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Tsuny'sブログ

老人が感じた日常生活を気ままに綴ったあれこれ

春よ来い、早く来い

2012-03-15 22:27:20 | インポート
この1週間は雪が降らず、+気温になるに中も多かったので、街中や幹線道路は乾いた夏道状態になった。

朝の気温は-10℃くらいなので、この時期限定だが昼間に雪面が溶けた後で夜中に凍った表面は固くなり、自由に歩き回ることができる。
子どもの頃は、これをいいことに雪面を普段行けないところまで歩いて遊んだことを、思い出している。

+気温になったため、今冬の大雪で積もったままの物置の屋根から1度に全部落雪したが、栗の木の枝を巻き込んで道路の真ん中まで埋めてしまった。
     
     
こんな落雪に埋まって死傷者が多かったのは、今冬の特徴だったので、その場に居合わせなかった事が幸いだった。

春を感じる今日この頃の定番の光景は、除雪して積み上げた雪が日差しを浴びた面だけ溶け出して、つららができることだ。
           

春の陽光は、昼間に溶け出して飴のような可塑状態で変化するが、30cm平方の板からはみ出すくらいにこんもりと積もっていた雪が段々と痩せてくる。
              
ヤジロベイの原理で、落ちそうで落ちない面白い形状で楽しませてるれる。

これらの自然の造形で、冬の終わりが近いことを実感するが、もっと早足で春が来て欲しい。
春よ来い、早く来い!

桃の節句は雛祭り

2012-03-03 23:10:08 | インポート
今日は桃の節句ですが、その由来をよく知っているわけではありません。
古くは平安時代の貴族の行事っだとかで、それぞれの季節の節目の身のけがれを祓う重要な行事だったようです。

雛祭りは、高貴な生まれの女の子の厄除けと健康祈願の行事が、宮中から武家社会へ、更に裕福な商家へそして庶民へと広がったようです。

桃の咲く時期で桃には魔除けの力があるとかで「桃の節句」となったようですが、ひな人形との関係はわかりません。

現在では、もう雛壇に飾る機会は全くありませんが、昔のこと、雛壇に雛人形を並べる位置や順序がわからず、毎年時間をかけていたことを記憶しています。

今でも、内裏雛(向かって左が男雛)・三人官女・五人囃子と、ここまではわかりますが、雛壇側から見ての左右なのですが、左大臣・右大臣や左近の桜や右近の橘がどちらかで戸惑います。

現在の我が家では、質の悪い紙に粗雑な印刷の雛飾りの軸物が雛壇代わりですが、よく見ると、おそらくは物資の不足していた時代につくられた軸装で、味わい深いのです。    
              
幾段あったのか忘れましたが、全部揃っていた雛人形は今ありません。

昨年のこと、不要になったということで、譲ってもらった内裏雛だけがピアノの上に飾ってあります。
  
この内裏雛2体だけなのに、何となく桃の節句の感じがします。

40年以上前の人形ですが、日本的な顔つきや表情が気に入ってます。
近年の雛人形の表情は、玩具並で大きな目に付けまつげなど、西洋人の顔つきに変化したのもあり、時代や地方によって多様です。

     
今日は、ちまたの祭りにあやかって、定番の円形ケーキではない雛祭りのロールケーキと手焼き焙煎コーヒーで、ささやかに雛祭りもどきの気分を味わいました。

「三丁目の夕日」のカラーテレビ

2012-02-25 22:05:05 | インポート
断片的だったけれど、TVで観た「三丁目の夕日」の続きが気になっていたので、映画館近くの買い物ついでに、映画を2年ぶりぐらいで観ました。

久しぶりに時間に余裕ある日だったので、丁度上映開始時刻の5分前ということもあって、ロス時間がないことから衝動買いみたいに「ALWAYS三丁目の夕日’64」のチケットを買ったのです。(数編の予告編が15分あったので、ロス時間と上映開始時刻とは関係なかったけれど)

           

ALWAYS三丁目の夕日’64の時代背景は、丁度東京オリンピックのあった1964年(昭和39年)であり、私的には2度目の海外旅行(東南アジア一人旅)をした同じ年だったし、親類縁者に預けられて肩身の狭い思いをする経験もあり、自信の身に置き換えてノスタルジーと深い親近感がありました。
それに又、自宅住所も三丁目なのです。

今の世相とは違う何かと言えば、発展著しい日本の活力の源みたいな明るい家族愛や親子関係と、下町の素直な人情と人間関係や、一生懸命さで未来に希望を持つ前向きなくらし方、後継ぎ問題将来性と可能性などがぎっしり詰まっているので、観る人の胸中に届きます。

他人の足跡だけに頼り、物欲に走って裕福になることを考えるよりも、自分の意思で自分の身の丈の幸せに向かって前進することで、必ずくる明るい明日を確信できる象徴が夕日なのでしょうか。

コミックな場面には素直に笑い、哀愁だけではないじんわりと伝わる思いに、心を揺さぶられる感動的な映画でしたから、何度も流れ落ちる涙をぬぐいました。

漫画本や原作のことなど、何の予備知識も無かったけれど、東京タワー・模型飛行機CGでの見事な特殊撮影には脱帽です。  
トヨペット、パブリカ、オート三輪車やエレキギター、シェーなど懐かしかったー。

