春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

(⑥)狸の弁当・証・証・・・・・・

2016-04-12 21:33:16 | Extra
今日は新宿の街を一日中歩いた日でした。
少々疲れて戻ったところです。

証・証・証城寺
証城寺の庭は
ツ・ツ 月夜だ
皆出て来い来い来い
己等の友達ァ
ポンポコポンのポン

バーベキュー弁当
木更津駅
(株)浜谷
42年3月9日8時



・・・・・・・・・・・・・・・・・・
浜松駅構内。
急行列車進行の景
右奥の建物は、機関車庫だそうです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(39)節三の兄六郎、帰国

2016-04-12 05:04:36 | 節三・Memo
おはようございます。


「六郎さんは無欲っていうか、おおらかな人で、お金でもなんでも困っている人がいると、どんどんくれてやる。いかにも地主の六男という感じの人でした。父、新助がいくら送金しても、すぐ「また送れ」だったそうです・・・まあハンドルの壊れた車のようでした」
六郎の長兄戍太郎の長男昌男の夫人テルさんの述懐である。

節三が明治大学に入学し、三船久蔵の書生になり、講道館に通い始めたのは大正五年。
田舎柔道の二段も講道館では無段に等しく、五月二十一日の春季紅白試合で勝ち進んで、六月で初段になる。
その頃すぐ上の兄六郎は、朝鮮、満州を「ほぼ見て回った」と、豪語し帰国した。
足かけ五年の歳月をかけたことになる。
六郎は言う。
「言語、風俗などすべて違う。でも、その珍しい風物、人情に触れながらのジプシー生活もオツなものでしたな。大正五年にいったん帰国したんですよ」
六郎の言葉である。
帰国の船の中で、六郎は、「ブラジル、アルゼンチン、チリ、メキシコの入国査証を取る」と決めていた。

生まれ故郷、小坂町の地を踏み、一目散に太田の家に駆けこんだ。
二日の間、小坂の町の変わり様を見終わった、三日目の朝。

六郎は、父新助に食い下がった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする