおはし)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/3c/d8b04b391ae81a2bdd0c5c50408bab29.jpg)
(灯籠と高浜虚子の句碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/be/2281d13511639fa2dc7896c1aeac773c.jpg)
(そうかふるさと歩道の地図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/ba/8c80657b908a0df2dc8c2438012a74d3.jpg)
橋を渡ると予想通り「蒲生の一里塚」が右側にある。
若い男女が木陰のベンチで語らっている。
橋を渡る前は草加市で、渡り終えると越谷市、
何か駄洒落の中を歩いて居るようだ。
「草加、越谷、千住の先」これを受けて「幸手 栗橋 まだ先よ」
(蒲生一里塚)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/74/4fa6f68a69a9374b24bc35f0c31d9d1c.jpg)
埼玉県と越谷市の両教育委員会の説明を要約すると、
(「五街道分間延絵図」には、綾瀬川と出羽掘が合流する地点に、
日光街道を挟んで二つの小山が描かれ、愛宕社と石地蔵の文字が記されていて、
「蒲生の一里塚」が街道の東西に一基づつ設けられていたことが分かる。
なお、日光街道上にある塚は、
埼玉県にはこの「蒲生の一里塚」のみで貴重なものである。
塚の上には、ムクエノキの古木のほか松・イチョウが生い繁っている。)とある。
中山道の志村の一里塚は、板橋区志村にあるから、
ここは越谷市蒲生であることが解かる。
旧日光道中は、この一里塚のまん前の道路に入っていく。
橋を渡ってきたら川沿いに左折する感じだ。
途を進むと、歩道に当たる部分は、元小川があった上を歩くことになる。
街は静かで、穏やかな温もりがあるような感じである。
途中、左側に医院があり、右側に郵便局あって、生活道路の中を歩いていくと、
やがて右に黒い冠木門が見える。
(街道は真ん中の道)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/da/223cf849bac60312846dbc39cc9c813b.jpg)
(医院の看板がある暗渠の上を行く)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/c8/063a132fed6bc3db581dc9f8320059ae.jpg)
(郵便局が右手に)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/42/45b106a2c3e4045d8c8c29ca044414db.jpg)
(黒い冠木門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/79/257fcc90c6a1f3b2cd434e4c9279c6ff.jpg)
これが清蔵院である。
その奥に山門が見える。これは越谷市の文化財に指定されていると言う。
山門の建立者は、日光東照宮造営に狩り出された工匠の一人で、
日光造営中にお世話になった因縁から、
東照宮造営の寛永13年(1636)の二年後、国許から再び蒲生に来て、
この山門を作ったという。
今や400年の時を刻む。
(清蔵院の山門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/aa/8ef84e1ef236fcebff0797dbd9d1c1d1.jpg)
山門をくぐり本堂に進むと左手に不動堂とその先に池があり、
にこやかなお地蔵様、観世音菩薩、弘法太子像があり、
右手には鐘楼が夕日を浴びている。
(清蔵院の本堂と鐘楼)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/7e/b7c86833b6725b4da91f83da1e143f9e.jpg)
(鐘楼の鐘)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/90/e0eef949e1eb92eb5777e6f803f1cd41.jpg)
(左手の不動堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/d0/e57bc9ca87464fef1ae4d2f55e5a6de5.jpg)
(不動堂先の池の前の地蔵尊、観世音、弘法太子像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/df/a5bf0d56d3fbd83c3aba9ed3460a8483.jpg)
(県道49号線に合流)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/98/9acec9e2b9b1a4fb845298864bc13c60.jpg)
(新越谷駅)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/0f/39945d443c62d9cf4a5a44e8c47149d5.jpg)
清蔵院を出ると旧日光街道に合流し、新越谷駅から帰宅する。
本日、2万歩=約12kmであった。
(越谷市のマンホール)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/2b/066141d6b185f5ae7b1593598230396e.jpg)
先日、松尾芭蕉が「おくのほそ道」をこんな姿で歩いたのではと、
想像させる人物に出会った。
東京では珍しい托鉢僧である。
(托鉢僧)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/9c/b56f37e503c2437a0c18a2cf9db797a0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/d3/4a749099f2e60f1f0384122d5a667042.jpg)
(草加松原から越谷宿へ)
11月5日気温22℃快晴。東武伊勢崎線松原団地下車 PM14時。
旧日光街道にある千本松原に向う。
右に綾瀬川が流れる松並木の街道に出る。
日光街道は杉並木で有名であるが、
ここは松並木で松尾芭蕉も河合曾良も通った並木だ。
松並木の街道に入ると、芭蕉文学碑が目に付く、
「ことし 元禄ふたとせにや 奥羽長途の行脚
只かりそめに思いたちて・・・・」で始まる。
天気が良いせいか普段の日なのに結構な人が歩いて居る。
(芭蕉の文学碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/98/7c6e850f870d2d903f71a0dce8b1e4f4.jpg)
綾瀬川に架かる橋に立つと、奥のほうに高速道路の高架が見える。
あれが友人に聞いた外郭環状道路と確認する。
松並木の松は、一本として同じ形のものは無く、
あるものはそびえ立ち、またあるものは腹這う、
時には二重三重に重なり合うものあり、
東北大震災で残った一本松のようなものもある。
(重なる松並木と先に見える外郭環状線の高架)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/2b/5a60dd39c2c572473e8f82efdd6074c7.jpg)
(腹ばう木もあり)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/26/02f772e11c5163874f4338d690dd685c.jpg)
(東北大震災で残った一本松に似たものもある)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/83/a088b896669a8802a28b13329169b4e7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/83/a088b896669a8802a28b13329169b4e7.jpg)
地面に松原1000mと表示があり、
ここまで千メートル松並木が続いていることを示している。
その表示が1500mに変った所に、
草加松原がそろそろ終わると、丸い輪の彫像が置かれている。
道路は狭まり、松並木が切れる頃、
左手に「今様 草加宿」の標柱があり、草加宿もここまでを教えている。
左手を走る旧日光街道の車は、外郭環状道路に入るべく信号待ちをしている。
歩行者は外郭環状道路を地下へ潜り抜ければ良い。
(松原の終点、丸い輪の彫像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/08/380a64ec332f95047a485a7505ce3def.jpg)
(今様 草加宿の碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/04/15f846cc39880843e5ec4ad712e3d75d.jpg)
(日光街道の自動車道)![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/04/15f846cc39880843e5ec4ad712e3d75d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/cd/1bc6d06cdbbb4ffa5d55bdf41b95573f.jpg)
(外郭環状道路を地下へ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/9d/129ec434b6202aade6248239582367fb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/9d/129ec434b6202aade6248239582367fb.jpg)
潜り抜けた外郭環状線の基礎部分の壁面に、
奥の細道を想像して描いたタイル絵がある。
説明に、
(草加と「おくのほそ道」
俳聖・松尾芭蕉は紀行文「おくのほそ道」の中で、
元禄二年三月二十七日、江戸深川を出立し、
「その日ようやう草加といふ宿に着きにけり」と記しています。
これを想像して描いたものです。)とある。
(おくのほそ道のタイル絵)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/56/d8b8946e6c20f16400b8ef1fa58bc4c2.jpg)
(おくのほそ道のタイル絵2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/71/5425874097f81ac1fdad1c282ce6312b.jpg)
(おくのほそ道のタイル絵3と地下通路)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/0e/6dca624be2946cfc65e1f6772d812bdc.jpg)
道路は細くなり、綾瀬川に沿って桜が植えられ、
右「松原遊歩道」左「槐戸橋(さいかちどばし)」の標柱が、風雨にさらされ、
半ば消えかかったようにして建っている。
道路は次の橋で交差しているが、車が多くて道路横断が容易ではない。
(さいかちどはし)の橋を横断すると、名前に似合わない、
かわいい鳥の飾りが川沿いに、橋脚にはカブトムシかカナブンが飾られている。
この橋の先にもうひとつの橋が見える。
その橋の右側には木がこんもり盛り上がって見えるが、
おそらくあれが「蒲生の一里塚」に違いない。
(綾瀬川と桜並木)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/a3/d50f0ce51034f998d62b0c59f299f3a0.jpg)
(槐戸橋の標柱)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/0a/c5ea92c79803aab697e288e926ea5a19.jpg)
(さいかちどばしの橋脚)![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/0a/c5ea92c79803aab697e288e926ea5a19.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/2f/de3e57320482cd3fcf279a61bf761ce2.jpg)
(川に沿ってある小鳥の飾り)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/96/6e9943ccd224fb971fb938949c3c7f76.jpg)
(橋のカナブン)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/84/34f52cb0695e6988803a0b683020461f.jpg)
(先に見える橋と一里塚跡)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/51/07b8b324e6925b15660569c077359e7f.jpg)
川沿いに歩いて行くと左手に愛宕神社の鳥居があり、祠もある。
町の鎮守であろうか。
次の橋に出ると、「がもうおおはし」とあり、橋脚に灯籠が据えられ、
壁面には、「舟遊び 綾瀬の月を 領しけり 高浜虚子」
の俳句が刻まれている。
橋の反対側には、「そうかふるさと歩道と川に培ったふるさとのまち」とあり、
