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リラの花咲く頃

2023-10-02 07:21:39 | 懐かしのメロディー
岡本敦郎


森昌子 


「リラの花咲く頃」、原曲はフランスのシャンソン。




クリスティアン・ボレル


 Wenn der weiße Flieder wieder blüht

Frühling, Frühling, Frühling, wer dich liebt wie ich.
Frühling, Frühling, Frühling, voll Glück erwart' ich dich!
Oh schein in mein Stübchen recht bald nur hinein,
mein Schatz hat schon Sehnsucht nach dir!
Er sagt: Ich brauch' Sonne um glücklich zu sein,
dann wünsche dir alles von mir.

Wenn der weiße Flieder wieder blüht,
sing' ich dir mein schönstes Liebeslied.
Immer, immer wieder knie ich vor dir nieder,
trink mit dir den Duft vom weißen Flieder.
Wenn der weiße Flieder wieder blüht,
küss' ich deine roten Lippen müd'.
Wie im Land der Märchen werden wir ein Pärchen
wenn der weiße Flieder wieder blüht.

Liebling, Liebling, Liebling, zieht erst der Lenz ins Land
Liebling, Liebling, Liebling, dann werden wir verwandt
Der Lenz ist der Priester, der uns zwei vereint
Die Sonne ist unser Altar
Wenn sie uns mit goldenen Strahlen bescheint
Dann sind wir das glücklichste Paar

Wenn der weiße Flieder wieder blüht,
sing' ich dir mein schönstes Liebeslied.
Immer, immer wieder knie ich vor dir nieder,
trink mit dir den Duft vom weißen Flieder.
Wenn der weiße Flieder wieder blüht,
küss' ich deine roten Lippen müd'.
Wie im Land der Märchen werden wir ein Pärchen
wenn der weiße Flieder wieder blüht.



     白いリラのまた咲く頃

春よ、春、春、私ほどおまえを好きな者はない。
春よ、春、春、幸せに満ちて私はおまえを待つ!
早くぼくの部屋の中にも入って来ておくれ、
ぼくの恋人がおまえを待ちわびているのだよ!
お日さまなしでは幸せな気持ちになれないわ、
お願いだから頼みを聞いて、と言いながら。

白いリラのまた咲く頃、
ぼくはきみに美しい愛の歌を歌ってあげる、
なんどもきみの前にひざまずき、
きみと一緒に白いリラの香りをかごう。
白いリラのまた咲く頃、
ぼくはきみの赤い唇に思い切り口づけよう。
おとぎの国にいるようにぼくらはカップルになる、
白いリラのまた咲く頃。

ああ、愛しい人よ、春がこのまちにやって来たら
ああ、愛しい人よ、ぼくらはやっと親しくなれる。
春はぼくらを結び合わせてくれる司祭さまだ。
お日さまはぼくらの祭壇だ、
ぼくらを金色の光で照らしてくれるとき
ぼくらは最高に幸せなカップルになるのだ。

白いリラのまた咲く頃、
ぼくはきみに美しい愛の歌を歌ってあげる、
なんどもきみの前にひざまずき、
きみと一緒に白いリラの香りをかごう。
白いリラのまた咲く頃、
ぼくはきみの赤い唇に思い切り口づけよう。
おとぎの国にいるようにぼくらはカップルになる、
白いリラのまた咲く頃。
(訳:船津 建)





香水の原料になるほど甘くやさしい香りを放つリラ(ライラック)。

花びらの1つ1つは小さいのですが、穂のようになって咲く姿はとても印象的です。

花びらが放つよい香りや庭・鉢のどちらでも育てられる使い勝手のよさから、ガーデニングでも人気がありますよね。

開花時期は4~6月で、栽培が盛んな北国では5月下旬~7月が見頃の時期になります。

花言葉は・・・

紫色のリラ(ライラック)

『愛の芽生え』『初恋』

 
白色のリラ(ライラック)

