酒と薔薇の日々(その2)

好きなことだけ求めて生きるアスペ気味のINTJ人

ああ無情

2024年08月06日 19時25分00秒 | 日記

8月6日に原爆に絡んで、原爆被災伝承者になってくれと依頼されたが、
きっぱり断った。

今日たまたまNHKで放映された映画「レ・ミゼラブル」の録画を見た。
またまた思い出さされた。
原爆のお陰で私の人生はとんでもない目を見た。(二次被害なんだが)
(ま、人に比べりゃ大したことじゃないけどもね)

初めて読んだのは小学校高学年。「ああ無情」という題名
その次に読んだのが中学校時代だろうか「ジャン・バルジャン」
ここまでは人生を悔い改める、という前半部分
高校頃に「レ・ミゼラブル」でフランス革命を含めた全編を細かな活字で読んだ。
その後どこぞの有名演劇集団で一気に知られた感じだな。

小学校と中学校でこの本を読んで感じたのが、「罪を犯しても更生すれば許されるんだ」ということ。
でも、なんで11歳のガキがこの本を読んで「許される」なんて思わにゃならんのか。
答えは、良くわからない自身の犯した罪の意識
それは「親の意のままにならない」自分の存在
45歳になって「罪を犯した男を愛せるのか?」と聞いた答えがそれを否定する内容だったのは青天の霹靂だった。

高校で読んで感動したのがSF
「地底のエリート」人類滅亡と、逃亡先の地底から脱出する話
続いて人間を超越する話「2001年宇宙の旅」
いずれも脱出&人類破滅=私の喜び、そんな風に性格が作られていった。
世の中に対する否定の感情が高校以降の自分を形作っていたのだろう。
その呪縛からやっと逃れ始めたのが40歳中盤

思い返せば、人生の前半分がガキ時代に植え付けられたモノで泥まみれ。
その汚物を拭い去るのに半世紀もかかっているわw
彼らに悪気がなかったって?そりゃまあそうでしょう。
でもね、それ原因で一回「まじで殺されそうな」場面を経験したんだよ。

おかげさまで今の自分も、自身で思わないところで、結局は多大な悪影響をばらまいている。
まあ、それもしょうがない。
片面を見れば、マドレーヌ市長の生き方に影響された自分も間違いなくあるのだから。

起きた事実から生じた(その人が作りあげてしまった)結果とどう向き合うのか。
その人の力だけではなかなか開放されない呪縛に導かれる人生

呪縛は人によって千差万別。
良い面も悪い面も併せ持つ。捉え方次第で人生も変わって来るはずだが。

ああ、バカバカしい 笑

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それにしてもこの映画、半分でもまだフランス革命前夜かよ・・・
途中で見るのを止めてしまった。
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