鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

撫子唐草図縁頭 美濃

2010-02-10 | その他
撫子唐草図縁頭 美濃


撫子唐草図縁頭 美濃

 時代は少し遡るが、江戸時代初期の縁頭の資料があったので紹介する。Photo①は唐草に構成した秋草撫子図。赤銅地を鋤き下げて深彫とし、彫際を削ぐように古典的な技法を駆使して文様を際立たせている。線の描写が前回紹介した秋草に虫図よりも繊細で、文様が引き締まっている。この風合いが時代の上がる要素と捉えてよいだろう。この手の縁頭で、古美濃極めの作もあり、極め所は彫刻技法だけでなく、腰の高さや肉取り(地金の厚さ)、縁の長さ、幅などが考慮される。網目のように配された唐草に浮かび上がる撫子の花と葉。それぞれが金の露象嵌で装われており、濃密な金色というわけではないが、魅力ある構成である。線の切り口、花弁の隙間などにも、目貫でいうなれば抜け穴のような趣があり、これも見どころ。

秋草に虫図縁頭 光政(美濃)

2010-02-09 | その他
秋草に虫図縁頭 光政(美濃)

 
① 秋草に虫図縁頭 美濃住光政作

 
② 牡丹獅子図縁頭 美濃住光曉

 美濃彫、あるいは古美濃の呼称について。極端な深彫手法になる特徴顕著な技法になる作例が多くあり、これらに、光暁、光伸、光仲、吉長などの作者銘と共に美濃住と居住地銘が刻されていることから美濃彫と呼ばれている。まずこれが分類呼称の基礎にあり、同じ趣の作、即ち深彫顕著にして、しかも意匠構成などから桃山時代以前の作と推測されるものを古美濃と呼び分けている。古美濃の作品の時代に、果たして美濃にいた金工が同趣の作品を専らとしていたか否かは判明していない。むしろ文化の中心である京都近隣に職人がおり、この影響を受けた金工が各地に移住したと考えたほうが良いだろう。
 以下に江戸時代中頃の美濃住○○と銘された縁頭を紹介する。銘の遺されているのがほとんど縁頭であることから、鐔、笄、目貫とは作風を直接比較することはできないのだが鑑賞されたい。
 Photo①は光政の秋草に虫図縁頭。赤銅地を極端な深彫とし、その奥の地面には魚子を打ち施し、ほぼ一定の高さとされた高彫による文様の表面には鏨を切り付け、金の色絵を施している。文様の立ち上がり部分は削がれて切り立ち、まさに古美濃極めの鐔に似ている。密な構成も古美濃だが、構成線の繊細さは、図柄が大胆であるが故に乏しい。
 Photo②は秋草図ではないが牡丹に獅子の図。①と同様に極端な深彫の魚子地に、高彫表面には金の色絵を濃密に施している。手法は全く同じ。
 これらの古い時代を彷彿とさせる金具が、戦争も遠い過去のものとなった江戸中期に、如何なる理由で製作されたものだろうか。殊に金の色絵を濃密に施した②の縁頭は、桃山時代の拵に好適な風合いであり、桃山頃を偲んでの、時代を想定しての作だろうか。復古意識が生まれたのだろうか。その流行があったのだろうか。桃山風の拵が、文化史的な桃山時代よりも長く続いた、即ち装剣具に関しての桃山時代と文化史的な桃山時代とはギャップがあると考えるべきなのか。容易には結論が出そうにもない。

秋草に蝶図目貫 美濃

2010-02-08 | 目貫
秋草に蝶図目貫 美濃



① 山椒図目貫 古美濃




② 秋草に蝶図目貫 美濃

 秋草図とは離れてしまうが、山椒図の揃金具との関連で山椒図目貫(Photo①)を紹介する。金無垢地を贅沢に用い、打ち出し強くまさに目の前に山椒の実をつけた一枝があるかのように、量感豊かに、写実的実体的に彫り出した作。構成は古典的な唐草文風で、際端がすっくと立ってしかも下端部が締まってくっきりとした感がある。表面には実の質感を高めるための微細な鏨が加えられ、種は艶やか。裏行の鑑賞でも際端の締まった様子が分かるも、時代の上がる作に比してやや厚手の仕立てとされている。桃山時代であろう。確かに手にした際には、単に金無垢地という意味ではなく重量感がある。豪奢で華麗、しかも繊細緻密。美濃彫様式の進化の様子が窺いとれる作でもある。
 Photo②もほぼ同時代、桃山後期から江戸時代初期と鑑られる、美濃と極められている豪壮華麗な秋草に蝶図目貫。古美濃に比して厚肉感のある地金を腰の高い特徴的な打ち出しとし、際端の下部を絞ってくっきりと仕立て、抜け穴の透かしを効果的に用いて文様を鮮明にしている。透かしの切り口に肉が付いている様子などをPhoto①のそれと比較すると、枝ぶりの描写が微妙に異なっていることが理解できると思う。表面に施された毛彫や魚子などにも新味が感じられる。派手な拵に装着されていたものであろう、時代相が良く示されている作品である。