『青春の喜び』『無邪気』







































































































































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純情二重奏

2023-09-16 05:18:05 | 懐かしのメロディー
高峰三枝子  


天童よしみ



1 (女)
  森の青葉の 蔭に来て
  なぜに淋しく あふるる涙
  想い切なく 母の名呼べば
  小鳥こたえぬ 亡き母こいし

2 (男)
  君もわたしも みなし子の
  ふたり寄り添い 竜胆(りんどう)摘めど
  誰に捧げん 花束花輪
  谺(こだま)こたえよ 亡き母こいし

3 (女)
  母の形見の 鏡掛け
  色もなつかし 友禅模様
  抱けばほほえむ 花嫁すがた
   むかし乙女の 亡き母こいし


4 (男女)
  春は燕(つばくろ) 秋は雁(かり)
  旅路はてなき みなし子二人
  合わす調べに 野の花揺れて
  雲も泣け泣け 亡き母こいし




松竹の歌謡映画『純情二重奏』の主題歌です。
 
声楽家への夢を抱く栄子を高峰三枝子、ライバルの八千代を木暮実千代が演じました。

監督は佐々木康で、ほかに松原操、伊藤久男、淡谷のり子、松平晃、二葉あき子、霧島昇など、昭和の歌謡界を代表する歌手が数多く出演しました。

全歌詞、快調そのものですが、わけても4番の「春はつばくろ、秋は雁/旅路はてなき、みなし子二人……」は、みごとというほかありません。

限定された音数でこれだけ流麗でドラマ性を感じさせる歌詞を書ける西條八十氏のような人は、もう現れそうにありません。

3番の「鏡掛け……友禅模様」でイメージが浮かぶ人はどのくらいいるでしょうか。

マスターはときどきですが、少女時代から青春時代の母はどんなふうだったろうと想像してみることがあります。(笑)












































































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青い山脈

2023-09-14 16:28:44 | 懐かしのメロディー
小柳ルミ子


石川さゆり


 舘ひろし 



若くあかるい歌声に
雪崩(なだれ)は消える 花も咲く
青い山脈 雪割桜(ゆきわりざくら)
空のはて 今日もわれらの夢を呼ぶ

古い上衣(うわぎ)よ さようなら
さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ
あこがれの 旅の乙女に鳥も啼く

雨にぬれてる焼けあとの
名も無い花もふり仰ぐ
青い山脈 かがやく嶺の
なつかしさ 見れば涙がまたにじむ

父も夢見た 母も見た
旅路のはての その涯の
青い山脈 みどりの谷へ
旅をゆく 若いわれらに鐘が鳴る




敗戦後、大衆文化の世界では、軍国主義の重苦しい桎梏(しっこく)から解き放たれた喜びを謳歌する作品が次々と生まれました。

歌謡曲でそうした風潮を代表したのが「りんごの歌」と「青い山脈」。

「青い山脈」は、昭和24(1949)年、同名の映画の主題歌として作られましたが、映画の完成が遅れたため、
藤山一郎と奈良光枝のデュエットで

一足先に発売され、爆発的にヒットしました。


藤山一郎  奈良光枝 さん 

このB面にあったのが「恋のアマリリス」です。


恋のアマリリス  


あまり知られませんでしたが、この時代に青春を過ごした人びとの一部でカルト的な人気を博しています。

青い山脈、映画は石坂洋次郎の朝日新聞連載小説が原作です。

古く封建的な考えの残る地方の女学校に赴任してきた新任の女教師が、生徒間の争いの仲裁をしたことから、町の封建勢力と対決せざるをえなくなり、

彼女の新しい考え方に共鳴した教師や生徒たちの協力を得ながら古い考えに立ち向かっていく、というお話。








































































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湖畔の宿

2023-09-13 04:32:54 | 懐かしのメロディー
石川さゆり 



山の淋しい湖に
ひとり来たのも悲しい心
胸の痛みにたえかねて
昨日の夢と焚き捨てる
古い手紙のうすけむり

水にたそがれせまる頃
岸の林を静かにゆけば
雲は流れてむらさきの
薄きすみれにほろほろと
いつか涙の陽がおちる

ランプ引きよせふるさとへ
書いて又消す湖畔の便り
旅の心のつれづれに
ひとり占うトランプの
 青いクィーンの寂しさよ




「湖畔の宿」は1940年(昭和15年)に高峰三枝子さんが唄いヒットした歌謡曲です。



高峰三枝子

 

詩人佐藤惣之助が作詞、服部良一の作曲。

曲はヒットしましたが、感傷的な曲調と詞の内容が日中戦争戦時下の時勢に適さないとして、まもなく発売禁止となりました。

しかし前線の兵士には人気があり、慰問でも多くのリクエストがあったということです。

ところで曲の舞台の「湖」、ここがどこであるのか、当時からさまざまな憶測がなされ、諏訪湖(長野県)、浜名湖(静岡県)、山中湖(山梨県)などが

候補とされてきました。

ちなみに、歌い手の高峰は芦ノ湖(神奈川県)をイメージしていたそうです。

後年、作詞者の佐藤惣之助は、「湖畔の宿」は榛名湖をモチーフにして作詞したものだとで明かし決着、榛名湖の地元では、

「湖畔の宿」を観光客誘致に活かそうと、湖畔に「湖畔の宿記念公園」を整備しました。

 ここには近づくと自動的に曲が流れる歌碑や、ハンドルを引くと曲が流れるフェンスなどが設けられているそうです。






















































































































































 

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あゝ新撰組  

2023-09-11 01:43:52 | 懐かしのメロディー
三橋美智也 



加茂の河原に 千鳥が騒ぐ
またも血の雨 涙雨
武士という名に 生命(いのち)をかけて
新撰組は きょうも行く

恋も情けも 矢弾(やだま)に捨てて
軍(いくさ)重ねる 烏羽伏見
ともに白刃を 淋しくかざし
新撰組は 月に泣く

菊のかおりに 葵が枯れる
枯れて散る散る 風の中
変わる時勢に 背中を向けて
新撰組よ どこへ行く





新選組は、江戸時代末期(幕末)に、京都において反幕府勢力を取り締まる警察活動に従事したのち、旧幕府軍の一員として戊辰戦争を戦った武装組織です。

幕末の京都は政治の中心地であり、諸藩から尊王攘夷・倒幕運動の志士が集まり、従来から京都の治安維持にあたっていた京都所司代と京都町奉行だけでは

防ぎきれないと判断した幕府は、清河八郎による献策で浪士組の結成を企図します。

江戸で求人したあと、京に移動、しかし清河の演説でその本意を知った近藤勇や芹沢鴨らが反発、京都守護職の会津藩主・松平容保の庇護のもと、

新撰組として発足しました。

同様の配下の京都見廻組が幕臣(旗本、御家人)で構成された正規組織であったのに対して、新選組は浪士(町人、農民身分を含む)で構成された

「会津藩預かり」という非正規組織。

隊員数は、前身である壬生浪士組24名から発足し、新選組の最盛時には200名を超えます。

任務は、京都で活動する不逞浪士や倒幕志士の捜索・捕縛、担当地域の巡察・警備、反乱の鎮圧などでしたが、その一方で、商家から強引に資金を提供させたり、

隊の規則違反者を次々に粛清するなど内部抗争を繰り返したようです。

慶応3年(1867年)6月に幕臣に取り立てられますが、翌年に戊辰戦争が始まると、旧幕府軍に従い転戦します。

しかし、初戦の鳥羽・伏見の戦いで新政府軍に敗北し、榎本武揚が率いる幕府所有の軍艦で江戸へ撤退。

この時期、戦局の不利を悟った隊士たちが相次いで脱走し、戦力が低下しました。

新選組は宇都宮城の戦い、会津戦争などに参加しますが敗れ、残ったる隊士たちは蝦夷地へ・・・

そこで、先に向かっていた榎本らに合流、二股口の戦いなどで活躍します。

しかし、箱館に進軍して来た新政府軍と戦い、土方が銃弾に当たり戦死、旧幕府軍は箱館の五稜郭において新政府軍に降伏します。

明治時代は、新選組と敵対していた薩長出身者が政治の実権を握っていたこと、また皇国史観の影響により、賊軍となった新選組を否定する風潮が

強かったそうです。

大正時代に大佛次郎が著した小説『鞍馬天狗』でも、新選組は悪役として描かれています。

ただ講談の影響でしょうか、庶民からは新撰組にも一定の人気があり、『鞍馬天狗』の中でも近藤勇だけは他の隊士と違って人格者の豪傑として描かれていたとか。

昭和3年(1928年)に『新選組始末記』(子母澤寛)、『新撰組史録』(平尾道雄)が刊行されると、新選組は再評価され始めます。

戦後になると映画やテレビドラマで新選組が主役に扱われることも多くなり、各隊士にもスポットが当てられるようになります。

そして、昭和40年代に放送された『新選組血風録』、『燃えよ剣』(司馬遼太郎原作、栗塚旭主演)は新選組ブームを起こすのです。































































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銀座の雀 

2023-09-10 03:34:48 | 懐かしのメロディー
加藤登紀子



「たとえどんな人間だって
心の故郷があるのさ
俺にはそれがこの街なのさ
春になったら細い柳の葉が出る
夏には雀がその枝で啼く
雀だって唄うのさ
悲しい都会の塵の中で
調子っぱずれの唄だけど
雀の唄はおいらの唄さ」

銀座の夜 銀座の朝
真夜中だって 知っている
隅から隅まで 知っている
おいらは銀座の 雀なのさ
夏になったら 啼きながら
忘れものでも したように
銀座八丁 飛びまわる
それでおいらは 楽しいのさ

『すてばちになるには
余りにも明るすぎる
この街の夜この街の朝にも
赤いネオンの灯さえ
明日の望みにまたたくのさ
昨日別れて今日は今日なのさ
惚れて好かれてさようなら
後にはなんにも残らない』

春から夏 夏から秋
木枯しだって 知っている
霙(みぞれ)のつらさも 知っている
おいらは銀座の 雀なのさ
赤いネオンに 酔いながら
明日ののぞみは 風まかせ
今日の生命に 生きるのさ
 それでおいらは うれしいのさ 




この曲は昭和25年にラジオ番組”愉快な仲間”でスタッフの一員だった野上彰がバーの壁に落書きした詩に音楽担当の仁木他喜雄が曲を付けて

”酔っぱらいの町”という曲名で歌手の藤山一郎が歌い、その後昭和30年に映画の主題歌として”銀座の雀”という曲名で森繁久彌が歌い、大ヒット曲となりました。

 

銀座の雀 森繁久彌


実はこの曲、昭和30年、川島雄三監督による日活映画『銀座二十四帖』に使われていた主題歌。

オープニングは森繁さんが歌って、劇中ではアコーディオン弾きの男と、ギターを爪弾く女による二人組の流しが、銀座のクラブの中で歌うという

設定になっていて、男は『若者よ!恋をしろ』の中島孝、女の方は『君の名は』の織井茂子という豪華版でした。

さて、森繁さんは(一番で言えば)「たとえどんな人間だって」から「雀の唄はおいらの唄さ」までの前半部は台詞の如く語るように歌い、

「春から夏 夏から秋」の後半部は2拍子をとるように力強く歌い、最後の「それでおいらは 楽しいのさ」は再び台詞の如く締めています。

歌に表情のあるような、そんな歌い方をする人なんだとつくづく思いますよね。

聴けば聴くほど、この『銀座の雀』は森繁さんらしさが最もよく表されている曲のような気がします。


ところで、雀など鳥類の「賢さ」ってご存知でしょうか。

ある研究家の話では、

鳥類は、餌を取ったりその他の問題を解決したりするために、道具を作ったり使ったりすることができる他、鏡に映った自らを認識したり、

未来の必要性に向けて計画的に動いたりすることもできる。
 
知性と神経の数との関連性は、強固に確立されてはいない、ただ、脳の大きさでははるかに上回る哺乳類より、同じ数の神経を有する鳥の脳の方が、

重量毎の「認識力」がより大きい可能性がある。

・・・そうです。

たしかに、犬・猫を飼っていたマスター、最近、セキセイインコを雛から育てていますが、その賢さにはビックリしています。

餌は必要以上、絶対食べませんし、鳥かごから出して遊ばせてくれるタイミングも覚えています。(笑)





































































































































































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流転

2023-09-07 03:25:32 | 懐かしのメロディー
島津亜矢 




男命を みすじの糸に
かけて三七(さんしち) 二十一(さいのめ)くずれ
浮世かるたの 浮世かるたの
浮沈み

どうせ一度は あの世とやらへ
落ちて流れて 行く身じゃないか
鳴くな夜明けの 鳴くな夜明けの
渡り鳥

意地は男よ 情は女子(おなご)
ままになるなら 男を捨てて
俺も生きたや 俺も生きたや
 恋のため 


 


この曲は、1937年(昭和12年)に封切られた松竹作品「流転」の主題歌でした。

映画は、井上靖の小説に基づいて制作された時代劇・・・
 
天保年間、「勧進帳」で使う曲の変更を巡って市川海老蔵と対立した三味線弾き・新二郎が出奔、旅芸人・お秋の養父を

殺してしまったのが原因でやくざに身を落とします。

しかし、三味線演奏が忘れられず、江戸に戻る……といった、芸談と股旅物をミックスしたような内容。
  
1番の二十一はサイコロの目、1~6の合計。

二十一だから、九九を使って三七としゃれたわけです。

 「命を懸ける」と「数字を掛ける」の語呂合わせにもなっています。















































































































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有楽町で逢いましょう

2023-08-12 21:02:24 | 懐かしのメロディー
フランク永井


石川さゆり 


天童よしみ  



あなたを待てば 雨が降る
濡れて来ぬかと 気にかかる
ああビルのほとりのティールーム
雨もいとしや唄ってる
甘いブルース
あなたとわたしの合言葉
有楽町で逢いましょう

こころにしみる 雨の唄
駅のホームも 濡れたろう
ああ小窓にけむる デパートよ
今日の映画(シネマ)は ロードショー
かわすささやき
あなたとわたしの合言葉
有楽町で逢いましょう

かなしい宵は 悲しよに
燃えるやさしい 街灯り
ああ命をかけた 恋の花
咲いておくれよ いつまでも
いついつまでも
あなたとわたしの合言葉
有楽町で逢いましょう





有楽町で逢いましょうは、1957年7月に発表されたフランク永井の楽曲です。

加えて、日本の百貨店・そごうの宣伝キャンペーンにおけるキャッチフレーズでもあります。

当時、大阪府大阪市が地盤の百貨店・そごうは、東京へ進出する際、出店地候補の一つとして有楽町を検討、そして、社内での検討の結果、有楽町駅付近への出店を

正式に決定します。

物件探しで手間取っていたところに読売新聞が自社物件・読売会館を提供、そして有楽町そごうの開店予定は1957年5月と決まります。

そごうは開店後の客足の増加・定着を狙い、有楽町全体のさらなる活性化をはかり、宣伝部長・豊原英典以下宣伝部を挙げて「有楽町高級化キャンペーン」を

企画しました。

豊原は企画段階でアメリカ合衆国の映画「ラスヴェガスで逢いましょう」からタイトルを拝借して「有楽町で逢いましょう」のキャッチフレーズを提案し、

採用が決定。

並行して、後述する各種マスメディアとの提携(タイアップ)を通じ、「有楽町高級化キャンペーン」を展開します。

そのキャンペーンが功を奏し、「有楽町で逢いましょう」のフレーズは当時の流行語となり、そごう開店前に有楽町の認知度は上昇しました。

開店初日の天候は雨でしたが、30万人以上の来店客でにぎわったそうですよ。



























































































































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思い出の星空

2023-07-29 00:57:22 | 懐かしのメロディー
寺内タケシ&バニーズ


テリーズ





失われた30年とは、バブル崩壊後の90年代初頭から現在までの期間を指します。

この30年間は高度経済成長期や安定成長期のような成長が見られず、経済の低迷や景気の横ばいが続いているのです。
 
日経平均株価の89年12月29日の終値は3万8915円87銭でしたが、2019年12月30日の終値は2万3656円62銭。

昨日の平均株価終値は3万2759円23銭。

マスターは株をやらないので株価のことは分かりませんが、株価が高いから景気がいいとか、収入が増えるとかは、庶民には関係ないことだけは分かります。(笑)
 
