春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

(36)節三・上京・・・汽車の中で・・・

2016-04-01 21:00:28 | 節三・Memo


「パチン」
爪を切る音が、悌三の背中を半月に映した障子の奥から聞こえた。
「節三、明治大学に決まったらしいな」
養父で兄の悌三は炬燵に足を入れながら、一段と逞しくなった節三の肩の幅を測るように目を移してから、口調、穏やかに話しかけた。
悌三は心配をしていた。
大学に入らなければ、三船指南の期待に応えることはできないだろう。
悌三の落着きは、杞憂が吹き飛んだ、解放感からであった。
校長も節三が柔道で、身を立てられるよう努力をし、明治大学で教導をしていた三船久蔵も一役買
って大学に働きかけたくれた果報でもあった。
節三の学力では到底、小坂町の同級生一歳年下の秀才、小泉の協力があっても入学できる能力ではなかったのだ。
それでも入学できた。
「お前も、飲め」
二人は、朱塗りの盃を丼に替え、東京での話に夢を膨らませた。

中座したトシが戻り、祝いの酒一杯で紅くなった顔を更に熟柿した色になりながら、抱えた包みを節三に手渡した。
白地と萌黄色地の二本の真新しい柔道着が、黒帯でしっかりと結ばれていた。
木綿の生地を幾重にも重ね、手縫いに定評のあるトシが、掌に板をあて布で巻いて縫上げた、節三への持たせる節三の稽古着。
トシは養子になった節三の母になる努力を、手傷を負い痛みに耐えて縫い上げ、表したかった精いっぱいの稽古着。
嬉しがる節三との会話に混じり、目を潤ませるトシを節三は労わった。

隣村、毛馬内に嫁いだ、長女ウメの横田家、次女ヤエの豊口家に挨拶し終えた悌三親子は夕方、奥羽線の東京行き二等の汽車に乗った。
薄れていく小坂の出来事が、一つ一つ、薄れかけていく。
頭の中が、ぼやけ、暗くなった窓に写る車内を眺めていた節三と、養父悌三を乗せた汽車が横手町に着くと、腕組みをしていた悌三がいきなり立上って節三の肩を叩いた。
「来い」と言い、さっさと汽車から降りてホームを駆け出した。
改札口の正面で立ち止った悌三は、乗客が消え電灯に照らされた改札口を顎でしゃくった。
節三は、目を凝らした。
丸髷まで広げた角巻で乳呑児を包んだ、あの節三丈に知らせず置手紙に心情を綴って嫁いだお転婆のミツが節三を見ていた。
節三はただ見つめ返した。

汽車の中で悌三は懐から悌三宛てのミツの手紙と茶色の封筒を節三に渡した。

デッキでミツの手紙を読み返す節三は、無縁であった涙が一筋二筋流れるのを抑えられなかった。
悌三に託したミツの五十円が入った茶封筒が拳の中で震えた。
生涯、節三はアメリカに渡り帰国してからも、一度しか訪れなかった生まれ故郷小坂町に、ミツに会ったこの日で決別する。

千九百十六年、大正五年。

その頃すぐ上の兄六郎はなんでも見てやろう精神で渡った朝鮮、中国に区切りをつけ、日本行の船に乗っていた。
六郎は、何をしでかすか解らない男であった。
節三よりもはるかに気性の荒い男であった。


コメント (2)
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