暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

Under New Maganement

2018年06月18日 01時56分43秒 | 想うこと

 

土曜のマーケットをブラブラしていて面白いのは、特に陽気が良くなってくると人の気分もそのように軽くなり、そんな中に若者たちの陽気なグループが混ざることもある。 学生の団体の新入生歓迎罰ゲームでバカな格好をしたものが晒し者になるのやら,若い女性のグループが結婚前日の新婦に安物でボロボロの衣装を着せて「明日から結婚という牢獄に」などと書かれたゼッケンをつけて鞭で追い立てられるのはよくあるパターンだ。 先日などはその女性のグループに「新婦の母」と大きく書かれたT-シャツを着た太った中年女性が引っ立てられていた。 混雑した土曜のマーケットではそんな連中が来たら皆ヘラヘラ笑って冗談を交わすのが慣例だ。 男のグループでは新郎始め大抵気が弱いのかこの恥ずかしさを紛らわせる為か既にここに来るまでに皆アルコールが廻って出来上がっている。

そんなグループを一つマーケットの喧騒の中でやり過ごし、橋の上から下を行きかうボートを眺めていた。 家族、友人たちのボート、観光客を乗せた遊覧船などを撮っていた。 そのうちの一つに青年たちのボートがあったのでシャッターを押し家に帰ってからよく見るとグループの中心ではなく端にビニールを膨らませた帽子のような王冠を被った者がいて、それで、ああ、この男も近々結婚するから彼の友人たちとスタッグ・パーティーの舟遊びなのだな、と理解した。 カラーの写真からモノクロにするとそれまで気が付かなかったものが眼についた。 この男の着ているT-シャツに「Under New Maganement」と書かれていてその下には花嫁にひれ伏す男のイラストが描かれている。 当然これは Under New Management 、つまり「新しい管理・監督の下に入る」ということで、もう一つ捻りがあるのは Management が Maganement とスペリングが間違って印刷されている。 Maganement というような言葉はないのだ。 つまり管理・監督ということばもあってないようなものである、なり、(花嫁の)管理・監督はこのスペリングのように混乱して、分かったような分からないようなものである、けれど分からないものであってもそれに服従する、しなければならない、というような意味なのだ。

男も女もそれぞれのグループで新郎、新婦になるものはこのようなものを着せられて晒し者になる。 そしてそれを追い立てたり一緒に群れてひと時を過ごす者たちはそんな牢獄に入り、訳の分からない管理・監督の下に従う新郎・新婦たちを祝うのだ。 この水路、マーケットから200mほど向うの大通りにある市役所では6月の今の時期の土曜日、何組もの夫婦が誓約し正面階段では新郎新婦の家族知人が集ってグループ写真が撮られているのがみられる。 30辺りで結婚し40辺りになるとオランダでは二組に一組が破たんして別れていると言われていてそういうことを子供が小学校に行く頃になるとこどものクラスの親たちを見ていて実感している。 自分たちがそうならなかった理由の一つは自分たちは他の父兄より年が上だったということだろうと思う。 元々好きで一緒に暮らしていたけれど結婚ということは二人とも考えてもいなかった。 子供を作ろうと二人で決めてこどもを作るとそれまで自分たちには法的にも何も不都合がなかったものが子供ができると当時は子供の事務手続きが煩雑でそれだったら結婚してしまえばそれが簡単になるというそれだけだった。 だから自分たちには結婚が牢獄であったり新管理・監督部門であったりしたことはない。 その代り絶えず問題にたいして折衝・妥協・線引き・小競り合い・和解を続けてきている。 

自分も家人もこういう若者をマーケットでみると微笑ましく思い、彼らの前途を想像して多難だと想像するのはマーケットにいる我々の年代のものが誰も思うのと同じものだろうと思う。 現に家人が10日家を留守にして自分の心がこれほど軽く感じることや家人が家族親戚の女たちと羽を伸ばしているのも同じことであることからすれば夫婦といっても何やかや多少のストレスが溜まるものだと思う。 若い時、30代のころ、オランダの中年から熟年夫婦が別々にバカンスに行く、というのが分からなかった。 今我々がやっているのはまさにそれなのだ。 当然一緒にバカンスを過ごすことはあってもこの歳になると別々のバカンスも必要になるということが分かるようになった。 牢獄や今迄の管理・監督部門に戻るための互いの息抜きなのかもしれない。