きのうは仕事のあとに神楽岡歌会。きょうは10時から塔事務所で企画会議、午後は旧月歌会、そのあとは編集部の飲み会、というスケジュールでした。
今週にはいって風邪ぎみで、そのうえ仕事がどんどんハードになってきているので、金曜日は無理かなぁと思っていたけれど、午後は体力を残すくらいのエネルギーで仕事が終えられたので、がんばっていきました。 やっぱり行くと、なんというか、「歌が好き」なひとの渦の中に放り込まれる感じで、すごく厳しいことを言われたり、誰かが言われている場面に出くわすのですが、それを含めて
楽しいです。 きょうの企画会議、旧月歌会も、こんなにお天気がよくて行楽日和だというのに、朝から集まって歌や塔の話をしている人たち・・と思うと、「神聖な」というか「かけがえのない」というか、窓から直線的に私の右頬を照らす光にあたりながらそんな気がしました。 もちろん、少しずついろんなものが変わっていくけれど、「飲み会」でみんなと話をしていて、「これまでの固定観念的なものは捨てて、新しく変わっていくプロセスを体感できること」をむしろ楽しむべきかもしれない、と思いました。
昔はよかった、というのは、年老いたもののいうセリフ。
たぶん、それは昔の環境のほうがよかった、というのではなく、昔の中にいる自分がよかったと思うのでしょう。
♪ 夏は冬に憧れて冬は夏に帰りたい あの頃のこと今では すてきに見える (by オフコース)
なんですね。 先週、私の歌集のなかにさだまさしの「檸檬」が入っていることに気づいてくれた人がいて(これで二人目)、ちょっとびっくりしたんですが、それ以来、You Tubeで昔の歌を聴いたりしています。 ユーミンの
♪ 昔気づかなかった リフレインが悲しげに叫んでる
という感じで、自分がリアルタイムで聴いていたころはまったく気づかなかった言葉が沁みてきます。
きのうの神楽岡でも「さだまさしは嫌だ」という人がいたんだけれど、確かに説教っぽい歌もあるけど、いやに沁みるフレーズがあったりします。 失恋の歌が多くて、昔は「好きな人と別れる」というふうにとらえていたのに、いま聞くと、別に「好きな人」だけじゃなくて、いろんな「別れ」に共通する思いだなと思います。
今週の火曜日くらいから聴いている「最終案内」という歌のなかに、
♪ あのころは 止まれとさえ祈った時間を
知らず知らうのうちに 君はもてあましている
手荷物は ベルトコンベヤーに流れて
思っていたより確かに 風は止まろうとしている
というフレーズがあって、ああ、別れというものは、思っていたより確かにふと隣に立っていたりするんだなと思いました。
両親がお墓を買ったり、お葬式の準備セミナーに出かけたりするようすを見ていると、これは私の人生なの? と思ってしまいます。
きょう、旧月歌会に出した歌は
・もうひとつの家族と長く暮らしたりアップライトピアノのむこうとこちら
ピアノのむこうには小さい指の息子とか、妹とした連弾とか、すぐ手の届きそうな過去がいつもあるのに。