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八王子の与太郎河童、
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明日も、滑って、転んで・・。

関口文治郎の彫刻(序)

2018-06-21 23:59:49 | 関口文治郎/神社仏閣

群馬県桐生市黒保根下田沢の医光寺に、
中国24史の彫刻が、本堂の欄間飾られている。
師匠、石原吟八郎之が亡くなって独り立ちした、
関口文治郎の作。
昭和37年3月25日「商工会たより」に、役場職員松島晃史が、
欄間裏面に「宝暦6年、彫刻関口文治郎」と記録されていたのを発表したて判ったもの。む(宝暦6年=1753年)
幼少から彫刻の才能に一目置かれた、文治郎。
22歳の時に彫り終えた、透かし彫りに両面彩色。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


この地藏さんの左を曲がり最上段に、
今年の5月、上田沢の観音堂から、関口文治郎の墓が、
末裔の地所に、移された。

 

写真 2018.6.17 桐生市


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2 コメント

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Unknown (熊子の百葉箱)
2018-06-22 05:58:05
5枚目の写真は・・・
人を乗せる籠を上に飾ってあるのかしら?
返信する
おはようございます熊子の百葉箱さん (とよ)
2018-06-22 07:32:43
クルマの無い時代ですね、
医者は四方囲まれた籠で、往診していたようです。
捨てないで、保存していたものです。
返信する

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