おはようございます。
「六郎さんは無欲っていうか、おおらかな人で、お金でもなんでも困っている人がいると、どんどんくれてやる。いかにも地主の六男という感じの人でした。父、新助がいくら送金しても、すぐ「また送れ」だったそうです・・・まあハンドルの壊れた車のようでした」
六郎の長兄戍太郎の長男昌男の夫人テルさんの述懐である。
節三が明治大学に入学し、三船久蔵の書生になり、講道館に通い始めたのは大正五年。
田舎柔道の二段も講道館では無段に等しく、五月二十一日の春季紅白試合で勝ち進んで、六月で初段になる。
その頃すぐ上の兄六郎は、朝鮮、満州を「ほぼ見て回った」と、豪語し帰国した。
足かけ五年の歳月をかけたことになる。
六郎は言う。
「言語、風俗などすべて違う。でも、その珍しい風物、人情に触れながらのジプシー生活もオツなものでしたな。大正五年にいったん帰国したんですよ」
六郎の言葉である。
帰国の船の中で、六郎は、「ブラジル、アルゼンチン、チリ、メキシコの入国査証を取る」と決めていた。
生まれ故郷、小坂町の地を踏み、一目散に太田の家に駆けこんだ。
二日の間、小坂の町の変わり様を見終わった、三日目の朝。
六郎は、父新助に食い下がった。
「六郎さんは無欲っていうか、おおらかな人で、お金でもなんでも困っている人がいると、どんどんくれてやる。いかにも地主の六男という感じの人でした。父、新助がいくら送金しても、すぐ「また送れ」だったそうです・・・まあハンドルの壊れた車のようでした」
六郎の長兄戍太郎の長男昌男の夫人テルさんの述懐である。
節三が明治大学に入学し、三船久蔵の書生になり、講道館に通い始めたのは大正五年。
田舎柔道の二段も講道館では無段に等しく、五月二十一日の春季紅白試合で勝ち進んで、六月で初段になる。
その頃すぐ上の兄六郎は、朝鮮、満州を「ほぼ見て回った」と、豪語し帰国した。
足かけ五年の歳月をかけたことになる。
六郎は言う。
「言語、風俗などすべて違う。でも、その珍しい風物、人情に触れながらのジプシー生活もオツなものでしたな。大正五年にいったん帰国したんですよ」
六郎の言葉である。
帰国の船の中で、六郎は、「ブラジル、アルゼンチン、チリ、メキシコの入国査証を取る」と決めていた。
生まれ故郷、小坂町の地を踏み、一目散に太田の家に駆けこんだ。
二日の間、小坂の町の変わり様を見終わった、三日目の朝。
六郎は、父新助に食い下がった。
小坂鉱山のあった
秋田県小坂町ですね。
小坂町も
往時は鉱山で
繁栄しましたねぇ、
岩手県でも松尾や湯田の
鉱山が栄えていた時代が
ありました。
次回に期待しています。
電気、水道など県内トップをきって
普及したといいますから、
最先端の町だったと思います。
昨年訪ねたときは、
在のほうへ行きますと・・・・
のどかな雰囲気でホットしますが・・
小坂鉱山の事務所と
康楽館の辺りだけは観光客でにぎわっていました。