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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



天文学者は暇人の集まりなのか、どうでもいいこと(でもありませんが)を侃々諤々と論議するのが好きらしい。

で、このたびプラハで開かれているその天文学者の「組合」(と、私は勝手に思っている)国際天文学連合の総会で「冥王星は惑星ではない」という結論に達した。
これでめでたく太陽系の惑星は8つとなり、地学の天文が苦手な学生諸君も覚える手間が1つ減って喜んでいることだろう。

それにしても「多数決」で冥王星は惑星ではないと決めるところは民主的だが恐ろしい。
まるで、昨日まで自分の子供と思っていたが、DNA検査してみたところ他人の子供だったので「こいつはワシの子とちゃうねん」と冷たくあしらい、無慈悲に突き放した人に見えなくもないところが辛いところだ。

冥王星が惑星から外された理由は「小さいから」。
見つかった頃は大きかったけれども、観測技術の発達と共に、形は丸いけれど月の半分ほどしかないことがわかってきて、「こいつを惑星と呼んだら、他の小惑星も惑星と呼ばなければならなくなるので面倒くさい」ということで外された。

教科書会社は冥王星の表記をどうするのか悩みはじめたようだし、国立博物館では冥王星のパネルを外さなければならない、と言い出しているらしい。
出自が分れば冷たくあしらう。
なんとなく笑えない底の浅い行動だ。
サイズが小さいからと言って、神戸福原や東京吉原で差別されることはないだろうから、天文の世界はいたってクールだということか。

冥王星が発見されたことにより、70年間もの期間、さまざまな太陽系の謎を提供してきた歴史を打ち消すことはできない。
それを教育者の方々はなんと考えているのだろうか。
「惑星というカテゴリーからは外された」けれども、天文と文化の歴史に燦然と輝く「惑星・冥王星」は消し去るわけにはいかないはず。

博物館も教科書も安易に消去したり展示パネルを撤去しないで、そういう歴史を交えて子供に教えていくのはいかがだろう。
やがて冥王星まで人が行く時代も来るはずだから。

なお、教科書から消し去るべきは南京大虐殺や従軍慰安婦などのデッチ上げ記述なのは言うまでもない。

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