とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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ホテル南海、閉店へ

2006年08月31日 21時13分14秒 | 社会
今から二十数年前の高校時代。
クラスの悪友に誘われてプロレスを見にいくことになった。
場所は、当然「大阪府立体育館」。

当時の大阪府立体育館は平屋のボロボロの建物で、まるで「中学校の体育館のデカイやつ」といった風貌だった。
ところが、そのボロボロの体育館は甲子園と並ぶ大阪のスポーツの殿堂で(こんなことを書くと「甲子園は兵庫県じゃ!」という兵庫県民がいるかも知れないが、無視します)、現在と変らず大相撲大阪場所が開催され、有名アーティストのコンサートなどが開かれていた。
私は大学一年の時に、ここへジョン・デンバーのコンサートを聞きに行ったくらいなのだ。

で、私が友達と訪れたのは全日本プロレスの試合で、ロッキー羽田やジャンボ鶴田などといった選手がいたようにおもうのだが、スター選手はやっぱり永遠プロレスアイドル「ジャイアント馬場」と世紀の悪役レスラー「アブドーラ・ザ・ブッチャー」であった。

この日、満員の会場ではリングの中で壮絶な闘いが繰り広げられた。
それはお決まりの流血試合だったのだが、その流血を見る為に私たち悪ガキ高校生はプロレス観戦に訪れているので大満足。
最初から終りまで、思う存分に楽しんだのであった。

すべての試合が終了して、体育館を出ると仲間の一人が、
「ジャイアン馬場、見に行けへんか」
と言った。
「どこ行くねん?」
と別の友達。
「馬場とかブッチャーは向かいのホテルに泊まってんねんで」
と、「馬場を見に行けへんか」と私たちにオファーした友達が指さしたホテルが、大阪府立体育館の斜め向かいにあった「ホテル南海」であった。

数十分後「さっきまで真っ赤に流血していた傷口は何処行ったん?」というようなブッチャーと、「ゴッツイ顔」と呟いてしまったジャイアント馬場が仲良くホテルから出てきたのだ。
大勢のファンにとり囲まれながら二人は他のレスラーと共にタクシー(だったと思う)に乗り込み色街に向かって(きっと)消え去った。

その二人が出て来た「ホテル南海」が今年の12月一杯で閉店することが発表された。
南海なんば駅前の激変(なんばパークス拡張、ヤマダ電機開店、丸井進出などなど)に併せて、収益の悪いホテルは閉店し、1200坪ある一等地の敷地は別の用途に有効に利用する予定、だということだ。
ジャイアント馬場さんとの想い出の場所が消え去ることは寂しいが、これも時代の流れ。
仕方がない、と諦めるか。