人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

R・シュトラウス「4つの最後の歌」を聴く~第614回東響定期:次期音楽監督ジョナサン・ノット登場

2013年10月14日 07時00分40秒 | 日記

14日(月・祝)。昨日、サントリホールで東京交響楽団の第614回定期演奏会を聴きました 今回は次期の音楽監督に就任が決まっているジョナサン・ノットがタクトをとります。プログラムはリヒャルト・シュトラウスの①4つの最後の歌(ソプラノ:クリスティーネ・ブリューワー)、②アルプス交響曲です

 

          

 

オケがスタンバイします。おやっ?と思ったのはいつもと配置が違うからです NOTTは向かって左サイド奥にコントラバス、前列に第1ヴァイオリン、右にチェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置を採ります 現在の音楽監督ユベール・スダーンは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラという配置を採るので、第1ヴァイオリン以外はすべて入れ替わっていることになります。言ってみれば、NOTTシフトとでも言うべき編成で、NOTスダーンです

ざっと管楽器を見渡すと、オーボエの荒絵理子の姿がありません プログラムの『楽団人事』コーナーに「首席オーボエ奏者・荒絵理子、2013年10月1日より、ローム・ミュージック・ファウンデーション2013年度奨学生として1年間、ドイツへ留学いたします」とありました そうですか、1年もいないのですか、いつも素晴らしい演奏を聴かせてもらっていたのでとても寂しいです でも、せっかく留学するのですから1年後にはひと回り大きくなって帰ってきてほしいと思います。応援しています

さて、1曲目の「4つの最後の歌」は文字通りリヒャルト・シュトラウス最後の曲です 第1曲「春」、第2曲「九月」、第3曲「眠りにつくとき」の3曲はヘルマン・ヘッセの詞、第4曲「夕映えの中で」がヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフの詞に曲を付けたものです 初演は作曲者の死後の1950年5月22日、ロンドン。フラグスタートのソプラノ独唱、フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管弦楽団によって演奏されたとのこと。凄い組み合わせです その場に居合わせていたらどんなに幸せだったでしょうか まだ生まれてなかったけど

ソプラノのクリスティーネ・ブリューワーがノットとともに登場します。ブリューワーはかなり立派な体格で、ウエストがコンマスの大谷康子さんの2倍はありそうです(よいこはマネして書かないでね)。

ノットのタクトで第1曲が始まります。ブリューワーは恵まれた身体を生かした余裕のある声でリヒャルト・シュトラウスの最後の歌曲に臨みます 高音部が輝いています 4曲ともメロディーが美しく大好きな歌ですが、とくに第4曲「夕映えの中で」は最晩年のシュトラウスの諦念の心境が見事に現われていて、ジーンときます 「夕映えの中で」の最後のフレーズは次のようなものです。

「広やかな 静かな やすらぎ

かくも 深き夕映え

さすらいにも 飽き果てた

これが 死というものか」

私はリヒャルト・シュトラウスという作曲家は、誇大妄想的であまり好きではありません しかし、オペラ「ばらの騎士」とこの「4つの最後の歌」だけは本当に素晴らしいと思っています この日の演奏を聴くため、グンドラ・ヤノヴィッツのソプラノ、カラヤン指揮ベルリン・フィルのCDで予習しておきました。

 

          

 

さて、休憩後の2曲目は、その誇大妄想の極致「アルプス交響曲」です。リヒャルト・シュトラウスは「自分には、音楽で表現できないものは何もない」と豪語していたと言われています 交響詩「英雄の生涯」では、自分を英雄視して作曲家としての実力を誇示しているし、同じく「家庭交響曲」では、夫婦喧嘩まで音楽で表現しているのですから、何だって音楽にして表現していることは分かりますが、呆れます

この「アルプス交響曲」にしたって、一言でいえば「登山者が山を登って、山頂に着いて、山を下ってくる」のを表現しただけの音楽です。だからどうした と言いたくなります、私としては。

プログラムの曲目解説を成田麗奈さんという人が次のように書いています

「登山者の一日が壮大なスケールで描かれている。とはいえ、R.シュトラウスの他の作品同様、この作品もまた、単純な描写音楽ではない。彼は音詩において、またオペラ作品においても、自画像的な作品を生み出している これらは単純な功名心や自己陶酔によるものではなく、自分自身を一素材として客観的に、時として批判的に扱い、大自然を前にした人間の無力さや、やがて死すべき運命にある人間の有限性を描こうとする姿勢が根底にある

この解説を読んで、本当にそうだろうか?と非常に疑問に思います。彼もまた「神は死んだ」と言ったニーチェの思想に影響されたと言われていますが、「どこまでその思想を音楽に反映できたのか」と言えば、せいぜい「ツァラトストゥラはかく語りき」くらいではないか、と思います 他の作品に思想性など見られません。彼の曲の良いところは、大管弦楽による技巧的でスケールの大きな音楽にあると思います

さて、ノットの前には譜面台がありません。暗譜で指揮をするようです。第1曲「夜」から入ります。日の出、登り道、森に入る・・・・と続きます。最後の「夜」に戻るまで全部で22曲のシーンがあります。それぞれのシーンが管弦楽によってカラフルに”描写”されていきます パレットで絵を描くように。

ノットの指揮は華麗です。両手の動きがすごく美しいのです 一言でいえば”絵になる”指揮です 約50分の演奏を終えて、拍手とブラボーに笑顔で答えるノットの顔を見ていたら、50歳代だった頃のカラヤンによく似ているな、と思いました 違う点は、カラヤンは目をつぶって指揮をしていましたが、ノットはしっかりと目を開けて楽員とアイコンタクトをとっていたところです

終演後、オケはノットの指示で1度目は立って聴衆の拍手に応えましたが、2度目、3度目は座ったまま次期音楽監督に拍手を送り、足を鳴らします ノットも嬉しそうです

この日の演奏は、船での航海に例えれば、100ノットのスピードで次期シーズンに向けて出港したと言えるでしょう

 

          

         

コメント (12)
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