さて、失われた30年の原因については諸説あり、いろいろ言われております。

そして、多くの専門家が指摘するのは「問題の根本的解決なしでは、失われた30年は失われた40年・50年になる」という危機感です。

星空を失った30年、さらに続く数10年、思い出の星空、早く見たいものです。



















































































































































































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戦友

2023-07-19 01:02:15 | 懐かしのメロディー
鶴田浩二


美空ひばり


ここは御国を何百里 離れて遠き満州の
  赤い夕陽に照らされて 友は野末の石の下

思えば悲し昨日まで 真っ先駆けて突進し
  敵をさんざん懲らしたる 勇士はここに眠れるか

ああ戦いの最中に 隣に居ったこの友の
  にわかにはたと倒れしを 我は思わず駆け寄りて

軍律厳しい中なれど これが見捨てておかりょうか
  しっかりせよと抱き起こし 仮包帯も弾の中

おりから起こる吶喊に 友はようよう顔上げて
  御国のためだかまわずに 遅れてくれなと目に涙

あとに心は残れども 残しちゃならぬこの体
  それじゃ行くよと別れたが 永の別れとなったのか

戦い済んで日が暮れて 探しに戻る心では
  どうか生きていてくれと 物なと言えと願うたに

虚しく冷えて魂は 国へ帰ったポケットに
  時計ばかりがコチコチと 動いているのも情けなや

思えば去年船出して 御国が見えずなった時
  玄界灘に手を握り 名を名乗ったが始めにて

それより後は一本の 煙草も二人分けてのみ
  着いた手紙も見せ合うて 身の上話繰り返し

肩を抱いては口癖に どうせ命はないものよ
  死んだら骨を頼むぞと 言い交わしたる二人仲

思いもよらず我一人 不思議に命永らえて
  赤い夕陽の満州に 友の塚穴掘ろうとは

隈なく晴れた月今宵 心しみじみ筆とって
  友の最期をこまごまと 親御へ送るこの手紙

筆の運びは拙いが 行燈の陰で親たちの
  読まるる心思いやり 思わず落とすひとしずく





全14番の詞から成り立っており、何故か、関西の児童たちの家庭から女学生の間で流行していた事もあった軍歌です。

やがて演歌師によって全国に普及してゆきます。

哀愁に満ちた歌詞、郷愁をさそうメロディーなどから太平洋戦争中は禁歌でしたが、下士官・古参兵は「今回で戦友を歌うのをやめる、最後の別れに唱和を行う。」

と度々行い、それを士官・上官によって黙認された場合もあり、兵隊ソングとして認知されていたそうです。

戦後連合国軍最高司令官総司令部は一切の軍歌を禁止していましたが、一兵卒の悲劇を歌うこの歌は国民から愛され続けてゆきます。



複雑な真実より、分かり易い嘘が好き

絶望の真実より、希望の嘘に飛びつく人が多い

何の行動を起こさなくとも、明日もまた今日と同じ日が来ると信じている

そうじゃない現実を何度も見てきたのに



某ドラマで官僚が語っていた言葉です。

この曲を聴いて皆様はどう思われたでしょうか・・・













































































































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三百六十五夜

2023-07-18 00:15:23 | 懐かしのメロディー
舟木一夫


