自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

戦争と自然~右と左の中心は自然だ!

2015-11-13 17:26:12 | 憲法を考える
 「日米同盟が日本の平和を守っている」という認識はおかしい。「憲法上の問題を含んでいるが、日米同盟の強化は理にかなっている」という認識もおかしい。戦争放棄の憲法こそ平和を守ってくれているのだから!

 衆議院の「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会公聴会(平成27年7月13日)では、「外敵の暴力から身を守り合う仲間のコミュニティーに日本も参加する(岡本)」ことや、「国際情勢の急速な変化」の中で「日米同盟の強化に当たるということは、極めて理にかなったこと(村田)」であり、「憲法上の問題を含んでいるが、同時に安全保障上の問題であり、学者は憲法学者だけではない(村田)」という意見が出されている。

 しかし、人が人を敵だと疑う根拠は何だろう。敵だという疑いは憎悪を生み、集団の憎悪はエスカレートして止められない暴力を生む。ましてや国が仮想敵国を想定することは「憎しみの連鎖」を国が始めることだ。国が憲法を守ることより大切なことがあると考えることは、戦争を放棄することを誓って戦後を歩んで来た国民への裏切りであり、仮想敵国をチラつかせて権力が暴走を始め、それを国民が止めることができなくなる前兆だ。

参考:
村田晃嗣氏、同志社大学長選で敗れる 安保法制賛成で学内から批判

 秀吉の朝鮮出兵の動機は知らないが、我が国には明治維新後の琉球併合に始まり、韓国併合、そして満州事変のように日本を守るためと称して横暴な侵略をした歴史がある。単独で横暴になるよりは、米国に従う方が安心のようにも思うが、アメリカは白色人種が建国した国で人種差別と市民が銃を持つ国だ。

 広島、長崎に原爆を落とし、共産主義化を防ぐという名目でベトナム戦争長期化させ、韓国にも派兵させ、テロに対する戦争として躊躇なくアフガニスタンを攻撃し、他国に侵入してのビンラディン暗殺を誇るかのように公表し、核兵器の保持を疑いイラクを占領しフセインを処刑した。さらに、儲かる武器を製造、供給して世界各地で戦争の原因(動画)となっている。

 しかも現代は武力だけではなく、TPPのように経済まで国を動かして世界制覇を目指している。そして米国に追従して支配者になりたい安倍の「嘘・ごまかしの言葉」を編集しているのは、広告会社(消費者の洗脳社)と国民に奉仕するのではなく支配を使命と勘違いしている官僚(国民の分断統治の詐欺師)なのだろう。国益とは国民の利益ではなく、一部の支配層の利益であることに注意を払う必要がある。

参考:
安倍首相が“明治復活”旗印にする『坂の上の雲』、作者の司馬遼太郎が「軍国主義を煽る」と封印の遺言を遺していた
改憲集会に安倍や側近、超保守仲間が参加+百田は改憲啓発映画を制作
本澤二郎の「北京の街角から」

 中国は一党独裁と批判されるが、安倍政権も憲法を解釈で変える独裁だし、米国は世界の制覇を目指している。日本は個人を大切にする主権在民の意識が薄く、集団主義に走り支配者が横暴になる歴史があるので大統領制は向かない。天皇が平和憲法を守る象徴であり続けて欲しい。安倍首相は戦争当時の支配者であった祖父、岸信介を尊敬している。当時は国民を大切にしないで、戦争に反対するものを弾圧して「鬼畜米英」と国粋教育をし、沖縄や本土を悲惨な状態に陥れた。今ももうこれ以上基地を作らないという沖縄の願いを無視して、基地建設に期待する地区に国が地域振興費を直接交付する。それが「美しい国、日本」「戦後レジームからの脱却」の正体であろう。「安保関連法」はまず自衛隊員を犠牲にし、次に国民の生活から自由と豊かさを奪うだろう

参考:
自民党の右旋回の背景とそれが止まらない理由 (2015年6月18日)
「安保法制」では日本の抑止力は高まらない (2015/06/06)
沖縄米軍基地建設問題 県警を指揮できない知事の権力とは  (2015年09月26日)

 政治は「主権在民」の意識をしっかり持っていないと、どの国でも、いつの時代でも権力を求め国民支配に向かう。自民党は国民政党として、予算と権限の分配を地域に目配りして国民支配を維持してきた。会社も松下電器に象徴されるように、社員を家族の一員として定年まで、あるいは定年後も面倒を見るのが企業であった。地域にも商店街や農業、あるいは中小企業がつながる共同体が生きていた。

 しかし、その共同体の時代は大きく転換しようとしている。政権与党の政治家や官僚が「憲法違反」に異議申し立てをしない状況と重なるように、私の研究分野においても、「家畜の口蹄疫予防にワクチンを使わない」と科学を無視した政策に、現場に責任を持たない学者や研究者は異議を申し立てない。今、時代が壊れ、「庶民の情報」という時計が狂い始めている。

その人の考えは、その人が育った環境や
その人が今、置かれている立場に影響される。
自分が得た情報を自分の都合で編集して、
あたかもそれが自分の意見だと頑固になることは危険なことだ。

人は自分の考えを自分だけで考えたことと錯覚しやすい。
しかし知識は他者から与えられたもの、
「知の巨人の肩の上」であれ、信頼するルートであれ、隣人であれ。

私たちは一人では生きていけないのに、
相手を「敵」と仮定して考えるのは危険だ。

右と左の考え方があり、それが今は中心に向かっているとしても、
右と左の矛盾した混合ではなく、
我々は自然から生まれ自然に還るように、
中心には自然がある。

自己に対してではなく、
自然に対してプラスなのかマイナスなのか、
そのことが問われる政治と経済に向かわないといけない。

日本の先住民、縄文人
自然に生かされていることを畏敬して1万年以上も暮らしていた。
その縄文文化の遺跡は、多分、多くて数百人単位の集落で、
自然と共に生きた縄文人が、
戦争によって文化を変えなかった証だと思う。

ヨーロッパではネアンデルタール人は絶滅したとされているが、
稲作文化は中国大陸や朝鮮半島からやってきた
弥生人によってもたらされ、
縄文人との混血で今の日本人も受け継いでいる。
先住民の縄文人と後から来た弥生人のどちらを
我々の祖先と考えるかは別にして、
中国や朝鮮半島の人々を我々とは違う人だと思うことはナンセンスだ。

アメリカはヨーロッパから移住した人たちが、
世話になった先住民から土地を奪い、
アフリカから暴力で連れてきた奴隷を差別する事件や
銃の事件が今も絶えない。
新世界を白人で建設したと言う自尊心が
アジアの黄色人種やアフリカの黒人を差別している。

動物も植物もこの地球で命をいただいた我々と同じ生物だ。
我々はアフリカから世界に旅に出た同じ人類なのに、
つまらない差別で憎しみ合うことは不幸なこと。

戦争なき自然のことを実感していただくためにも、
映画「セバスチャン・サルガド / 地球へのラブレター」
全国の多くの方に観てもらいたい。

政治も経済もまずは自然を畏敬し、
「経世済民」、民を救うものでなければならない。
自衛隊も武器を捨て、世界災害救助隊になるべきだ。

初稿 2015.10.2 更新 2015.11.14








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