中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

史跡 義仲寺(ぎちゅうじ)(旧中山道を歩く 329)

2012年06月03日 10時30分28秒 | 7.近江(滋賀県)の旧中山道を歩く(285~3



(義仲寺の門前)

(大津宿 5)

期待して来た義仲寺は、大伽藍と思いきや、
巴御前がひっそりと義仲の菩提を弔ったといわれるように、
また、俳聖 芭蕉翁の遺言にふさわしい埋葬の場所として、
大変こじんまりしたお寺であった。

門前に「史跡 義仲寺」の石柱と、常夜灯が一基置かれている。
門柱には「義仲寺」と書かれている。
治承四年(1180)木曾義仲は信濃に平氏討伐の挙兵をし、
三年後の寿永二年(1183)北陸路に平氏の大軍を討ち破り、
京都に入った。
翌寿永三年(1184)鎌倉の頼朝の命で京都に上ってきた源範頼、
義経の軍勢と戦い、この地、粟津が原で討ち死にした。

その後、見目麗(みめうるわ)しき尼僧がこの地に草庵を結び、
義仲の御墓所のほとりで、供養した。
この尼が義仲の側室巴御前であったという。
尼の没後、この庵は「無名庵」ととなえられ、
あるいは巴寺といい、
木曾塚、木曾寺、また義仲寺と呼ばれたことは、
鎌倉時代後期の文書に見られる、という。

元禄七年(1694)松尾芭蕉は大阪の地で亡くなり、
「骸は木曾塚に送るべし」の遺言で当地に埋葬された。

伊勢の俳人の句、
「木曾殿と背中合わせの寒さかな」 又玄(ゆうげん)
の俳句により、この地を訪ねるまで、ボクは、
芭蕉の墓は義仲の墓と背中合わせだとばかり思っていた。
しかし、知識不足で、芭蕉十哲の其角の「芭蕉翁終焉記」には、
「木曾塚の右に葬る」とあるそうだ。
実際、義仲の墓の右手に芭蕉の墓はある。

義仲寺の門前にある灯籠の竿の部分に、
①「しぐれても 道はくもらず 月の影」 紫金(しきん)の句が。


(「しぐれても・・」の句碑)

門を入ってすぐ左トイレの前に、
「おもふまま 月夜にあひぬ 遅(おそ)さくら」 車友(しゃゆう)


(「おもふまま・・」の句碑)

その右前に、
「鶯の ほっと出らしき 初音色(はつねいろ)」 栃翁(とちおう)


(「鶯の・・」の句碑)

この句碑の向こうに
「行燈(あんどん)の ひとり消えけり けさの秋」 乙也(おとや


(「行燈の・・」の句碑)

その向こうに、
「身のほどを かへり見る日ぞ 初しぐれ」 羽州(うしゅう)


(「身のほどを・・」の句碑)

この背中合わせに、
「粟津野に 深田も見えず 月の秋」 露城(ろじょう)


(「粟津野に・・」の句碑)

木曾義仲の息女山吹御前の塚、山吹塚が元大津駅前にあったものが、
移設されている。


(山吹塚)

その向こうに木曾義仲の側室、巴御前の塚、巴塚がある。
手前右手に朝日堂があり、


(巴塚)


(朝日堂)

朝日堂前に芭蕉句碑、
「行春を あふミ(近江)の人と おしみける」 芭蕉桃青 がある。


(「行く春を・・」の芭蕉句碑)

巴塚手前には、
「木曾殿と 背中合わせの さむさかな」 又玄(ゆうげん) があり、
(写真はありません)

巴塚左手に、同じく芭蕉の句碑
「古池や 蛙飛び込む 水の音」芭蕉翁 がる。


(「古池や・・」の芭蕉句碑)

巴塚の向こうに肝心の義仲公の墓、別名木曾塚がある。
土壇の上に宝篋印塔がある。
その右となりに芭蕉翁墓がある。墓の右手に翁堂がある。

墓の向こうには芭蕉句碑、
「旅に病んで ゆめは枯野を かけ廻る」 芭蕉翁 がある。


(義仲公の墓)


(義仲の墓の右手にある芭蕉翁の墓)


(翁堂)


(「旅に病んで・・」の芭蕉句碑)

忘れてならないのは、今の義仲寺の存在に東奔西走した保田與重郎である。
この翁堂の裏手には、世界大戦後荒廃、壊滅に瀕した義仲寺再建のため、
尽力を尽した保田與重郎の墓があることだ。


(保田與重郎の墓)

義仲寺には名残惜しいが、先を急ぐ身ならば、ゆっくりも出来ない。
そこそこに切り上げて、旧東海道を進む事にする。

およそ500m進むと京阪石山・坂本線の踏切を越える。


(踏み切り)





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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
俳句、学生時代に勉強させられましたが、 (g00g)
2012-06-04 11:19:51
俳句、学生時代に勉強させられましたが、
芭蕉の句は、なじみやすかったのを覚えています。
旅に病んで 夢は枯れ野をかけめぐる
秋深き 隣は何をする人ぞ
冗談で、意味を違えてオモシロク言ったりしたナ
それも 今は大昔www
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g00g さん (hide-san)
2012-06-04 11:54:39
g00g さん

コメント有難うございます。
芭蕉の句は分かりやすくて、表面だけを見ると簡単ですが、句の奥深い意味を理解すると、
芭蕉の心が良く伝わります。
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何時もお顔だし有難うございます。 (tatoto60)
2012-06-04 21:42:21
何時もお顔だし有難うございます。

お稽古事を持病(糖尿病)の為ドクターからストレスの為禁じられましたので・・・
今は気楽に内緒で和菓子で頂いています、今の若先生はたまには甘いものもよいですと・・・(笑み)
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tatoto60 さん (hide-san)
2012-06-05 10:26:05
tatoto60 さん

コメント有難うございます。
ボクも十年来のインスリン使用者です。
お酒と不摂生が原因のようです。

今はお酒60cc朝7千歩、午後7千歩、歩きます。
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俳句がいっぱいで、好きな方にはたまらないでしょ... (salasala)
2012-06-06 12:37:44
俳句がいっぱいで、好きな方にはたまらないでしょうね。
義仲と、芭蕉のお墓は、なんとなく可愛いくて、遊びにきましたと言いたいような・・・。
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salasala さん (hide-san)
2012-06-07 15:44:33
salasala さん

コメント有難うございます。
芭蕉は義仲が大好きで、臨終の時、
亡がらは木曾殿と同じ所にと遺言したと言われます。
弟子たちが遺骸を大阪から、どのように運んだかは知りませんが、義仲寺まで運んだようです。
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