自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

「セバスチャン・サルガド」の映画をもう一度!

2015-11-19 20:12:34 | 自然と人為


セバスチャン・サルガド

 このブログで映画「セバスチャン・サルガド / 地球へのラブレター」 シネマ尾道で上映決定!とお知らせしましたが、上映は明日11月20日まで後1日となりました。

 私の甥の子(又甥)の大学生は、これまで5回観たそうです。私の知っている人は高齢の方が多く購入していただきましたが、前売り券購入の60%近い売り上げを達成できました。購入していただいたお金はもったいないほど輝いて見えます。前売り券を無駄にしたくない!
 この映画は、まず観ていただき魂に刻んでいただくことに意義があるので、若い人には無料で配布しました。楽しみも苦しみも悲しみもある人生ですが、皆さんの魂の深くに残る映画だと思います。
 来年も、もう一度上映していただき、一人でも多くの方に観ていただきたいと思っています。

 私は明日、4度目の鑑賞に行きます。最初はサルガドの写真が胸に刺さり、2度目でストーリーが見えてきました。彼の写真は、「もはや人間の救済など信じられない」ほどの悲惨な被写体を一瞬切り取られたモノクロの映像で、愛おしく神々しいまでに私に訴えてきます。
 「”フォトグラファ”とは『光で描く人』を指す。世界を光と陰で描き続ける人のことだ。」と彼は説明しています。「その人の考えは、その人が育った環境や その人が今、置かれている立場に影響される」と私は思っていますが、似たようなことを彼も語っていたように思います。今度はその言葉の一言一言を確かめたいと思っています。(追記:著作権違反で映像は記録に残せませんでした。「同じ風景でも、人の視点によって切り取った風景は変わる」ということを言っていたようです。映像を受け取った人によっても印象は変わりますから、正確に伝えるよりもこの映画を観ていただくのが一番!もう一度、この映画を出来るだけ多くの方に観て頂くように、一人が5枚の前売り券を購入し、 20人集まって上映の運動をしたいと思います。一人が5回観ても、 もう一度観たい! と思う様々な印象を与えてくれる映画ですから。)
 セバスチャン・サルガドの写真、それは彼の感性が一瞬を切り取る。彼は愛情豊かな環境で育ち、人への愛が深いので、それが一瞬の感性にほとばしり出るのだと思います。

 3度目の映画鑑賞に同行してくれた級友から「今、近くの小学校が消失している。」と聞きました。前回のブログで、人は文明の家畜化を進歩だと勘違いし、自己中心的となり、自己孤立化を進め、共同体が崩壊していることを指摘しました。小学生から地域への愛着が芽生えますから、小学校は地域共同体の要です。

 しかし、共同体を守ることよりも、「競争による学力向上」を求めて生徒の多い学校に人が移っているのだそうです。生きるための難民の人口移動ではなく、先進国を自負する我が国では、文明の家畜化を目指し人口移動が始まっていると言えるのではないでしょうか。

 子供は遊びに熱中することで、集中力と自発性が育ちます。運動は身体だけでなく脳も鍛えます。「競争が人間を鍛える」として、子供の遊びや仲間との連帯、地域の繋がりを無視して、運動能力の序列化には否定的な一方で、答えがある受け身の学力を競うことばかりに熱心なことは、子供の世界を破壊する大人の暴力です。試験の点数が低いと社会から落ちこぼれる? 現実を直視せよと言われそうですが、その現実は大人が作り出しているのではないでしょうか。まずは、文明への家畜化という概念が受け入れられるかどうか、教育熱心なことと文明への家畜化を目指していることは次元の違う話なのかどうか、「受け身の教育」に熱心なことが本当に子供のためになっているのかどうか、等から対話を始めることが必要でしょう。

 一方、大人の世界では「憎しみの連鎖」が拡大し、市民がテロで殺される恐怖に怯える時代になってしまいました。アメリカのブッシュだけではない!フランスのオランド大統領まで!お前もか!テロに対する戦争だ!と叫んで敵への爆撃を強めています。さらにロシアのプーチンまでも!

 言葉や信念の中に敵はいても、戦争は多くの人を巻き込みます。戦争に巻き込まれて死亡していく人は、市民へのテロ被害よりはるかに大きいでしょう。テロも殺人の絶対悪ですが、戦争は国による殺人の絶対悪です。しかし、テロ犯罪者は国際指名手配されますが、国の支配者が罪を問われることはありません。そのことを無視して正義の戦いだと宣言できるのでしょうか。爆撃を強めれば強めるほど被害は拡大し、憎む人も増加し、憎しみも強まります。テロに対する戦争だという支配者の声は正義に見えますが、そのことで支配者の過ちは見逃されても、市民の自由は奪われ平和な暮らしは戻らないでしょう。
 
 サルガドは「もはや人間の救済など信じられない」と愛の魂を打ち砕かれました。その「憎しみの連鎖」の人間の暴力は、先進国の武力では殲滅できません。国の武力は最も悲惨な暴力なのですから。人が人を殺し、国が人を殺す絶対悪の暴力を絶滅するには、文明の家畜化を進歩だと確信している人々や「憎しみの連鎖」に陥っている人々の対話では解決できません。人の死を超える信念が暴力を許しているからです。平和を求めるためには、人が人を殺す銃や武器の製造を禁止するしか道はありません。

 しかし、我が国の政府は原水爆の製造・保持の禁止の声すらあげず、日米同盟の強化が平和を守ると戦争放棄を誓った憲法を改悪し、「憎しみの連鎖」に加担しようとしています。人間は愚かなものですが、その愚かさが暴走しないように戦争放棄の憲法は必死で守らないといけないと思います。そして私たちが進歩だとか成功だとか出世だとか喜んでいる裏に、文明への家畜化の道があるのではないか、真剣に考える時代が来ているのではないでしょうか。

参考:写真家・セバスチャン・サルガドとジャーナリスト・後藤健二さん
   戦争放棄の憲法を守ることは、日本と日本人を守ること
   「憲法9条」の戦争放棄と「安保法案」の抑止力-どちらが人類を救う?
   戦争と自然~右と左の中心は自然だ!
   自然と共に生きた縄文人と自然に還ったセバスチャン・サルガド
   縄文人の生き方と文明で失われた平和な世界
   縄文文化と里山文化~斉藤晶牧場に学ぶ

映画の紹介:
2本のドキュメンタリー映画で写真の可能性を考える
セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター : 佐々木俊尚
映画「セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター」未来の地球を救え!
圧倒的捕食者である人類に警笛を鳴らす。ブラジルの写真家が8年間撮影し続けてきた写真「ジェネシス」
Vol.17 ジュリアーノ・リベイロ・サルガドさん(映画監督):映画が好きです

初稿 2015.11.19 追記 2015.12.29 動画追加 2016.1.29


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