まぶしい夏 太宰治グッド・バイ 森田童子

2018-06-23 03:54:57 | 森田童子
まぶしい夏 太宰治グッド・バイ 




玉川上水沿いに歩くと
君の小さな
アパートがあった

夏には窓に竹の葉が揺れて
太宰の好きな君は
睡眠薬飲んだ

暑い陽だまりの中
君はいつまでも
汗をかいて眠った

あじさいの花より鮮やかに
季節終わりの
セミが泣いた

君から借りた太宰の本は
寂しい形見に
なりました

ぼくは汗ばんだ
懐かしいあの頃の
景色をよく覚えてる



「高校教師」の森田童子死去 「ロフト」オーナーが語る謎の素顔

1993年放送のドラマ「高校教師」の主題歌「ぼくたちの失敗」などで知られるシンガー・ソングライターの森田童子さんが、心不全のため4月24日に亡くなっていたことがわかった。65歳だった。デビューは75年。森田さんをデビュー前から83年末の活動休止まで約10年間見守った、ライブハウス「ロフト」グループのオーナー、平野悠さんが振り返る。

「ここで歌えるんですか?」

 まだ20歳ぐらいだった彼女が、デモテープを手に、平野さんの前に現れた。テープを受け取っただけで、そのときの印象はあまり覚えていないそうだ。

「テープを聴いて、その声質とリアリティーのある詞に、ぶっ飛びました。しかし、当時の音楽状況の中で、これがウケるとは思えませんでした」

 平野さんが言うには、当時は日本のロックが一気に市民権を得た時代。

「これからはロックだという時代に、太宰がどうしたとか、誰かが死んだとかいうようなことを、いつもボロボロ泣きながら、顔じゅう涙で濡らしながら歌ってたんです。友達が学生運動の最中に倒れて死んだ。そのひとのことを歌いたくて始めたんだということをよく言ってました」

 そんな彼女の歌に惹きつけられた若者が、ロフトに足を運んだ。

「コートの襟立てて、ボロボロのズボンはいて、だいたい一人で……。自分の生きる意味がわからない、うまく生きられない、行き場を失った若者が救いを求めるように集う場所でした」

 本名も素顔も、謎の多いアーティストだった。

「決して寡黙ではないけど、自分のことについては、絶対に話しませんでした。服装も、黒ずくめ以外見たことなかったですね」

 83年末の新宿ロフトでのコンサートが、表舞台に姿を現した最後だったと平野さんは振り返る。活動休止から10年後、ドラマであらためて脚光を浴びた当時も、一度も彼女は表舞台に姿を現さなかった。

「『私は専業主婦です。もう人前に出て歌うことはありません』と言い、ステージに出なかった。彼女の美学だよね」

(本誌・太田サトル)

※週刊朝日 2018年6月29日号





























































































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