鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

家紋散し図鍔 Tsuba

2016-02-08 | 鍔の歴史
家紋散し図鍔


家紋散し図鍔

 家紋を文様と捉えたものであろう、様々な家紋と、古典的な文様を小透にして散し配している作。赤銅魚子地を背景としているためであろうか、いかにも賑やかに文様が溢れているように見えるが、その一方で重厚感も窺える。桐と菊に足利家が用いた丸に二引両紋、違い輪紋、三ツ巴紋、下がり藤紋、桜紋。

三引両紋図鍔 応仁 Onin Tsuba

2016-02-06 | 鍔の歴史
三引両紋図鍔 応仁


三引両紋図鍔 応仁

装飾性が高いものの、厳格な雰囲気が漂う作。真鍮の線象眼を耳と透かしの周囲に施していることから応仁鍔と極められている。同類の中でも時代の上がる貴重な遺例である。角形の四隅を切り込んで木瓜形とし、猪目と方形の透かしを施している。対称性を考慮していることから厳格な雰囲気が生まれているのであろう、松毬文に加えて三引両紋を配している。色合いがいい。ねっとりとした上質の鉄地に、やはり年月を経て黒化した真鍮地の象嵌が、渋く活きている。三引両紋を用いた武家で有名なのは西国において活躍した吉川氏。


三引両紋図鍔 応仁

 鉄地を円形に仕立てた姿は、みるからに時代の上がる刀匠鍔。これに真鍮による線と点の象嵌が加わっていることにより応仁の一類と極められている。植物は唐草風に文様化し、空間に点と櫛のようなあるいは源氏香のような文様を散し配している。植物文の大きく流れる様子は力強く、切羽台の周りの円も強みがある。もちろん左右に大きく配した三引両の家紋が一番に目につく。

花菱透図鍔 京透 Kyo-Sukashi Tsuba

2016-02-05 | 鍔の歴史
花菱透図鍔 京透


花菱透図鍔 京透

 透かしの文様としても唐花は素敵であり、明らかに家紋として意識して用いられた作を見る。専ら唐花は五弁に構成されるが、四つの花弁を組み合わせ、菱形に構成したものを花菱とも呼んでいる。一つの花弁を見れば基本が同じであることは明瞭。でも、4つと5つではずいぶん印象が異なってくるものだ。ここがデザインとして面白いところ。因みに唐花は、木瓜と組み合わされることも多い。唐花木瓜である。さて、この鍔は、中央に十字形を構成している。鍔の円周、即ち円形と曲線による十字の組合せが七宝文。これを天地左右に連続させてゆくと、円が重なり合った地文の七宝繋文になる。いずれも装剣小道具の図柄として多い。これら、文様構成を、単純な文様として心に止めない方もおられるようだが、このように洗練された文様美はとても美しく古くから尊ばれている。特に細い線による構成は京透の特徴。


花菱透図鍔 尾張

 明らかに菱形を意識した文様。いずれも家紋として存在する。花菱の四つの花弁を分解してより簡素にすると四つの菱形の組合せだ。これらの家紋を用いたのが甲斐の武田家。尾張鍔は京透に比較して武骨なところに特徴があるも、本作は京透に似て洗練美に溢れている。

唐花文透図鍔 応仁 Onin Tsuba

2016-02-04 | 鍔の歴史
唐花文透図鍔 応仁


唐花文透図鍔 応仁

平坦な鉄地に線と点の連続で文様表現としたのが応仁鍔。この鍔でも家紋とは言いにくい唐花を構成している。透かしの端縁部に廻らした線が際立って美しく、甲冑師鍔や刀匠鍔のそれらを下地に新たな美観を求めたものと推考される。もちろんこの鍔から象嵌を取り除いたら、甲冑師鍔の特徴が浮かび上がってくる。応仁鍔とは、言わば古い鉄鍔に新たな美観を求めた、甲冑師や刀匠と呼ばれている鍔を遺した工の中から出てきたもの。流れは連続しているのだろう。

花文小透図鍔 古刀匠 Ko-Tosho Tsuba

2016-02-03 | 鍔の歴史
花文小透図鍔 古刀匠


花文小透図鍔 古刀匠

 花の文様が素敵な作。素敵と言ってしまったが、戦国時代の実用鍔でありながら、このように洒落た構成としているのが面白い。花は唐花と桜。前に紹介した甲冑師の唐花と同様に、甲冑武具に見られる文様に似ている。透かしの位置は太刀として用いた際に腕抜緒が通せる位置にあるようだ。刀の鐔として考えると上部に位置し、良く目立つ。

文透図鍔 古甲冑師 Ko-Katchushi Tsuba

2016-02-02 | 鍔の歴史
文透図鍔 古甲冑師


文透図鍔 古甲冑師

 時代の上がる甲冑師や刀匠鍔に採られる図柄として間々みられるのが、小透や陰透と呼ばれる簡素な花の文様である。家紋として捉えれば、確かにそのようにも見えるのだが、どうだろうか。写真の甲冑師の鍔は大きく巴を描き、茸のような小透と、五弁の唐花を構成したもの。ここでの唐花の文様が問題点。この文は、甲冑工による面頬や籠手などの金具に間々配されている、梅花文、桜文、唐花文などと同じ種の意匠と考えられる。家紋ではなさそうなのだが、かと言って、全く家紋ではありませんとは言い切れない。即ち、このような文様から次第に鐔における家紋図が明確に意識されるようになったのではないだろうか、とも考えている。
 以前に聞かれたことがある。甲冑師鍔や刀匠鍔について、甲冑師や刀匠が造ったものと断定している説明があるも、それは解明されていない。刀匠鍔と分類される作に、刀匠が自らの刀に合わせて製作したという作例があることによって、これらの一部が刀匠鍔と呼ばれているも、同類の総てが刀匠によるものとは考えにくい。分業が行われていて当然だろう。甲冑師鍔についても、構造的に甲冑工の技術が備わっているような、形態的な分類であり、甲冑師が造ったと、どうして断定できるのだろうか。この点は、未だ解明されておらず、近代の分類呼称を、現代も踏襲しているに過ぎない。どのような職人が製作したかという断定は控え、甲冑師の技術を備えているとか、その技術を駆使したとか説明するべきであろう。


桐紋透図鍔 京透 Kyosukashi Tsuba

2016-02-01 | 鍔の歴史
桐紋透図鍔 京透


桐紋透図鍔 京透

 鉄地に細い線を活かした透鐔が京透。桐紋をこのように放射状に連続させると、単純な素材ながら優れて美しい空間が生み出される。即ち、桐紋でなくても良いわけで、同種の図柄に菊花透かしや車透がある。というより、車透がまずあり、菊花透しなどに至り、後にこのような様々な文の組合せになる構成が生まれたと考えるべきであろう。桐紋は五三桐や五七桐の構成要素を残しながらも、家紋ではなくなっている。江戸時代。