群馬県桐生市黒保根下田沢の医光寺に、
中国24史の彫刻が、本堂の欄間飾られている。
師匠、石原吟八郎之が亡くなって独り立ちした、
関口文治郎の作。
昭和37年3月25日「商工会たより」に、役場職員松島晃史が、
欄間裏面に「宝暦6年、彫刻関口文治郎」と記録されていたのを発表したて判ったもの。む(宝暦6年=1753年)
幼少から彫刻の才能に一目置かれた、文治郎。
22歳の時に彫り終えた、透かし彫りに両面彩色。
この地藏さんの左を曲がり最上段に、
今年の5月、上田沢の観音堂から、関口文治郎の墓が、
末裔の地所に、移された。
写真 2018.6.17 桐生市
医者は四方囲まれた籠で、往診していたようです。
捨てないで、保存していたものです。
人を乗せる籠を上に飾ってあるのかしら?