人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ファビオ・ルイージ ✕ マルティン・ヘルムヒェン ✕ NHK交響楽団でリヒャルト・シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」「ブルレスケ」「イタリアから」を聴く

2023年09月11日 06時44分31秒 | 日記

11日(月)。わが家に来てから今日で3163日目を迎え、インドでの20か国・地域首脳会議(G20サミット)に出席したイタリアのメロー二首相は、中国の巨大経済圏構想「一帯一路」に関する投資協定から離脱する方針を中国の李強首相に非公式に伝えた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     習近平の顔をつぶすことになるから 中国は間違いなく貿易報復措置を取るだろうな

 

         

 

NHK交響楽団の新シーズンが始まりました 昨日、NHKホールでN響9月度定期公演Aプログラムを聴きました オール・リヒャルト・シュトラウス・プログラムで、①交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら 作品28」、②「ブルレスケ  ニ短調」、③交響幻想曲「イタリアから 作品16」です 演奏は②のピアノ独奏=マルティン・ヘルムヒェン、指揮=首席指揮者ファビオ・ルイージです

 

     

 

オケは16型で左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつものN響の並び コンマスは”マロさん”こと篠崎史紀です

1曲目はリヒャルト・シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら 作品28」です この曲はリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)が1894年秋から翌95年5月にかけて作曲、1895年11月6日にケルンで初演されました

紳士ルイージが指揮台に上り演奏に入ります   弦楽器のソフトな演奏により「むかしむかし・・」と物語が始まり、ホルンによる主役ティルが登場します このホルンが大活躍しますが、今井仁志の演奏が素晴らしい オーボエの吉村結実、フルートの神田寛明の演奏が冴え渡りました そして、弦楽セクションのシャープな演奏が光りました

ところで、この曲を初めて聴いたのはン十年前に聴いたヘルベルト・ブロムシュテット指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団による演奏です このオケは当時、東ドイツの楽団でしたが、いぶし銀のような独特の音を持っていて、すっかり魅了されました それ以来、来日公演があるたびに聴きにいったので、FM放送からオーケストラ曲が流れてくると「あっ、これはドレスデンだ」と解ったものです 今はCD以外で聴く機会がなくなってしまいましたが、オーケストラとしては一番好きな楽団です

 

     

 

2曲目は「ブルレスケ  ニ短調」です 「ブルレスケ」とは”お下品な笑劇”のことですが、この曲は単一楽章によるピアノとオーケストラのための作品です 1885年から翌86年にかけて作曲、1890年6月21日に作曲者自身の指揮、オイゲン・ダルベールのピアノ独奏によりアイゼナハで初演されました

ピアノ独奏のマルティン・ヘルムヒェンは1982年ベルリン生まれ。ハンス・アイスラー音楽大学、ハノーファー音楽演劇大学で学ぶ 2001年にクララ・ハスキル国際コンクールで優勝しています

ステージに登場したヘルムヒェンは風貌が何となくメンデルスゾーンに似ています

ルイージの合図により、植松透の軽快なティンパニの連打で演奏が開始されます すぐに独奏ピアノが入ってきますが、力強くも粒立ちが綺麗です かなりの超絶技巧曲で、速いパッセージが鮮やかに弾かれました 中盤の緩やかなパッセージでは独奏ピアノによる詩情豊かな演奏が繰り広げられました オケとの間合いが難しそうな曲ですが、ヘルムヒェンは何の問題もなく鮮やかな演奏を展開しました

満場の拍手とブラボーが飛び交う中、ヘルムヒェンはシューマン「森の情景」から第7曲「予言の鳥」を抒情的に演奏、再び大きな拍手に包まれました この時、紳士ルイージは舞台袖で立ったままソリストの演奏に耳を傾け、演奏が終わると袖で彼を迎えました こういう指揮者は他にいないのではないか、と思います

 

     

 

プログラム後半は交響幻想曲「イタリアから 作品16」です この曲は1886年に作曲、1887年3月2日にミュンヘンで初演され、ハンス・フォン・ビューローに献呈されました 第1曲「カンパーニャで」、第2曲「ローマの廃墟で」、第3曲「ソレントの海岸で」、第4曲「ナポリ人の生活」の4曲から成ります

この曲の成り立ちについて岡田暁生氏がプログラム・ノートで次のように書いています

「シュトラウスは『良家のお坊ちゃん』であった 父フランツはミュンヘン宮廷歌劇場の名ホルン奏者であり、母はミュンヘンの大ビール会社のお嬢さんだった 当時のヨーロッパの上流家庭には、20歳くらいになると息子に見聞を広めるためのイタリア長期旅行をさせる習慣があり(グランドツアー)、シュトラウスも1886年4月から5月にかけてイタリアに行かせてもらった ローマとナポリを中心に名所旧跡を見て回り、鮮烈な印象を受けた彼が、帰国後すぐ完成させたのが本作品である

金持ちの息子はメンデルスゾーンだけではなかったのですね 初めて知りました

この曲は事前にルドルフ・ケンペ指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団によるCDで予習しておいたのですが、どうも音楽がすんなりと耳に入ってきませんでした ライブ演奏ならどうか、と期待して聴きましたが、そう簡単に問題は解決しませんでした ただ、第3楽章における木管楽器群の抒情的な演奏や、第4楽章における「フニクリ・フニクラ」をパラフレーズした音楽は楽しく聴くことができました 全体的な印象として、ルイージは洗練された音楽作りに徹していると感じました

N響の思う壺ですが、カーテンコールを写メしておきました

 

     

     

 

     

コメント
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