暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

夜中の回り道

2008年12月28日 11時13分04秒 | 日常
夕方からアムステルダムに出かけ自分では今年最後になるだろうというジャズコンサートから夜中に戻ってきて夜中に駅から家まで回り道をした。

昨日今日と日中夜間と零下を保つ快晴の星空の下、刺すように寒いものの耳も覆う毛糸の帽子をかぶっていると夜汽車の中で本を読みながらロシア人が冬に暖房のためウォトカをやるようにびちびやっていたスコッチの温かみも残っていて冷気が自転車を走らせる顔だけに当る夜気の中を少し回り道して帰ろうという気持ちになったのだ。

自転車をのんびりと走らせ学生や若い者達がポツポツと歩いている商店街の明かりのついたショーウインドウをあちこちと覗いていると流行らない古本屋がいつの間にかコーヒー・紅茶の店になっていて驚いていると楽器店の前きて自転車を停めてショーウインドウを覗く。

まだそこにあって自分のためのクリスマスプレゼントにしようかと逡巡していたポケットトランペットを暫しの間眺めた。 まだ諦めたわけではない。 5年ほど前に中国製の安物アルトサックスを日本土産に買ってきて吹いていたのだがそれも2年ほど前に中断してそのままになっている。 理由は吹きたいときに吹けないということなのだが、夜中に突然吹きたくなることがあるのだがそれは出来ない相談で、日曜の午後2時間ほどなら近所迷惑を承知で吹いてもいい、ということになっているものの、天邪鬼の身にはその時間は他の事をしていることが多い、ということが重なって触れることも疎になって一度ケースに入れたものがそのまま天井裏に収まり日の目をみることがなくなっている。 春になるとまた取り出そうという気になるのかもしれない。

中学校のときブラスバンド部にいて短い間だがチューバを吹いたことがある。 それは自分の意志ではなく希望したクラリネットは歯並びが悪いということから外され比較的体格がそれに向いていたということからチューバにまわされしぶしぶ吹いていた、ということなのだが、直に音階をふけるようになったものの自分のパートはメローディーもなく単純極まりない。 嫌気がさしているときにどういうわけか教師から指揮をやれと言われ人前で棒を振っていたのだがなんとも収まりが悪い。 何か手に楽器の技術をつけたいと思うものがただ単に音もでない空気をプラスチックの短い棒でかき回すだけなのだ。 中学生ぐらいでは楽団員すべてを手足として使い自分の音を創造する絶対権力者であるプロの指揮者のことも分からず、自分のやっていることはただ教師に言われるままメトロノームがわりにしかならない退屈な役割で後には何も残らなかった。それで結局ピストン楽器の経験も浅いだけで楽器に触れた程度だった。 指揮も同じようなものでどちらも何とも中途半端なものだった。 

ジャズが自分の生活の中で大きな比重を持ち特にホーンに惹かれトランペットは特別な意味をもつ。 その音質や曲の響きはチューバの退屈なものからの対極にある華やかな楽器であるものの、自分ではじめるとなると何とも難しそうな楽器だと感じるし自分のアルトサックスの経験からしても始めるとなると二の足を踏む。 練習を始めると今まで迷惑がられて中途半端に吹いている自分のアルトサック以上にはた迷惑で激しいブーイングがでるのは目に見えている

しかしながらサックスと違いトランペットは技術的にはミュートで音の調整ができるし今は完全ミュートで塞いで電気的な音をヘッドホーンで聴くことができるから夜中に吹きたくなっても自室でおおいに気張って練習することもできるらしいし、ここに見られるポケットトランペットのコンパクトなものでは身軽に自分の周りに置いて吹けるだろうということもある。 しかし、それでは自分のポケットハーモニカや縦笛をそのように気軽に日頃よく吹くかといえばそうでもないのでこれも一時の気まぐれに終わりそうな予感もあるから自分へのプレゼントとしてどうしようかと迷っている。 このトランペットが売れて店頭から消えたときにそれで諦めがつくかどうか、ということにも興味があるのだが当分ここを通るたびにそんな事を想いながら眺めることになるのだろう。

家の方に運河沿いに少し行くと住宅地に消防車が止まっていて赤いランプが回っているのが見えた。 そこでは別段人の動きも火や煙もみえるわけでもなく興味本位に自転車をその通りに向けて少し入り、たった一人の野次馬を気取っていたら4,5人ほど立ち話をしている消防士の一人に呼び止められた。 邪魔だから行け、というのかと訝っていたら黒く厳つい装備とヘルメット、反射して白い線が体に浮かび上がる消防士がヘルメットを取った。 そこから出てきたのは数日前出かけた義弟の誕生日の折、顔を見なかった義弟の長男だった。 その日も当直で同棲している甥のガールフレンドが来ていたのだが初めて見る甥の重装備の消防士姿とそのことを話していると叔父さんの息にアルコールが混じっているじゃないか、パーティーのアルコールがまだ残っているのかと冗談を言われたのだが考えてみると甥の住んでいるところはそこから50mも離れていないのだ。 当直の消防署はここから2kmほどある。 結局そこの住民が電気配線の具合を怖れて火災になるのではと夜中に消防署に連絡してこの出動となり7,8人が通常出動の消防車で来て2人ほどが家に入って他は外ですることもなく立ち話をしているところに私が通りかかったというわけだ。 暫く立ち話をしているとそのうち家の中も納まったのか電気系統専門家の消防士が出てきて一同消防車に戻り署に戻っていった。 甥もまだ明日の昼までの勤務らしい。 去年消防士になっていらい本格的な火災に出動したことがなく大きな事故にかかわったのは2ヶ月ほど前に牧場の水路に落ちた乳牛を一同で引き上げたことぐらいだ。

家の近所の電光掲示板には12時20分、零下一度と出ていてこれはこの2日ほどいつ通っても温度は変わらない。 自転車の向かう上にはカシオペアとそのオリオンがはっきりと見え、従者の犬の星まではっきり見えた。





夜汽車のチョコレートにスコッチ

2008年12月28日 11時10分39秒 | 喰う
寒くなりジャズ・コンサートの行き帰りも様子が少し変わる。

行きは夕食を終えてそそくさと自転車で駅まで走る事は変わらないものの、済んでからコンサートホールを出てアムステルダム中央駅まで港沿いの何もない空間を歩いて戻ることから、ああ、冬だなあと感じるところからことが始まる。 ジャズの、熱くときには静かな熱気に包まれたまま外気に出るとそこからの10分ほどが風もなく晴天の夜であればまだ凌げるものの惨めな雨風に叩かれればアルバート・アイラーに後ろから、でもなく耳のプラグから、少々押してもらわねば駅舎にたどり着くまでの700mがきつい。

それにマイナスも10度になると雨も風も雲さえ一切ないキリリとして気持ちのいい、星が一杯の快晴なのだがそれでも寒さが骨身に沁みる。 ホールを出る前にコンサート中に入れておいたビールや何やかやの水分を抜いておかないと途中で困ったことになる。 それは寒い国に住む若者に限らず老人、それに特にご婦人には切実な問題だ。 ということをこの2,3年痛切に感じるようになったこの時期だ。

まして夜汽車の40分ほどの間に寒々とした体に入れるものとして今の時期、こんな状態でビールなど飲む気にならない。 シベリアに住むロシア人がウオトカを飲む気もちがよく分る。 腹に入れるものは家に戻ってからは何か熱いものを腹の足しにしようという気持ちになるからそれではそれまでの虫養い、ポケットに入れ忘れていても今は溶けない「苦い」チョコレートを肴にスコッチをちびりちびりとやるのが適当だろう。 車両に殆ど誰もいない中、時間つぶしには別段急く事もない事柄について書かれた書物のページをめくりながら、駅から家までの自転車が凍りつかない程度にペダルを漕ぐための燃料補給をしながら時々灯が見える暗黒の平らな牧草地を抜ける夜汽車に揺られて先ほどまでの緊張・緩和に溢れた創造的音楽世界をしばし忘れて別世界で遊ぶこととなる。

Paul van Kemenade at BIMHUIS

2008年12月28日 10時42分48秒 | ジャズ
Paul van Kemenade with Eric Vloeimans, Wiro Mahieu, Harman Fraanje, Michiel Braam, Pieter Bast, Louk Boudestijn, Rein Godefroy

Sat. 27 Dec. 2008 at BIMHUIS in Amsterdam

Paul van Kemenade (as)
Eric Vloeimans (tp)
Wiro Mahie (b, el. b)
Harman Fraanje (p 1)
Michiel Braam (p 2)
Pieter Bast (ds)
Louk Boudestijn (tb)
Rein Godfroy (Fender Rhodes 3)

1st Set
1) Nyumbani Kwetu (H Fraanje)
2) Goodby Welcome (P v K)
3) Two Horns and a bass (P v K)
4) Same to earth, same place (P v K)
5) What are you sinking about (P v K)
6) In a continental mood (P v K)

2nd Set
7) Straight and stride, A Tune for N (P v K)
8) Coolmen komen (P v K)
9) Onmensheid ? (P v K)
10) Altijd herfst (always autumn) (P v K)
11) Dat is nog steeds (It still is) (P v K)

Paul vanKemenade の事は3年前のコンサートから始めて下のように記している。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/17863675.html
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/50948378.html

この宵のプログラムはDVDとCDを二枚収めた新アルバムのお披露目コンサートだ。

Paul van Kemenade / Two Horns And A Bass, Duos-Trios-Quintets / Buma/Stemra en STEMRA KEMO 08

また自分が主になってこの何年も主催する自分の町 Tilburg  での、ジャーミッシュの映画「Stranger Than Paradice]をもじったのか「分裂症より奇妙な」という名のジャズフェスティバルを今年も開幕してCD/DVDのお披露目をしてからの今宵の舞台だったのだ。 

この日も一番前の座席に荷物を置いて場内のCDコーナーのおばさんが店を開いているときに話をしているところへ25枚づつ入った箱を2つ抱えてきたこの日の主役が値段をどうするかな、と言いながらもおばさんのとり分もあるからなあ、まあ16ユーロだなと言い、その箱をバリバリと開け湯気が立つようなのを先ず私も一つ買ったのだった。 オランダ語ではこういうのをパン屋で焼けたものが熱いまま売れていく、というような表現をするのだが実際そんな売れ行きだった。 そうしてバーで口に針金細工で開閉自由の栓が出来るようになっているビン入りのビールを待っている間、知人達と立ち話をしているうちにホールも立ち見がでるほどの盛況になっていた。 

プログラムを見て、え、ピアノ3人か、へえ、ピアノ3つどうするのかと思っていたらこれはCDの構成にあわせたのか3つそれぞれのユニットであり、 はじめは抒情に富む Fraanje で1)2)。  3)から6)までは as, b, tp のトリオ。  7)は 前衛性のBraam とのデュオ。 8)から11)が 今時電気ピアノFenderRohodesを心地よく奏でるGodfroy とのクインテットだった。

尚、この日お披露目のアルバムDVDには 「In A Sentimental Mood」12分3秒 が前衛の大御所たち、 Ray Anderson, Han Benink、Ernst Glerum、  に加え ギターの Frank Mobus と混ざって古いヤマハのアルトを吹く Paul van Kemenade の映像が見える。

1)2)では抒情が美しいpに甘くもそこにアイラー、ドルフィーをすごしてきたアルトがパーカー、ウッズをフィルターの響きとしても聴こえ、3)から6)ではtpとのジャズの現在を俯瞰しながら小手試合を重ねるという風でもある。 第二セット皮切りの7)はどうもCDのこの二人のデュオ二曲を組み合わせ、セシル・テーラー的なピアノに途中フォービートの40年代から50年代初頭の響きを挟んで初期のダラー・ブランドに戻り、徐々にテーラー的に締めて終わるというものだった。

その後は日頃のクインテットにFenderRhodesを加えて今風ながら「まだずっとそのまま、、、」という彼らの音を響かせて終わったのだった。

ジャズと落語とか笑い、ジョークはつき物なのだがこの日、このアルトにまた笑わされた。 曲紹介で5)に来たとき、話は長くなるから曲の由来はやめとこう、と言うと会場から、何だいえよ、じらすなよ、私らいくらでも待つよと言われながら壷にはめたと喜びを隠した奴さん、パウルが真面目な顔をして話し出したのだった。 「インドでね、船舶ラジオを聴いていた者が、私シンキング、助けてくれSOS,と言っているのを聞いたんでこちらから返事に、何をシンキングしているの、と返事したんだって」 というそれだけのことだったのだが笑いがはじけた。 曲がしっかりと始まっていても笑ってはいけないような笑いが思い出してはこみ上げてくる。 笑い事ではないというのがここでの壷なのだ。 なるほどコミュニケーションというのは困り物だ、それが笑いものになるのだから。 sinking と thinking ではあちこちの怪しい英語ではそうなるのだろう。 他人事ではないシンキングは。