チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

水教会

2005年03月10日 05時16分45秒 | キリスト教
ヴァッサーキルヒェ (Wasserkirche) という、変わった名前の教会堂があります。グロースミュンスターからリマト川の方へ降りたところ、川沿いです。訳せば「水教会」。以前から気になっていたこの小さな教会に、チューリヒ滞在の終わりも近いということで、出かけてみました。

名前の由来は、この教会堂が中世には実際に、リマト川の中の小島に立っていたことにあります。

こんな具合だったようです。
(教会地下に飾られていた絵)

教会の南側にはツヴィングリの像が立っています。


しかしながら、ヴァッサーキルヒェの歴史は、どちらかというと、ツヴィングリ(と彼の宗教改革)に脅かされたというほうが当たっています。

ヴァッサーキルヒェが元来あった場所は、町の守護聖人となっているフェリクスとレグラ (Felix und Regula) が、キリスト教信仰のゆえに拷問を受け、斬首された場所と言われています(紀元300年頃の話)。ちなみにこの二人は、切り離された首を自分で抱え、山側に40歩進んだとされており、その場所が現在のグロースミュンスターになっています。

最初に教会が建てられたのは紀元1000年。当初はロマン様式でしたが、その後、ゴチック様式(13世紀)、後期ゴチック様式(15世紀)のものに建替えられています。後期ゴチック様式のものを建てている最中には、教会のそばから泉が湧き出たそうで、この乳状で硫黄分を含んだ水に癒しの効果があるとされ、それはフェリクスとレグラの力によるものだということになり、多くの病人が癒しを求めて巡礼に訪れたという話です。

宗教改革者ツヴィングリはしかしこの教会を嫌っていたようで、教会内の聖画や祭壇、オルガンを取り除いてしまい、泉も埋めさせてしまいました。そこに置かれていたフェリクスとレグラの像だけは、カトリック信者の手によって、ウリ州アンデルマットに避難させられたそうです。

その後教会堂は倉庫として使われましたが、1634年からは教会の中に市立図書館が設けられました。1917年に市立図書館がツェーリンガー広場に移った後はしばらく空のままでしたが、1940年から42年にかけて大修理が行われ、それ以来ヴァッサーキルヒェでは再び礼拝が行われるようになりました。

これが教会堂の中です。


ヴァッサーキルヒェは、教会組織(Gemeinde)こそ持っていませんが、土曜と日曜の夕方6時からは礼拝が行われています。火曜・水曜の午後2時~5時にも教会の中に入れます。

(今日の話のネタ元はここです。歴史の話はほぼ受け売り。)

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