本間千代子 


天童よしみ



みどりの風に おくれ毛が
やさしくゆれた 恋の夜
初めて逢うた あの夜の君が
今は生命を 賭ける君

たそがれ窓に 浮ぶのは
いとしき人の 旅すがた
我ゆえ歩む 道頓堀の
水の夕陽が 悲しかろ

鈴蘭匂う 春の夜
灯うるむ 秋の夜
泣いた 三百六十五夜の
愛の二人に 朝が来る




この曲「三百六十五夜」は、昭和23年に公開された新東宝の同名映画の主題歌です。

映画は雑誌「ロマンス」に連載された小島政二郎の恋愛小説の映画化で、出演は上原謙、山根寿子、高峰秀子、堀雄二など。
 
古賀メロディーの傑作の1つなのに、最近では知る人も少なくなりました。
 
原曲を歌った霧島昇と松原操は、『旅の夜風』をいっしょに歌ったのが縁となって結婚、「一杯のコーヒーから」など多くのヒットを飛ばしています。

松原操は子育てをするため、この歌を最後に引退して、専業主婦となりました。
 
2番の「道頓堀の」が「箱根の峠」となっているヴァージョンもあります。

これは後年、美空ひばり主演で映画が作られたとき、その内容に合わせて「箱根の峠」と変えられたことによるようです。






































































































































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並木の雨 

2023-07-17 07:17:12 | 懐かしのメロディー
ミス・コロンビア




並木の路に 雨が降る
どこの人やら 傘さして
帰る姿の なつかしや

並木の路は 遠い路
いつか別れた あの人の
帰り来る日は いつであろ

並木の路に 雨が降る
何処か似ている 人故に
後姿の なつかしや





この曲「並木の雨」は 昭和9年(1934)7月に、コロムビアからレコード発売されました。
 
歌ったのはミス・コロムビア(本名 松原操)。
 
戦前のクラシックを教える音楽学校はどこも、歌謡曲という「低俗な音楽」をレコーディングしたり、舞台で歌ったりする学生は、

退学処分などのペナルティを科せられるのが普通でした。
 
たとえば、東洋音楽学校(現・東京音大)出身の淡谷のり子は、歌謡曲を歌ったのが卒業後だったにもかかわらず、母校の名誉を汚したとして

卒業生名簿から削られています(のちに復籍)。
 
こうしたことを考慮して、コロムビアレコードは、東京音楽学校(現・東京芸大音楽学部)を卒業したばかりの松原操を、ミス・コロムビアという

覆面歌手としてデビューさせました。
 
覆面歌手というのは、正体をいっさい公表しないだけでなく、レコードジャケットや宣伝写真に載せる顔写真も目隠しして売り出すといった作戦です。
 
作戦は図にあたり、ミス・コロムビアは以後、「十九の春」「並木の雨」「旅の夜風」「一杯のコーヒーから」「目ン無い千鳥」などのヒット曲を連発します。
 
昭和15年、カタカナの芸名を禁止する内務省の指令により、本名の松原操で歌うようになります。

太平洋戦争中は多くの軍国歌謡を歌いました。
 
戦後も人気は衰えませんでしたが、夫の霧島昇を支え、家事に専念するため、昭和23年の「三百六十五夜」を最後に芸能界を引退します。

これだけの名曲、多くの方がカバーされていますが、またまたマスターンの独断と偏見でつぎの3人の歌手の歌をUPしました。(笑)



美空ひばり  


八代亜紀  
 

井上ひろし  





























































































































 