映画の内容とは別に、テレビジョンの普及が始まった頃に関して、上映中のストーリーにからんで出てくるモノクロTVやカラーTVのことに興味深く感じながら観ていました。

資料によれば、モノクロテレビは1953年に、カラーテレビは1960年に本格放送開始され、テレビの普及率はモノクロで1958年(昭和33)15%です。
カラーテレビの普及は1964年(昭和39年)の東京オリンピックを契機に急に普及し始めたのす。
1966年(昭和41)サンヨーカラーテレビCMソング「うちのテレビにゃ色がない」をエノケンが歌うなどPR合戦盛んでしたが、普及率は1966年(昭和41)0.3%ですから、あの時代に高価なTVを買うのは富裕層でした。

 
  
当時のカラーテレビの価格は、東芝は1960年(昭和35)7月に国内初のカラーTVを発売し17インチで42万円、日立のCT-150型で52万円、三菱が1965年(昭和40)発売した19CK-650型19万8千円、パナソニックはカラー1号機1960年(昭和35)50万円
SONYは1968年から発売開始
http://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/sonyhistory-c.html
パナソニックTVの価格は当時大卒初任給が1万円でTVは20~25万円(ちなみに電気冷蔵庫5~6万円 電気洗濯機2~3万円)

最初の頃は、夕刻の時間帯だけのTV番組で、TV放送の時間帯にはTVのある裕福な家庭の座敷は、ご近所さんに解放されました。
そんな光景を思い出し、時代と人情の移りゆく様を痛感したのは、この映画「ALWAYS三丁目の夕日’64」でした。

除雪用具のジョンバーは必需品

2012-02-21 22:07:07 | インポート
今日は朝から地吹雪混じりの吹雪でした。一時止んだ時間帯もあったり、わずか陽も照りましたが、夕刻までに15cm近くの降雪がありました。
15cm以下なので除雪車が稼働しないので、道路幅は狭く最悪状態です。

午後から除雪作業でしたが、除雪機で雪をとばす技術に慣れてきたので、思いのほか早く終わりました。
雪をある程度集めて積み上げておいてから雪をとばす方向を定めて作業を進めることにすると、時間が短縮されるのです。

雪を押したり、かき集めたり、運んだりするのは、各種の除雪用具を使いますが、一般的な家庭の除雪用具ジョンパーは用途に応じて使います。

昔は木材と竹材でできたジョンバーを使っていましたが、現在は樹脂性が多く、耐久性の悪いのもあるので、5年くらいで更新しているので消耗品扱いです。

                
今年2本の新型を、新しく入手したしました。
幅50cmある大型は、仕事の能率が上がります(左)。
一般的な幅40cmの黄色い方(右)ですが、ブリップがあるので力が入りやすく優れています。

               
自分で使いやすいように、従来の柄の先にグリップを付けて長目ですが使っています。雪を遠くにとばすのに有効です(左)。
ジョンバーではなく、スノープッシャーという商品名のラッセルのように押して使う用具で、グリップが付いています(右)。
グリップがない従来型の普通のジョンバーは、樹脂製部分の左右の雪量のバランスが均等でないと力が入らず、あまり雪の量が運べません。スコップにグリップがないのと同じです。(中央)

               
旧型の重い鉄板製のジョンバーで、頑丈ですが現在は市販されていません。固くなった雪面に使います(右)。
安価ですが、長い柄の先が樹脂製部分に固定されている長さが短いので、当然ながらすぐ折れてしまいます。柄が細い場合もあるので握りづらいのもあります(左)。

ジョンバーは、積雪地には必需品なので、見てくれでは無く実用になる優れ物を作って販売してほしいものです。

ジャンボチキンカツ

2012-02-19 22:25:57 | インポート
午後3時少し前に北海道教育大学旭川校美術分野の冬季展を見ようとデザインギャラリーに行ったのですが、なんと最終日で午後2時終了でずっこけました。

その後久しぶりに旭川市のダウンタウン買物公園辺りのデパートなどを散策しました。 
旭川市のメインストリート平和道り(買物公園)は、丸井デパートがFeeelになってから、少しは活気が出たようです。
5階の文具店で買い物をしてから地下に行ってみると、食料品売り場はほんのわずかで、大きな薬屋と休憩所でした。

昼のTVで鶏肉の照焼きの番組を視聴した後だけに「北の惣菜屋/まる田」の「大きなチキンカツ」がまず目に止まったのでした。
長さ約25cmは、みごとな大きさで200円で「まる田」の売れ筋なのだそうです。

         

チキンカツの大きさには基準がないので、大きさは好きずきですが、この大きさは魅力的で、当然ながら食欲をそそりました。
最後の一つということもあって、衝動買いしてしまいました。

八つ切りにして夕食の食卓に現れました。
本当は、TVで観た照焼きチキンを食べたかったのですが、柔らかさ良し味良しのせいで、照焼きチキンのことを忘れてしまいました。

     × × ×  × × ×  × × ×

「まる田」は、「中華そば」がメインなのだそうで、昔の「中華そば」を思い出しました。
昔は「醤油ラーメン」のことを「中華そば」と呼んでいたので、旭川で油っこい醤油ラーメンが一般的な外食として定着した頃に、東京でラーメンを食べようと「中華そば」を注文したのですが、極あっさり目の醤油ラーメンに似たもので、そば汁に似た汁に細いうどんが入った丼だったのです。

ラーメンの種類も味付けも、創作のラーメンが主流になってしまい最初の頃のらーめんが、懐かしい気にもなります。

昨夜滝川市から帰る途中に寄った国道12線沿いのラーメン店「ひじり」の醤油ラーメンは、まさに昔を思い出すラーメンでした。

             
空きっ腹ではないのに、懐かしいその味の良さに大満足しました。魚だしの汁ではないけれど、ちぢれが少ない麺が汁に程よく馴染んでいました。
ちなみに麺は」旭川産なのだそうです。