松に梅図鐔 永壽齋景春
松に梅図鐔 銘 永壽齋景春(花押)
これも雪の洞から眺めたような構成。中央の雪山は木々に積もったものか、梅樹、下草、飛び立ったのはスズメであろうか、枯れ葛のからまる松樹も印象的。鉄地高彫象嵌。永壽齋景春(かげはる)について詳細は不明だが、永壽齋春則に有縁の工か。
東龍斎派の終焉は、廃刀令によってなされた。装剣金工の多くが廃業をした。置物などの装飾性の高い器物の製作に転向した金工もいる。その中で東龍斎派の工は、時計などの精密工芸の分野に速やかに移行したと言われている。装剣金工としての、あるいは飾り金具としての東龍斎派の作風は、ここで終焉を迎えたわけである。もしも、という言葉は、歴史の上では意味がないはずだが、江戸時代が百年続き、装剣小道具の製作が続いたなら、東龍斎派はどのような作品を遺したであろうか。
松に梅図鐔 銘 永壽齋景春(花押)
これも雪の洞から眺めたような構成。中央の雪山は木々に積もったものか、梅樹、下草、飛び立ったのはスズメであろうか、枯れ葛のからまる松樹も印象的。鉄地高彫象嵌。永壽齋景春(かげはる)について詳細は不明だが、永壽齋春則に有縁の工か。
東龍斎派の終焉は、廃刀令によってなされた。装剣金工の多くが廃業をした。置物などの装飾性の高い器物の製作に転向した金工もいる。その中で東龍斎派の工は、時計などの精密工芸の分野に速やかに移行したと言われている。装剣金工としての、あるいは飾り金具としての東龍斎派の作風は、ここで終焉を迎えたわけである。もしも、という言葉は、歴史の上では意味がないはずだが、江戸時代が百年続き、装剣小道具の製作が続いたなら、東龍斎派はどのような作品を遺したであろうか。