昨日、10月18日のサンデーモーニングの”風をよむ” (コピー) では日本のラグビーの「エディー・ヘッドコーチの苦言」をテーマに、日本人の従順さ、真面目さが生まれた時代背景を考えるとともに、スポーツや物事に熱中することによって人間の心身が成長して行くことを教えてくれた。
数日前、10月12日にNHKドキュメンタリー 「奇跡のレッスン~世界の最強コーチと子どもたち 」のテニス編 (2)(スペインテニス協会のダビッド・サンズ・リバスさんの指導)の再放送を見たばかりであったが、テニスを遊びながら熱中し成長する子どもたちの姿がラグビーのヘッドコーチの言葉と重なる。
私は子供時代に野球の遊びに熱中し、中学時代は野球部の印象しかないほど野球に熱中し、勉強に熱中した記憶は皆無だが、確かにこの時期にスポーツに熱中したことが、その後の私の仕事や人生の財産になっていると思う。
知識を教えることは固定観念からモノ、コトを観る第一歩にはなるが、自由な発想にとっては弊害だ。スポーツは身体を鍛えるが、瞬時の判断が必要で、試合中の激しい動きの中でその判断力が持続することも大切だ。練習に熱中することで、身体と頭を鍛えることが大切なのだが、これまでの日本では身体を鍛えるために頑張ることしか教えてこなかった。身体のトレーニングにおいてもテクニックを教えることが重視されてきた。ここに日本の教育の弊害があることを、今回紹介した2つの番組は教えてくれる。
確かに何事でも熱中しなければ成長しない。「牛に引かれて善光寺参り」という言葉があるが、「牛」とはスポーツや仕事の何かであり、「引かれる」とは強制的に引くのではなく自ずから熱中していくこと、そうすれば「善光寺参り」、仏さんが見えてくる、今日では「成長しますよ」ということとも解釈できよう。
先に大谷山里山牧場を紹介したブログで、私の母校松永高校と下駄の町松永の近況を紹介したが、一時荒れていると言われた高校が「キャリア教育」優良学校として平成25年度に文部科学大臣表彰を受賞するまでに成長した原因として、教師と遊びながら熱中できる「牛」を見つけ、それに熱中したことが考えられるのではなかろうか。
これからの時代に必要で、それぞれの人が幸福を見つける道は、それぞれの人が熱中できる「牛」を見つけて自己実現を目指し、心身を鍛えることで他者を尊重できる社会を実現していくことではなかろうか。
初稿 2015.10.19
数日前、10月12日にNHKドキュメンタリー 「奇跡のレッスン~世界の最強コーチと子どもたち 」のテニス編 (2)(スペインテニス協会のダビッド・サンズ・リバスさんの指導)の再放送を見たばかりであったが、テニスを遊びながら熱中し成長する子どもたちの姿がラグビーのヘッドコーチの言葉と重なる。
私は子供時代に野球の遊びに熱中し、中学時代は野球部の印象しかないほど野球に熱中し、勉強に熱中した記憶は皆無だが、確かにこの時期にスポーツに熱中したことが、その後の私の仕事や人生の財産になっていると思う。
知識を教えることは固定観念からモノ、コトを観る第一歩にはなるが、自由な発想にとっては弊害だ。スポーツは身体を鍛えるが、瞬時の判断が必要で、試合中の激しい動きの中でその判断力が持続することも大切だ。練習に熱中することで、身体と頭を鍛えることが大切なのだが、これまでの日本では身体を鍛えるために頑張ることしか教えてこなかった。身体のトレーニングにおいてもテクニックを教えることが重視されてきた。ここに日本の教育の弊害があることを、今回紹介した2つの番組は教えてくれる。
確かに何事でも熱中しなければ成長しない。「牛に引かれて善光寺参り」という言葉があるが、「牛」とはスポーツや仕事の何かであり、「引かれる」とは強制的に引くのではなく自ずから熱中していくこと、そうすれば「善光寺参り」、仏さんが見えてくる、今日では「成長しますよ」ということとも解釈できよう。
先に大谷山里山牧場を紹介したブログで、私の母校松永高校と下駄の町松永の近況を紹介したが、一時荒れていると言われた高校が「キャリア教育」優良学校として平成25年度に文部科学大臣表彰を受賞するまでに成長した原因として、教師と遊びながら熱中できる「牛」を見つけ、それに熱中したことが考えられるのではなかろうか。
これからの時代に必要で、それぞれの人が幸福を見つける道は、それぞれの人が熱中できる「牛」を見つけて自己実現を目指し、心身を鍛えることで他者を尊重できる社会を実現していくことではなかろうか。
初稿 2015.10.19
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます