鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

秋草に虫図縁頭 光政(美濃)

2010-02-09 | その他
秋草に虫図縁頭 光政(美濃)

 
① 秋草に虫図縁頭 美濃住光政作

 
② 牡丹獅子図縁頭 美濃住光曉

 美濃彫、あるいは古美濃の呼称について。極端な深彫手法になる特徴顕著な技法になる作例が多くあり、これらに、光暁、光伸、光仲、吉長などの作者銘と共に美濃住と居住地銘が刻されていることから美濃彫と呼ばれている。まずこれが分類呼称の基礎にあり、同じ趣の作、即ち深彫顕著にして、しかも意匠構成などから桃山時代以前の作と推測されるものを古美濃と呼び分けている。古美濃の作品の時代に、果たして美濃にいた金工が同趣の作品を専らとしていたか否かは判明していない。むしろ文化の中心である京都近隣に職人がおり、この影響を受けた金工が各地に移住したと考えたほうが良いだろう。
 以下に江戸時代中頃の美濃住○○と銘された縁頭を紹介する。銘の遺されているのがほとんど縁頭であることから、鐔、笄、目貫とは作風を直接比較することはできないのだが鑑賞されたい。
 Photo①は光政の秋草に虫図縁頭。赤銅地を極端な深彫とし、その奥の地面には魚子を打ち施し、ほぼ一定の高さとされた高彫による文様の表面には鏨を切り付け、金の色絵を施している。文様の立ち上がり部分は削がれて切り立ち、まさに古美濃極めの鐔に似ている。密な構成も古美濃だが、構成線の繊細さは、図柄が大胆であるが故に乏しい。
 Photo②は秋草図ではないが牡丹に獅子の図。①と同様に極端な深彫の魚子地に、高彫表面には金の色絵を濃密に施している。手法は全く同じ。
 これらの古い時代を彷彿とさせる金具が、戦争も遠い過去のものとなった江戸中期に、如何なる理由で製作されたものだろうか。殊に金の色絵を濃密に施した②の縁頭は、桃山時代の拵に好適な風合いであり、桃山頃を偲んでの、時代を想定しての作だろうか。復古意識が生まれたのだろうか。その流行があったのだろうか。桃山風の拵が、文化史的な桃山時代よりも長く続いた、即ち装剣具に関しての桃山時代と文化史的な桃山時代とはギャップがあると考えるべきなのか。容易には結論が出そうにもない。