自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

縄文人の生き方と文明で失われた平和な世界

2015-11-27 17:40:36 | 自然と人為

 山極壽一と関野吉晴の対談で人類が人間たりえたのは、火や石器などの使用もあるが言葉の使用と食物を共用し共同生活したことにあると山極氏は語り、人類がアフリカから南米チリの南端まで旅したのは、争いから逃がれて食物を求めたからだと関野氏は想像している。
 言葉は集落の人口が数百人程度までで、人も自然も一つになっている関係では多くの説明がいらないので簡単だし嘘がない。しかし、文明の発達とかで分業と支配者ができると、モノ、コトを見る視点や考え方が異なってきて、支配者の言葉の影響が大きくなる。
 考古学が科学的であるためには物的証拠が求められるが、状況証拠も矛盾がないかぎり物語として受け入れたい。

 我々は縄文遺跡から文明以前の人類の生き方と文明で失われた平和な世界を想像することができる。縄文文化については「縄文文化と里山文化~斉藤晶牧場に学ぶ」でNHKの番組を紹介したが、著作権とやらでブロックされてしまった。しかし、縄文文化はこれまでの欧米の文明の評価を覆す偉業だとダイアモンド教授は高く評価(動画)している。

追加(2015.12.21) アジア巨大遺跡 第4集 縄文 奇跡の大集落

 縄文文化の動画については、小名木善行氏の解説している「日本の歴史~縄文時代」もある。小名木善行氏についてはいろいろ疑問が出されている(1)(2)ようだが、縄文文化を縄文文明と誇りにしているところが、琉球(動画)と韓国を併合し日清戦争をした明治時代を文明開化と誇るのと同じ違和感を感じる。文明社会と言うのは農耕による富みの蓄積と分業から支配者が出てきた社会を言う。日本の歴史を日本の誇りとし、日本中心主義に陥る新しい歴史教科書をつくる会と共通しているのではなかろうか。

 これからの歴史教育は日本人の誇りのためにあるのではなく、世界平和を考えるためにあるべきだ。
 「セバスチャン・サルガド」の映画の一枚のモノクロ写真は一瞬の風景を切り取って多くを語ってくれるが、同じ風景でも撮影する人の感性によって表現が異なるし、同じ写真でも受け取る人の感性によって印象も異なってくる。
 歴史の物語の部分は正しくても、物語に自己中心(日本中心)的な考えが入るのは危険だ。

参考:
日本人に息づく歴史の流れ 〜歴史を学ぶとは〜 【CGS 日本の歴史 プロローグ】
どこから来たの?日本人 〜文明のあけぼの〜【CGS 日本の歴史 1-1】
世界最古の文明は日本から? 【CGS 日本の歴史 1-2】
元祖和風スイーツ!? 縄文クッキー 〜縄文「文明」を探る〜【CGS 日本の歴史 1-3】
縄文文明と戦争 〜平和を愛するDNA〜 【CGS 日本の歴史 1-4】
縄文のビーナスと土偶 〜土偶に隠された意図とは!?〜【CGS 日本の歴史 1-5】
四大文明と縄文文明 〜学校では教えてくれない四大文明のウラ〜【CGS 日本の歴史 1-6】
大和人vs大陸人 〜人の流れを追う〜【CGS 日本の歴史 1-7】
古代の宗教戦争? 〜宗教の源は多神教だった!?〜【CGS 日本の歴史 1-8】
縄文時代に始まった稲作【CGS 日本の歴史 1-9】

初稿 2015.11.27 更新 2015.12.21

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