人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

新国立オペラでヴェルディ「リゴレット」を新制作版で観る~ブラボー!ヴラトーニャ!

2013年10月13日 07時16分16秒 | 日記

13日(日)。昨日、初台の新国立劇場でヴェルディのオペラ「リゴレット」を観ました 元々10月3日のプルミエ公演を観る予定だったのですが、新日本フィルの室内楽シリーズと重なったため、こちらを13日に振り替えてもらったものです

新国立劇場の正面玄関で、草月流家元・勅使河原茜さん作による見事な生け花が迎えてくれました

 

          

 

この公演は2013年ー2014年のオープニング公演で、新制作によるものです キャストは、道化師リゴレット=マルコ・ヴラトーニャ、その娘ジルダ=エレナ・ゴルシュノヴァ、放蕩者の君主マントヴァ公爵=ウーキュン・キム、殺し屋スパラフチーレ=妻屋秀和、その妹マッダレーナ=山下牧子ほか バックを務めるのはピエトロ・リッツィ指揮東京フィル。演出は2009年の新国立オペラ「ヴォツェック」を演出したアンドレアス・クリーゲンブルクです

 

          

 

振り替え公演のため、座席は1階17列32番と、いつもよりずっと右寄りの席になります 人気プログラムとあってか、会場はかなり席が埋まっています

リッツォのタクトにより第1幕が始まります。集中力に溢れ引き締まった良い演奏です この指揮者はバランス感覚が優れているように思います。幕が開くと、舞台には建物の3階分を輪切りにしたような舞台装置が現われます

演出のクリーゲンスブルクがプログラムで語っているところによると、舞台は現代のホテルに設定しているが、その理由は、ホテルは大都会の代名詞であり、マントヴァ公爵のような大富豪が大勢集うエレガントな場所で、しかも匿名性を保てる場所である 一方、その屋上は雨ざらしの場所で、社会から疎外されているリゴレットやその娘ジルダ、殺し屋スパラフチーレやその妹マッダレーナが住む場所である そうした上層階級、下層階級の生活を対比することを通して、マントヴァ公爵に娘ジルダを弄ばれたリゴレットの復讐とその失敗を描こうとした、というものです

古典的なオペラの場合、演出で時代設定を現代に置き換えたり、場所を別のところに移したりすると、観ている方が落ち着かなくなり、すんなりと音楽が耳に入ってこないという状況になりがちです 今年5月に新国立劇場で上演されたヴェルディ「ナブッコ」の演出がそうでした。あの時は、舞台を現代のデパートに置き換えた演出によって上演されましたが、終始違和感を感じながら観ていたのを覚えています

それに比べて、今回の「リゴレット」の演出は、舞台を現代のホテルに移しているにも関わらず特段の違和感もなく観ることができました 今年夏に観たニューヨーク、メトロポリタン歌劇場のMETライブビューイングの「リゴレット」も舞台を現代のラスベガスに移した演出でしたが、何の違和感も感じない素晴らしい演出でしたが、それと同じような印象を持ちました

 

          

 

歌手陣では、何と言ってもリゴレット役のマルコ・ヴラトーニャが安定感のある見事なバリトンを聴かせてくれました 世界中のオペラ劇場で歌っているのが頷けます。ジルダ役のエレナ・ゴルシュノヴァは美しい美貌と相まって伸びのあるソプラノを聴かせてくれました

マントヴァ伯爵役のウーキュン・キムは無理のないテノールで、歌は申し分ないのですが、一癖も二癖もある伯爵の役割としてはどうだったか、と問われると、いま一つ物足りなさを感じました

殺し屋スパラフチーレ役の妻屋秀和は、何を歌わせてもそつなくこなすバスですが、この役でも見事な歌唱力と演技力で聴衆の期待に応えていました

最後に、忘れてはならないのは、リッツォのタクトのもとで素晴らしい演奏を展開した東京フィルのメンバーです オーボエの独奏は物語の悲劇性を見事に表現していました コントラバスの重低音は物語の重さを感じさせました。ほかにも数えきれないほど素晴らしい瞬間が多々ありました

 

          

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