秋草図笄 古美濃

2010-02-06 | 小柄
秋草図笄 古美濃




①秋草図笄 無銘 古美濃



②秋草図小柄 無銘古美濃

 古美濃と極められている美濃彫様式の笄と小柄の中から、比較的似ている手の作品を紹介する。小柄は、後の時代に必要に迫られて笄を小柄に直したもの。いずれも、赤銅魚子地を打ち出しと彫り込みを交えて枝は細く繊細に、花はくっきりと量感をもたせて立体的に彫り表わしている。図柄は網目のように組み合わせた古典的な唐草文様風の構成。総体に時を重ねて表面は擦り減ってはいるが、葉の端部の抑揚や、枝の一分に小刻みを設けて巻き蔓を意味させるなど、彫口はかなり似ていることが分かる。これを時代的な特徴とみるか、金工個人の特徴とみるかは、材料が少ないので言及しないが、興味は頗る大である。
 製作されたままの腐蝕の進んでいない状態の作例に出会う機会は少ない。そのような綺麗な笄や小柄は頗る貴重であり楽しめるが、磨り減った高彫が示す美観も魅力的で捨て難い。江戸時代中期以降には、このような時代色を意図的に施した作例もある(江戸埋忠派に作例があるので、後に紹介する)。

秋草図鐔・笄 古金工 

2010-02-05 | 
秋草図鐔・笄 古金工

 
① 秋草図鐔 無銘古金工



② 秋草図笄 無銘 古金工

 Photo①の秋草図鐔は、杜若、撫子、瓢箪、団栗を古典的な唐草文に構成した作。赤銅地を浅い切り込みの木瓜形とし、耳をごくわずかに高くして魚子地に仕上げ、薄肉彫の手法で、まさに文様として植物を配している。とはいえ、草体化したような文様ではなく、写実風な趣をも残している。全体に散らしている金の点象嵌は朝露を意図したもので、植物図には、美濃彫古金工いずれにもみられる要素である。鐔の造形を含めて、爽やかな風合いがある美しい構成が魅力である。古金工と分類された中では草木の表現に洗練味があり、薄肉の高彫表現の彫り際の微妙な抑揚にも美しさが感じられる。このように特徴の現われた作例は、必ずどこかに存在するはずで、作者は不明でも系統立てて鑑賞する指標とはなると思う。
 Photo②の秋草図笄は古金工と極められている。ちょっと見ただけでは美濃彫の風合いを含んでおり美濃彫とも鑑られることもあろうが、時代の上がることと彫口なだらかな点などからこのような極めとされているようだ。幅広めで金色絵が過ぎるほどに施されている点などの観察から桃山時代は降ることはないだろう。鐔の作風とは明らかに風合いが異なり、曲線的な蔓草の構成、菊、撫子、丁子、女郎花の構成、黒と金の華やかな構成が最大の魅力と言えよう。これも特徴が現われた美しい作である。
 作品の表面が綺麗に揃った微細な点の連続であるため、モニターによってはモアレが生じて見難くなる場合があります、ご容赦下さい。

雅文図鐔 鎌倉

2010-02-04 | 
雅文図鐔 鎌倉

 
① 雅文図鐔 無銘鎌倉

 
② 雅文図鐔 無銘鎌倉

 
③ 雅文図鐔 銘 和州住吉包八十八歳

 ここでまた、少し風合いを異にする鐔Photo①、Photo②、Photo③を紹介する。鎌倉鐔(かまくらつば)と呼ばれている、これも作者や地域、あるいは製作の時代など鎌倉とは全く関わりのないところに呼称の起源があるという、少々理解し難い点のある個性の強い作。鎌倉と関わりがあるとすれば、鎌倉土産として広く知られている鎌倉彫の盆などのように、鋤き下げの手法によって表面がほぼ平坦な文様表現とされているところ。鐔工群について良く分からないことから、近代に至って、やむなく付けた呼称らしい。ただ、一点のみだが、「和州住吉包(よしかね)八十八歳」の銘のある作が遺されており、貴重な資料ともなっている。それがPhoto③である。
 ここに紹介した三点とも、鉄地を極めて薄手に仕立て、耳をわずかに立て、地を鋤き下げてほぼ平面に仕上げ、文様部分のみ薄肉に残している。透かしの切り口も縁取りしてわずかに肉高く処理している。鎌倉彫に似ていると言われればその通りだが、この呼称が定着してしまい、むしろ作品から漂う豊富なイメージが失われるのではないかとの懸念もある。文様の構成は、応仁鐔や平安城象嵌鐔のように、文様化された風景を散し絵の如くに配している点。文様の草体化は作者の個性と言えようが、この種の作品では、ほぼ似た印象がある。それでも、同種の鐔を並べて鑑賞すると、明らかに個性が際立ち、同じ工の手になるものと確信し得る作もある。文様の多くは、雲、山、塔、花文、松や梅などの植物、そして秋草。この三点の鐔にも、竜胆、竹、薄(萱)などがみられる。それらが無関係に布置されている点も興味深い。
 純然たる秋草というわけではないが、金工の作風の変遷を眺める上でこの趣の鐔を避けて通ることはできない。

秋野に兎図鐔 平安城象嵌

2010-02-03 | 
秋野に兎図鐔 平安城象嵌


①花枝文図鐔 無銘応仁

 
②秋野に兎図鐔 無銘平安城象嵌
 
 次に紹介するPhoto①の鐔は、秋草とは言い難いが、秋草図に繋がる、植物を唐草風に意匠した作で、室町時代中期の応仁頃に製作が始まったと推考されている鐔。このように薄手の鉄地に真鍮の線や点の連続になる象嵌の技法を駆使した作を応仁鐔(おうにんつば)と呼び慣わしている。特徴は、鉄地を薄手に仕立て、わずかに盛り上がりのある文様を真鍮象嵌の手法で表わしている点。文様は家紋、花文、実をつけた枝葉、蔓草、興味深いのは菊水で、これらを鐔全面にほぼ均等に散らし配している。
 その後、この技法を下地に更にデザイン化が進んだ平安城象嵌(へいあんじょうぞうがん)鐔へと連続し、さらに正阿弥(しょうあみ)派などの高彫象嵌表現を専らとする工へと広がっていると考えている。平安城象嵌とは、これも厄介な呼称で、時代の下がる同趣の真鍮象嵌鐔に、「平安城○○」と銘のある作があることから、この種の時代の上がる作品を、平安城(京都)という地名とは関係なく呼び分類しているものである。
 Photo②の鐔が平安城象嵌鐔の良い例で、製作は室町時代末期から桃山時代頃。鉄地は比較的厚くなり、山や野の様子は高彫、ここに真鍮、素銅、赤銅、山銅、銀などの多彩な色金が高彫象嵌の手法で、風景の文様化の如く散し配されている。絵画では桃山頃に隆盛した琳派の意匠は、基本に風景の文様表現にあり、『源氏物語』など古典文学に取材した作品が多いことでよく知られている。そのような琳派に連続するとは言わないが、風景の文様化が、明らかに進化していることは理解できよう。
 この鐔での秋草は野を駆ける兎の背景、塔と同様に添景。萩、笹、桔梗、萱、菊、そして茸も添え描いている。まさに秋の恵みが背後にある。この、時代の上がる秋草の表現を鑑賞してほしい。

山椒図三所物 古金工

2010-02-02 | その他
山椒図三所物 古金工



山椒図三所物 無銘古金工

 時代の上がる諸金工の分類は、未だ深く為されていない。深彫の特徴のある美濃様式や太刀金具師などは別として、その他については特徴も何も分類の対象とせず、大きく古金工として捉えているのが現状である。作者はもちろん金工群についてすら記録がないということが理由で、美濃彫については、江戸時代中頃に「美濃住○○」などと銘された作品が存在することから、その流れを遡る金工を「古美濃」と呼び慣わしているに過ぎない。即ち、「古美濃」の「美濃」は江戸時代中期の「美濃住○○」と同じ美濃国という意味ではない。もちろん桃山時代以前の美濃の国に栄えていた金工という意味でもない。それが故に時代の上がる系統の不明な諸金工の作品は、興味深く面白いのである。
 そのような中で、数少ない伝承とも言いうる記録の残されている金工の作品が、この山椒図三所物である。作者は、この趣の山椒図を得意として幾つかの作品を残していることから「山椒太夫(さんしょだゆう)」とも呼ばれた与右衛門(よえもん)。記されているのは、武家金工の名流として知らぬ者のない後藤家の記録『後藤家彫亀鑑』で、活躍の時期は室町時代後期から桃山時代初期と推測され、山城国京都。これも伝説的な面が強く、正確な記録とは言い難い。とはいえ、このような記録が残り、伝承されるほどに特徴を強く示した金工が存在したことは想像の存在という以上に確実に近い存在と言え、古金工の分類研究の大きな指標となることは間違いない。
 赤銅魚子地を美濃彫風に肉高く彫り出し、山椒の実を実体的高彫にし、光沢のある種は赤銅を球状に磨きだし、種を包んでいる皮は素銅で、その割れた様子まで正確に彫り描いている。金銀素銅の色絵を施した葉や枝は、唐草状に構成して古典の風合いを強く残している。魅力はその風合い。独特の樹質や種、皮の質感描写に他ならず、江戸時代の作品群の基礎が、すでにこの頃にあったとは驚きである。これまでのような時代の上がる作品は稚拙であるという意識は捨てるべきである。本作が三所物で伝えられたことも大きな魅力である。時代の上がる三所物は少なく貴重である。
 作品の表面が微細な点の連続で、しかも揃っているためにモアレが生じ、モニタによっては見難い場合があります、ご容赦下さい。