とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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七歳の捕虜

2005年12月07日 21時23分45秒 | 書評
これまで見てきたテレビドラマで最も感動し印象に残っている作品はNHKのミニシリーズ「大地の子」だ。
中国残留孤児を採上げた山崎豊子原作のこのドラマは、近ごろめっきりスケールが小さくなった大河ドラマとは比べられない巨大なスケールを持っていた。

終戦後、ソビエト軍の急襲を恐れながら日本へ引き揚げようとしていた満州の一家に悲劇が訪れる。
離れ離れになった親子、兄妹がその後、2つの国で2つの人生を歩み、そしてやがて再会するという劇的な内容だ。
後半の数話は、恥ずかしながらティッシュペーパーを手元に置かなければ見ていることができないほどに心を打たれた。もちろんティッシュを手放せなかったのは涙を禁じ得なかったからで、読者は変なことを想像しないように。
とりわけ主人公が行方不明になっていた妹をやっと探し当てるエピソードが涙を誘った。
日本語を話せず、乏しい中国人の養母の面倒を見るために結核の治療も受けられずに死んでしまう妹。
その妹の死の直後、実父に再会するという運命の仕打ち。
このシーンを見ていた私は、まるで先日のフィギュアスケートGPを初制覇した織田信成選手のように号泣してしまったのだった。

先の大戦は数多くの戦災孤児を生み出し、普通の人生を送るべきして生まれてきた普通の人々を、数奇で過酷な運命へと導いてしまった。
それは日本人に対しても、中国人に対しても同じだったのだ。

「七歳の捕虜」は七歳で日本軍の捕虜となり、その後日本軍とともに行軍し、終戦後は日本に帰化した実在する人物の回顧録である。

日本が中国の戦乱に介入していった理由は数多くあるだろう。
軍部の暴走。
欧米列強の嫌がらせやケンカの挑発。
中国そのものの内乱状態。
などなど。
世界史における当時の状況、つまり覇権主義の世界環境にあって、このとき日本のとった行動は必ずしも世間の言うような非難されるべき内容ではない、と私は考えている。
考えているが、やはり戦争は数々の悲劇を生み、その一番大きな犠牲となるのは年端もいかぬ子どもであることは今も昔も変らない。

この回顧録で、主人公の少年は「学校に行かせてあげたい」という実母の望で中国軍の将校に預けられるが、その将校が少年に「新しい名前」として俊明(しゅんめい)という名前を与えてしまったことから、やがて少年は自分の実名、そして母のいる街を忘れてしまう。
やがて将校とともに日本軍の捕虜となった少年は「としあき」と呼ばれ、日本軍の兵士に可愛がられ、ともに従軍していくのだ。
敗戦後、バンコクの収容所に中国軍の使節が少年を迎えに来るのだが、中国語さえ忘れ、母の所在地も思い出せない少年は日本へ行くことを希望するのだ。

本書にはこの中国からインドシナへの行軍の間の日本兵について数多くのことが記されている。
一般に中国大陸での日本軍は「鬼」のようにいわれることが多いが、少年の見た日本兵は思いやりのある優しい大人たちであった。
先にマレーへ入っていた少年を可愛がっていた日本兵がバンコクで少年と再会すると号泣して「よかったな」と語りかけたという話には生きることの難しかった時代の心情を感じ、思わずぐっときたのである。

現在、神戸で貿易商を営む著者は1980年代になってテレビ局の力と国際機関を通じて中国の実母を探し求めたが、やっと見つけた母だと名乗る人物が、実母ではなく、未だに生みの母には再会できずにいることが書かれていた。
その母だと名乗った中国人の老女も戦中に子どもとはぐれ、常に探し求めているのだという。
そしてこのような中国人親子の離れ離れの話は無数にあり、社会的問題の一つだという。

この回顧録は中国から見た「大地の子」なのかも知れない。

~「七歳の捕虜 ~ある中国少年にとっての「戦争と平和」」~光俊明著 現代教養文庫刊


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