川に沿って「あやせ川コース 5・5km」の町の案内地図が描かれている。
(愛宕神社)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/ad/3d4f25932bab9dc887f702e7d1b77728.jpg)
(がもうおおはし)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/3c/d8b04b391ae81a2bdd0c5c50408bab29.jpg)
(灯籠と高浜虚子の句碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/be/2281d13511639fa2dc7896c1aeac773c.jpg)
(そうかふるさと歩道の地図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/ba/8c80657b908a0df2dc8c2438012a74d3.jpg)
橋を渡ると予想通り「蒲生の一里塚」が右側にある。
若い男女が木陰のベンチで語らっている。
橋を渡る前は草加市で、渡り終えると越谷市、
何か駄洒落の中を歩いて居るようだ。
「草加、越谷、千住の先」これを受けて「幸手 栗橋 まだ先よ」
(蒲生一里塚)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/74/4fa6f68a69a9374b24bc35f0c31d9d1c.jpg)
埼玉県と越谷市の両教育委員会の説明を要約すると、
(「五街道分間延絵図」には、綾瀬川と出羽掘が合流する地点に、
日光街道を挟んで二つの小山が描かれ、愛宕社と石地蔵の文字が記されていて、
「蒲生の一里塚」が街道の東西に一基づつ設けられていたことが分かる。
なお、日光街道上にある塚は、
埼玉県にはこの「蒲生の一里塚」のみで貴重なものである。
塚の上には、ムクエノキの古木のほか松・イチョウが生い繁っている。)とある。
中山道の志村の一里塚は、板橋区志村にあるから、
ここは越谷市蒲生であることが解かる。
(一里塚のエノキなど)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/36/b6a01181ac41b438a5fef07e8dbf84bf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/36/b6a01181ac41b438a5fef07e8dbf84bf.jpg)
旧日光道中は、この一里塚のまん前の道路に入っていく。
橋を渡ってきたら川沿いに左折する感じだ。
途を進むと、歩道に当たる部分は、元小川があった上を歩くことになる。
街は静かで、穏やかな温もりがあるような感じである。
途中、左側に医院があり、右側に郵便局あって、生活道路の中を歩いていくと、
やがて右に黒い冠木門が見える。
(街道は真ん中の道)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/da/223cf849bac60312846dbc39cc9c813b.jpg)
(医院の看板がある暗渠の上を行く)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/c8/063a132fed6bc3db581dc9f8320059ae.jpg)
(郵便局が右手に)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/42/45b106a2c3e4045d8c8c29ca044414db.jpg)
(黒い冠木門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/79/257fcc90c6a1f3b2cd434e4c9279c6ff.jpg)
これが清蔵院である。
その奥に山門が見える。これは越谷市の文化財に指定されていると言う。
山門の建立者は、日光東照宮造営に狩り出された工匠の一人で、
日光造営中にお世話になった因縁から、
東照宮造営の寛永13年(1636)の二年後、国許から再び蒲生に来て、
この山門を作ったという。
今や400年の時を刻む。
(清蔵院の山門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/aa/8ef84e1ef236fcebff0797dbd9d1c1d1.jpg)
山門をくぐり本堂に進むと左手に不動堂とその先に池があり、
にこやかなお地蔵様、観世音菩薩、弘法太子像があり、
右手には鐘楼が夕日を浴びている。
(清蔵院の本堂と鐘楼)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/7e/b7c86833b6725b4da91f83da1e143f9e.jpg)
(鐘楼の鐘)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/90/e0eef949e1eb92eb5777e6f803f1cd41.jpg)
(左手の不動堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/d0/e57bc9ca87464fef1ae4d2f55e5a6de5.jpg)
(不動堂先の池の前の地蔵尊、観世音、弘法太子像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/df/a5bf0d56d3fbd83c3aba9ed3460a8483.jpg)
(県道49号線に合流)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/98/9acec9e2b9b1a4fb845298864bc13c60.jpg)
(新越谷駅)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/0f/39945d443c62d9cf4a5a44e8c47149d5.jpg)
清蔵院を出ると旧日光街道に合流し、新越谷駅から帰宅する。
本日、2万歩=約12kmであった。
(越谷市のマンホール)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/2b/066141d6b185f5ae7b1593598230396e.jpg)
先日、松尾芭蕉が「おくのほそ道」をこんな姿で歩いたのではと、
想像させる人物に出会った。
東京では珍しい托鉢僧である。
(托鉢僧)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/9c/b56f37e503c2437a0c18a2cf9db797a0.jpg)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます