今夜も昼夜逆転とボラ講師の”闘争”トラブルがグルグル頭を回って寝られない。
昨晩も2時間睡眠、その前も、その前も同じように午前3時過ぎに目が覚めて・・・
ここしばらくYoutubeのヒーリング音楽を聴くようにしているのだが、寝付けない。
まるで葬儀会場に流れるBGMだ。
コメント欄に「出来ることならあと5年は生きたい。精一杯生きて精一杯死にたい。末期癌で余命宣告を受けたけど驚くほど心穏やかだった。皆さんが心軽やかにシアワセでありますように。」という投稿を発見
2000件を超えるイイねが付いている。
そういえば逃亡・音信不通オヤジのメールにも「自分の人生何だったのか。業務でもないAccessだけか、身体的にも精神的にももう限界だ、残った人生でまだやりたいことがある・・・」など延々とその心境が書いてあった。
(もっとも1年間放置した後の逃亡責任は重い)
この一連のトラブルの中で気づいたことがあった。
それは私が講座数を何とか維持せねばならないという思い込みに似た責任感に苛まれているということ。
ボラ同僚から、
「一回は潰れかけた団体。もっと楽な運営で先を急がなくてもいいのではないか」
「Access講座は1回限りで翌年度からはやらないという選択肢で良いのではないか」
「ボラ活動よりも自身の生きる時間を大切にしたい」
と諭されたこと。
一時は来年度から団体を停止させようかなどと思っていたが、細々と続ければそれでいいではないか。
手持ちの駒が無いので、すぐに回生できるようなパワーは今の団体に求めるのは無理だ。
自分で講座を多く抱え込めば自身が先に溺れてしまう。
それよりも、ゆっくり構えて団体を回復させる努力をしつつ、
今自分が生きているこの時間を共有する人と最後の時を精一杯過ごす、という選択
今一番大切にすべきことは何か・・・・
それの方が、誰も求めていない責任を追いかけるよりも、自分にとって大切ではないか。
音楽を聴いていてそう思えてきた。
「あと5年生きたい」投稿者はなぜそう思ったんだろう。
今を一緒に生きている人との残された時間を大切に生きようと気づかされました。
ありがとうございました。
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来週には逃走オヤジと決別し、経過を団体メンバーに報告する必要がある。
穏やかな内容になりそうだ。
ボラ活動でまた一つ勉強になりました。
午前3時55分
なんだか寝られそうな気もしてきた。
明日朝も日光浴びて、体内時計をリセットせねば。