中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

蕎麦切り発祥の地「本山宿」(旧中山道を歩く 156)

2008年10月25日 10時03分17秒 | 4信濃(長野県)の.旧中山道を歩く(110~1


(広重の本山宿(蕨宿にあったタイル)

(本山宿)
牧野の一里塚から500mほどで、左から来る国道19号線に合流する。
合流地点の「牧野」の信号に近づくと、
歩いてきた車道は大きく右のほうへ迂回するが、
歩行者は草むらの道を直進すると右に迂回していた車道に合流する。
ここが「牧野」の交差点で道路の反対側にセブンイレブンがある。

しばらく19号線に沿って歩くと、左側に牧野団地
(団地と言ってもマンション群があるわけではない。戸建の団地)がある。
さらに進むと大規模な本山浄水場がある。
その先で国道19号線は左にカーブし、旧中山道は右の道に入る。

((右の道に入る)

脇道に入るところに「本山そばの里」の幟旗がはためいている。
もっとも幟旗は何時風で無くなるかもしれないから、目印にはならないが、
本山は「そばきり発祥の地」であるから、「本山そばの里」を訊ねればよい。
とは言うものの、ものを尋ねる人には滅多にお目にかかれないくらい人通りが無い。

(本山宿の碑と秋葉神社の祭壇と道祖神などの石造群)

あまり案ずることはなく、少し前に進めば、
左側に「中山道本山宿」(しののめみち)と書いた案内標柱があり、
その先に小ぶりの秋葉神社と道祖神などの石造群が並んでいるのを見つけたら、
道は間違っていない。

(咲き乱れるコスモス)
道路の脇にはコスモスの花が咲き乱れ歩く旅人の心を和ませてくれる。
しばらくして右側に「本山そばの里」の幟旗が沢山はためいているところに出るので,
ぜひ本場のそばを味わってみよう。
建物はプレハブ風の簡易建物で、「蕎麦切り発祥の地」と聞くと、
何か古めかしい連子格子の重厚な建物を連想してしまうが、
本山宿の主婦(?)が集まって創めた村おこしみたいなものだから、
建物には期待しないことだ。

盛りそばは870円。
それに野沢菜、沢庵、パセリのオシタシにそば饅頭が出てきた。
信州のおそばでは、以前小諸で失敗しているので、
今回は慎重に盛りそばを注文した。

以前、失敗したのは、東京のいつもの調子で「大盛りそば」を頼んだら、
店員の方が妙な顔をしたので、
メニュウを見直してみると「もりそば」「中もりそば」「大盛りそば」がある。
中もりそばがあるということは、「大盛りそば」はかなり大盛りになると、
注文をしなおした。その時大盛りそばの量は多いですかと聞くと、
なんと「はい、1kgあります」という。
それで「盛りそば」に変更した経験があるからだ。
その盛りそばは東京で食べる「大盛り」ほどの量があった。

本山のそばも同じように東京の「大盛り」ほどの量はあったが、
とても美味しくいただいた。

(本山宿の石碑)


(古い家並み)


(古い家2)

そばを食べ終わって町の中心に向かう。
古い家並みなど興味は尽きないが、この町並みも短くすぐ町外れに出る。
途中の、町の中央辺りに中山道本山宿と書かれた石碑に出会う程度で、
本陣も脇本陣も高札場もあったのであろうが見当たらない。
両側を山に挟まれ、道路右側を川が平行して流れている美しい町である。

(町外れの高台)


(高台にあるもう一つの秋葉大権現の碑)


(小学校跡の碑)


(本山神社)


(神社脇の道祖神など石造群)

町外れの左側が高台になっており、
中段にもう一つの秋葉大権現の石塔が、
上段は小学校跡地であり、国道を陸橋で渡ると本山神社がある。
神社の屋根に大きな音を立てて、
榧(かや?)の実が落ちてきて深まる秋を感じさせる。

高台を降りてくると、向こうから中山道をうつむいて歩くひとりの旅人が寂しそうに見えた。
ボクも同じように寂しく見えるに違いない。
今後は上を向いて胸を張って楽しそうに歩こう。

本山神社を出て国道19号線に合流する。500mほどで
JRをまたぎ右へカーブする道路で19号線と別れると
日出塩の町並みである。

(長泉寺)


(優しい姿の地蔵尊)

左側に、真言宗長泉寺と優しい顔つきのお地蔵様、門前の庚申塔、
さらに進めば日出塩駅入り口があり、秋葉大権現、筆塚などの石塔がある。
わずかな距離の間に火の神様「秋葉大権現」が二箇所にあるのは、
よほど火に懲りている証拠である。
そのまま進むと道路の頭上を国道19号が追い越して行く。
中山道はすぐ先でその国道に合流するようになるが、
国道19号線には左側に歩行者用道路が無いため、
もう一度国道19号線の下を潜り抜けて、国道の右側に出る。

(筆塚もある秋葉大権現の石塔)


(木曽の大きな看板)

およそ1キロメートルも歩くと、「木曽」と書いた大きな看板に出くわす。
ここから「いよいよ木曽路」にはいる。
「いよいよ」と書いたのには訳が有る。
それは島崎藤村が書いた歴史小説「夜明け前」の
冒頭の「木曽路はすべて山の中である」の名文句が頭をよぎるからである。

ここで信濃路とはおさらば!
と言っても同じ長野県の中である。

ここから険阻な木曽路と思うとすこし気分が引き締まるのは、
きっとボクだけでは無いだろう。

ここから木曽十一宿が始まる。