中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

「瞼の母」の番場の忠太郎(旧中山道を歩く 294)

2012年01月15日 10時45分41秒 | 7.近江(滋賀県)の旧中山道を歩く(285~3


(土肥三郎の墓)

(番場宿 3)
蓮華寺境内の山腹を降りて本道脇に来ると、
説明のあった鎌刃城主の土肥三郎元頼の立派な墓がある。

そこから本堂裏手へ抜けると、
右手に霊木「一向杉」が、左手の高い所に番場の忠太郎地蔵尊がある。
「一向杉」については、
(樹齢700年の巨木で「一向杉」と呼ばれ、
開山一向上人が弘安10年(1287)遷化され荼毘にふされた跡に、
この杉は植えられたものです。
高さ30m、周囲5mを越える大木である。
現在は滋賀県の指定天然記念物になっている。)(蓮華寺)


(一向杉)


(一向杉大きすぎてカメラに納まらない)

また、番場の忠太郎については、
(戯曲「瞼の母」の作者で名高い長谷川伸が
「南無帰命頂礼親を尋ねる子には親を、
子を尋ねる親には子をめぐり合わせ給え」との悲願を込めて建立された
番場忠太郎地蔵尊が、一向杉の左の方に建っている。)(蓮華寺)
架空の人物 番場の忠太郎の地蔵尊が由緒ある寺院に建っているは珍しい。


(「親をたずねる子には親を・・・」の碑)

しかし、架空人物と言えば、長谷川伸の「沓掛時次郎」の碑が、
信濃の沓掛宿の長倉神社にあった。沓掛は今中軽井沢となっている。
ラジオしか楽しみがなかった昭和30年代までは、
親に付き合って、長谷川伸の講談や浪曲「瞼の母」や
「沓掛時次郎」の話を良く聴かされた。
また映画での思い出もある。

今となっては楽しい思い出である。

(「瞼の母」の番場の忠太郎地蔵尊)





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