暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

第1回国王の日

2014年04月26日 22時44分11秒 | 日常

2014年 4月 26日 (土)

昼を周って起き出したら今日は第1回国王の日だった。 祭日だが週末なので特別なことはないのだが祝日だから土曜のマーケットもスーパーも店は全て休みだから買い物に出かけられない。 

去年までは今のオランダ国王ヴィレム・アレクザンダーの祖母、ユリアナ女王の誕生日が女王の日という祭日で、現国王の母親ベアトリクス女王も母親の誕生日を受け継いで1948年以来ほぼ70年間40月30日が国民の祝日、女王の日だった。 だから今年初めて国王の日として以前より何日か前倒しになって祭日になったようなものだ。 けれど今日は新国王の実際の誕生日ではなくそれは明日27日であるけれど日曜日になるので振り替え休日として繰り上げたとのことだ。 

自分がこの国に来たのは現国王のの母親ベアトリクスがユリアナ女王から王位を継承した前月の1980年の3月だった。 オランダ事情を何も知らなかったのでそのときアムステルダムで王制に抗議するデモによって新女王の披露スピーチが妨げられたのをテレビで見てこの国には共和制を求める人々がかなりいるのだなと思ったくらいだったのだが実際はヨーロッパの様々な王室の中で優等生の部類に入るオランダ王室の人気は70%を越しているものと聞いている。 とりわけ現国王の妻、マクシマ・ソレギエタの人気は姑ベアトリクス女王に迫るほどのこともあり一般的にはオランダ人はオランダ王室支持とみてもいいだろう。 日本国の皇室の様子を見聞きするにつけその差を実感し、オランダ王室の開かれた王室を演出する技量はかなりのものだと思う。 皇太子の妃候補がマクシマ・ソレギエタになるまで皇太子はいくつかのロマンスがあり娘と一緒にデートの車を溝に落として助けを求めて難渋したようなこともあったのだがその後、妃の父親がアルゼンチン軍事政権で農林大臣をしており反政府勢力の虐殺に関与しているというきな臭いことからオランダ議会では結婚承諾については多少の問題になりその結果両親と公式の接触を絶たれた時期もあるけれど一般のオランダ人はそんなことを斟酌しないで只単に美貌の妃に浮かれているようにみえた。 官民一体となったシンデレラ・キャンペーンで庶民にアピールした結果が今に至っているということなのだろうか。 日本の皇室との関係も深く、ほぼ同世代、子供たちも歳が近いということもあって日本皇太子妃の病気療養のためベアトリクス女王の別邸が提供され皇太子一家がオランダに滞在した際にはそれを追って日本から来たメディアの喧騒もニュースになったこともあった。 もう何年か前のことである。

もう20年以上前、仕事の帰り狭い路地を自転車で抜けようとしているとき目の前を頑丈な男が三人横に並んで歩いているところに追いついたのだがそこを抜けようとしても両側に抜けるスペースが無く、普通はこんな狭い路地を歩くのに交通に考慮して3人も並んで歩く不心得ものはいないのでマナーの知らない愚か者だと後ろからベルを鳴らして通り抜けようとしたときに振り返った顔の一つがその近くに下宿があった当時学生のヴィレム・アレクザンダー皇太子だった。 皇太子を包んでいた左右の屈強な男は護衛の私服兵士だったのだ。 あとでそのときのことを思い何とのんびりしたものだと思った。 今のようなテロの脅威が日常にあるときではなくもし皇太子の動向が分かっているとしてこの路地で後ろから襲撃しようとしたらそれには何の造作もないことで、自分が後ろから自転車で近づいていることなど気にしていなかった護衛の不備が責められていいものなのにと思ったものだ。 それが唯一現国王と接触した経験だ。 王位継承者の王女三人が少し大きくなってきたから退位して息子に譲るとベアトリクス女王が宣言しそれまで予想はついていたもののそれで皆を驚かせたのが一昨年のことでのことで、即位式が去年の4月30日だったから新国王になってほぼ1年だ。 今でもメディアでも今日の日を女王の日と言い間違えるものが多いほど女王の日は国民の脳の中に刷り込まれているようで今日の催しではまだ小さな娘3人をもつ若い国王のイメージを押し出して国民に近いというイメージを作ろうという意図がみえる風でもある。

今日は天気は芳しくはないけれど暖かいからか様々な草花がここに来て一度に咲き始め家人は庭から鈴蘭とオダマキを摘んでテーブルのガラス器に生けた。