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ゴンドラの唄

2023-07-16 02:32:27 | 懐かしのメロディー
小林旭


藤圭子


 森昌子 




いのち短し 恋せよ少女(おとめ)
朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを

いのち短し 恋せよ少女
いざ手をとりて 彼(か)の舟に
いざ燃ゆる頬を 君が頬に
ここには誰れも 来ぬものを

いのち短し 恋せよ少女
波に漂う 舟の様(よ)に
君が柔手(やわて)を 我が肩に
ここには人目も 無いものを

いのち短し 恋せよ少女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを



作詞:吉井勇、作曲:中山晋平、唄:松井須磨子・・・

松井須磨子は、明治19年(1886)3月8日、長野県松代に生まれ、上京して、早稲田大学教授・島村抱月が主宰する劇団「文芸協会」の俳優養成所に入りました。

初公演『ハムレット』のオフィーリアで認められ,続いて『人形の家』のノラなどで成功を収め、劇団のスターとなります。

その間、妻子ある師・島村抱月と恋愛関係に入ったことで、世の非難を浴び、文芸協会から追放されますが、それに屈することなく、同じく早大を追われた抱月と

ともに、劇団「芸術座」を結成、以後、女座長として毎公演主役を演じました。

それらの公演では、須磨子が劇中歌を歌うのが特色で、とくに「復活」で歌われた「カチューシャ の唄」や、「その前夜」の「ゴンドラの唄」、「生ける屍」の

「さすらいの唄」は、大評判になります。

これらの歌を作曲したのが、長野県から上京して、抱月の書生になっていた中山晋平。

中山晋平は、これらの作曲によって一躍有名作曲家となり、以後「船頭小唄」「出船の港」「東京行進曲」「東京音頭」などのヒット曲を次々と発表します。

「ゴンドラの唄」の作詞者は、明星派の歌人として出発し、石川啄木などとともに、文芸誌『スバル』の創刊に当たった吉井勇です。

吉井勇は、伯爵家の次男に生まれましたが、長男が早世したため、嗣子となりました。

しかし、放蕩と情痴に日々を過ごしたあげく、爵位を返上し、晩年を京都で過ごすことに・・・。

「人の世にふたたびあらぬわかき日の宴のあとを秋の風ふく」(『酒ほがひ』)などの名歌を数多く残しています。

 大正7年(1918)11月5日、抱月は折から蔓延していたスペイン風邪のため急逝、須磨子は『カルメン』の公演を続けましたが、翌大正8年(1919)1月5日、

芸術座の道具部屋で自殺しています。















































































































































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明治一代女

2023-07-15 21:29:01 | 懐かしのメロディー
明治一代女




浮いた浮いたと 浜町河岸に
浮かれ柳の はずかしや
人目しのんで 小舟を出せば
すねた夜風が 邪魔をする
 
  (台詞)
   巳之(みの) さん堪忍して下さい。
   騙(だま)すつもりじゃなかったけど、
   どうしてもあの人と別れられない
   このお梅の気持ち、
   騙したんじゃない、騙したんじゃない…。
   ア、巳之さん、お前さん、何をするの、
   危ない! 危ない! 堪忍して、か……
   ア、巳之さん、巳之さん、
   あたしは大変なことをしてしまった。

怨みますまい この世の事は
仕掛け花火に 似た命
もえて散る間に 舞台が変わる
まして女は なおさらに

意地も人情も 浮世にゃ勝てぬ
みんなはかない 水の泡沫(あわ)
泣いちゃならぬと 言いつつ泣いて
月にくずれる 影法師





柳橋の芸者叶家お梅と人気役者の沢村仙枝は、将来を誓い合う深い仲だった。

門閥外の出身ながら努力が認められた仙枝は、来る正月に三代目仙之助の襲名披露を控える。

愛する仙枝のため、披露に必要な費用を手助けしたいお梅だが……。

人気役者を独り占めにされて快く思わない芸者たちの中でも権勢を誇る秀の家秀吉は殊更お梅に嫉妬している。

芝居見物の日には、鉢合わせたお梅に向かい仙枝の襲名披露のことで皮肉と冷笑を浴びせる。

満座での嘲笑、辱められる女の意地。

そんなところへ、お梅を慕う箱屋の巳之吉が近づき、お梅に金の工面を申し出る。

夫婦になるとの条件つきで……。

愛するが故に、仙枝との恋を諦める決心をするお梅。

お梅の心変わりを怒る仙枝。

故郷の田畑を売り払い、全てを投げ打って慕い寄る巳之吉。

愛と義理の葛藤に苦しむお梅。

そして、浜町河岸の雪の夜……

女の意地が燃えあがる 明治時代の実際に起きた事件を題材に川口松太郎が描き出した新派、珠玉の名作でした。









































































































































































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浪花流転

2023-07-15 14:49:25 | 懐かしのメロディー
浪花流転



恋は命か涙の花か

逢いに来ました法善寺

どこに居るやら

影を引きずる女の胸に

夜の浪速のしのび雨

・・・・・




浪速 ・・・

摂津国東成郡・西成郡一帯の古称で、現在は南隣の住吉郡の旧郡域を含め大阪市域の古称・別称として定着しています。

流転・・・

仏語。六道・四生の迷いの生死を繰り返すこと。生まれ変わり死に変わって迷いの世界をさすらうこと。







































































































































 

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