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おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんと 盆が早(はよ)くりゃ早もどる
おどまかんじんかんじん あん人たちゃよか衆(し) よか衆よか帯 よか着物(きもん)
おどんがうっ死(ち)んちゅうて 誰(だい)が泣(に)ゃてくりゅか 裏の松山蝉が鳴く
蝉じゃごんせぬ 妹(いもと)でござる 妹泣くなよ 気にかかる
おどんがうっ死んだら 道ばちゃいけろ 通る人ごち花あぎゅう
花はなんの花 つんつん椿 水は天からもらい水
原曲は熊本県球磨(くま)郡五木(いつき)村の古謡。
長い間、地元の住民か民謡の専門家しか知らない曲でしたが、昭和25年、古関裕而が採譜・編曲して、NHKラジオの放送終了時に、自らハモンドオルガンを
弾いて 放送してから、全国に広まりました。
その後、民謡歌手の音丸や照菊が歌ってヒットし、多くの人びとに愛唱されるようになりました。
ところで、赤ちゃんは、コウノトリが運んでくるのよ、って子どもの頃に教えてもらって、そのことを長い間、信じていた純真な人が多いのじゃないでしょうか。
そういうマスターも、ほんのつい最近まで、そう思っていましたから、 もっとも最近がいつのことかは、ともかくとして。(笑) ところで、コウノトリが、赤ちゃんと幸せを運んでくるという伝説の発祥は、ドイツなどのヨーロッパ諸国といわれていますが、ヨーロッパのコウノトリは、
生物学的に正しくはコウノトリの近縁種のシュバシコウという鳥で、姿や羽色、生態などはコウノトリとよく似ていますが、くちばしが赤いのが特徴です。 コウノトリやシュバシコウは、白鳥などと同じく、繁殖地から越冬地に渡っていく渡り鳥の仲間なんですが、環境が生息するのに適した地域では、
繁殖地で留まる「留鳥」となるために、地域によっては年中見かけることがあります。 それゆえ、人をあまり怖れずに、人里近くの池や川辺や水田などで餌をついばんで、松などの木の上に、オスとメスがいっしょに巣づくりをして、仲むつまじく
ヒナを育てる姿を見せるため、それが、赤ちゃんを運んでくるという伝説として広まったのでしょうか。 ところで、コウノトリが、我が国の特別天然記念物に指定されたのは、1956年(昭和31年)ですが、それから、わずか15年後の1971年(昭和46年)には、
我が国の野生のコウノトリ、つまり日本の自然の中で生まれ育ち繁殖するコウノトリは姿を消してしまいます。 農薬の影響などにより、餌となるドジョウなどが激減し、また営巣するための木が減少するなど、コウノトリにとっての生育環境が悪化したためです。 近年になって、環境意識の高まりとともに、人と自然の共生が再認識されて、最後の野生コウノトリの生息地であった兵庫県の豊岡市を中心に、コウノトリの
野生復帰の試みがなされています。 一方、人間様の方の状況はといえば、1971(昭和46年)から1974年(昭和49年)の間は、いわゆる団塊の世代の子どもたちの第二次ベビーブームでした。 コウノトリが姿を消したのは、きっと第二次ベビーブームの到来で赤ちゃんを運搬するのが忙しくなるのが嫌だったからだという、うわさもあったとか、
なかったとか、そりゃないでしょうね。(笑) そして、マスターが初めてパパと呼ばれた1990年(平成2年)頃には、合計特殊出生率、つまり1人の女性が一生の間に産む子供の数が、子どもを産み控えて
出生率が落ちる丙午(ひのえうま)の年よりも、さらに少ない1.57に落ち込みました。(人口維持に必要な合計特殊出生率は、2.07と言われています) さらに、2002年(平成14年)には、合計特殊出生率が1.29にまで落ち込みました。 この合計特殊出生率が、1.29のままに推移すれば、西暦3000年代には、統計数値上、日本の人口がゼロになり、日本人全滅という予測も出ました。 そこで、ニッポンジンも、ニッポニア・ニッポン=朱鷺(とき)やコウノトリと同じように、全滅危惧種や別天然記念物に指定して保護するかどうかで、
厚生労働省で検討したとか、しなかったとか、そりゃしないでしょうね。(笑) そういえば、ヨーロッパには、人間の赤ちゃんはキャベツ畑で生まれるという伝説もあります。
つまるところ、キャベツ畑から、コウノトリが運んでくるということにつながる連作昔話のようです。(笑) それでは、日本の場合は、代表的な昔話の桃太郎の桃のように、川が運んでくるのでしょうか。 「おまえは橋の下から拾ってきたのよ」と親や兄姉から言われたことがあるという経験を持つ人が多いということは、それはきっと、川が赤ちゃんを運んでくる、
という 発想が根底にあるからなのかもしれません。 これは民俗学的に研究の余地がありますね。
余地はありますが価値があるか知りませんが。(笑) ところで、星が空から落ちてきて、お母さんのお腹に入って、赤ちゃんになるというような話しになると、かなり、オトメチックな発想、メルヘンチックな物語、
と 考えがちですが、案外、女性には、そのような想いをもたれる方も多いのではないかとも思います。 もちろん、妊娠経験の無いマスターの想像に過ぎなくて想像妊娠の世界ですが。(笑) 男性としたら、女性の突き出てくるお腹を見ていても、あるいは動いたと言われてさすっても、まだそれは女性の身体の一部のような感じがするものです。 男性の方は、母子が身体的に分離される出産によって、初めて父子としての関係が生ずるというか、主張できるような気がします。 しかし、女性の方にすれば、十月十日もの間、すでに胎児との間で、母子としての関係が、厳然と存在しているのでしょうね。 そういう意味では、天空の星のいのちが、母のもとへ降り立ちて、不思議にも、いのちとして宿るというのが、母性としての実感なのかもしれません。 もちろん、母性というものは、女性に必ず備わっているというのは一般論に過ぎなくて、最近の愚かな母親たちは、母性のかけらも無いように、
自己中心的に走り、子どもを虐待したり、死に至らしめたりすることがあるようです。 そういえば、子授け、安産、子育ての仏教の守護神である鬼子母神も、はじめは、子の母でありながら、常に他人の子を捕えて食べてしまうために、
釈迦が、 彼女が最も愛していた子を隠して、子を失う母親の苦しみを悟らせて、仏教に帰依させたと言います。 つまり、母が母たる源である母性というものは、もちろん女性の生理的、身体的な機能に基づく先天的な特性であるにしても、その母性を真に豊かなものに
形成させていくかどうかは、後天的に得るさまざまな知識や経験、環境によるところの影響に大きく依存するものといえるでしょう。 子を産めば、母となるのではなく、母になろうとしなければ母にはならないのです。
それは父性も同じことだと思います。
子を成して、父となるのではなく、父になろうとしなければ、父たりえないのです。 子育て、育児を通じて、親である自覚のもとで、親として自らを育てないといけないのです。 育児が育自ともいわれる所以です。 そして、親は無くとも子は育つ、という一方で、子は親の背中を見て育つとも言います。 背中に疲労と困憊の文字を浮かべていませんか。
背中に憤怒と悲嘆を漂わせていませんか。
背中が丸くなっていませんか。 背伸びはせずに、背筋は伸ばしましょう。 しゃぼん玉 飛んだ 屋根まで 飛んだ 屋根まで 飛んで こわれて 消えた 風 風 吹くな しゃぼん玉 飛ばそ しゃぼん玉 消えた 飛ばずに 消えた 生まれて すぐに こわれて 消えた 風 風 吹くな しゃぼん玉 飛ばそ 「しゃぼん玉」-野口雨情/作詞 中山晋平/作曲 この童謡歌は、作詞者の野口雨情が、生後まもなく亡くなった我が子への、鎮魂の気持ちを詠ったと言われています。 乳幼児死亡率が高かった時代、授かった子を病や事故で亡くすことも多かったのでしょう。 生活が豊かになり、医療技術の進歩や衛生的な環境も確保され、乳幼児死亡率が低くなりました。 それは良いことなんですが、その結果、多産多死から少産少死へと移っていきます。 そしていま、少産少死の行きつくところ、少子高齢化が大きな課題となっています。 長男が生まれたのは深夜未明でした。
次男が生まれたのも深夜未明でした。
よく覚えています。 なんでよく覚えているかというと、二人とも、出産費に深夜料金が加算されていたからです。(笑) 長男のときは、ガラス越しながら、しっかりと目と目とがあったのを覚えています。 他の子は、しわしわの猿みたいな顔に、しわか目か分からないくらいの目なのに、我が子だけは、人の顔をして、目をぱっちりと、可愛く開けていました。 最初の親ばかでした。(笑) そして、まるで、マスターと会うのを待ちくたびれていたかのように、大きなあくびをしました。 次男のときは、その長男と駆けつけました。 やはりガラス越しでした。
眠っていましたが、時折動く、赤ちゃんの手足を、兄となった長男は、不思議そうに見つめていました。 そして、まぶしそうに、次男が薄く目を開けて、彼を見たとき、彼はうれしそうに微笑を返しました。 そんな時代もあったのですよ、マスターにも。(笑)