人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

佐村河内守「交響曲第1番」を聴く~金聖響+神奈川フィル~本人も登場!

2013年07月22日 06時48分43秒 | 日記

22日(月)。昨日は午前中近くの小学校に参院選の投票に行きました。長男が通っていた小学校ですが、いつの間にかグランドが天然芝になっていてました。自宅マンションから半径60メートル位しか離れていないのに、裏通りにあるので滅多に行かないためです 投票は、娘が大学を卒業するも就職できずアルバイトに甘んじていることから、若者に就職をと声高に訴えていた候補者に1票を入れました (今日の朝刊の1面大見出しは、朝日が「自公圧勝、衆参過半数」、日経が「与党圧勝、ねじれ解消」です。『歴史は繰り返す』これまでも、そして、これからも

家に帰ってから、午後に横浜みなとみらいホールで聴く佐村河内守の「交響曲第1番」のCDを3回繰り返し聴いてメロディーを頭に叩き込みました

 

  閑話休題  

 

ということで、昨日午後2時から横浜みなとみらいホールで神奈川フィルの特別演奏会で佐村河内守の「交響曲第1番」を聴きました

本当はこの曲のCDを出している大友直人指揮東京交響楽団によるコンサートを聴きたかったのですが、チケット発売時点でソルド・アウトで、”仕方なく”横浜まで神奈川フィルの公演を聴きに行くことにしたのです

佐村河内守は1963年、被爆二世として広島に生まれました。4歳から母親にピアノを師事し、音楽大学へは進まず独学で作曲を学びました。35歳で全聾になりながらも、絶対音感だけで「交響曲第1番”HIROSHIMA”」を完成しました その経緯は彼の著書「交響曲第一番”HIROSHIMA"~闇の中の小さな光」に書かれています

 

          

 

NHKスペシャルでその壮絶な半生が紹介されて話題になり、そのCDはクラシック音楽としては空前の17万枚以上の売り上げを記録しました

 

          

 

会場は3階席までほぼ満席。自席は2階LD1-1で、左サイドの最前列です。1階席でいえば9列目の左側の真上辺りの席です。全3楽章80分かかる交響曲のため「この公演は途中、休憩はありません」というアナウンスが入ります

私が”仕方なく”神奈川フィルを聴こうと思ったのはコンマスが気に入らないからですが、幸運にも、舞台袖から現れたコンマスはいつものIではなく、思わず胸を撫で下ろしました オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという態勢を採ります

ロビーで購入した全国ツアーのプログラム(1,000円)に佐村河内守氏のインタビューが載っていますが、指揮者の金聖響について次のように語っています

「金聖響さんは私が指名しました。あくまでも私見ですが、彼はもの凄く可能性があります。私なりの方法で調べたりして、いま一般に評価されているよりも高く深い潜在能力を感じます 彼も今回『完全燃焼して頑張る』と言ってくれていますし、スコアを相当読み込んで新たな発見をされてもいますので、違った切り口の”HIROSHIMA”が生まれてくるのではないかと期待しています

その金聖響がタクトを持って登場します。彼の合図で低弦の重い響きが会場を満たしていきます 全3楽章ですが、第1楽章が約20分、第2楽章が約35分、第3楽章が約27分かかります

 

          

 

音楽評論家の長木誠司氏はCDジャケットの交響曲第1番の楽曲解説に「作曲者自身のコメントによれば、第1楽章が”運命”、第2楽章が”絶望”、第3楽章が”希望”とされている」と書いていますが、さきのプログラムの中で佐村河内守氏は次のように語っています

「音楽は聴いて感じるものです。でも、1つの誤解だけは解いておきたいと思います 色々なところで使われているような『第1楽章は”運命”、第2楽章は”絶望”、第3楽章は”希望”である』との発言をしたことは、一度もありません それは鐘の部分を示しています。それぞれ”運命の鐘”、”絶望の鐘”、”希望の鐘”である、同じ『シ』の音が、まわりの音によってそのように聴こえます 今初めて明かしますが、楽章そのものが”運命”や”絶望”だと、皆間違って解釈しています。1つの楽章の中に、絶望や希望、挑戦、それを蹴落とそうとする悪魔・・・・など、様々な要素が含まれています 一括りに”絶望”の楽章というのは誤りです。ただ、最後はやはり”希望”でありたいですし、音符もそうなっているとは思います

誤解を受けやすい書き方の解説が独り歩きしてしまった感が否めません。実際にこの長大な交響曲の各楽章を聴いていると、作曲者の主張のとおり、どの楽章でも、絶望、苦しみ、悲しみ、怒り、また逆に、勇気、喜び、立ち直りを現した音楽が展開していることが判ります

重々しい管弦楽の中でトランペットやトロンボーンの明るい音が聴こえてくると救われる思いがします第3楽章のフィナーレは、長木氏が述べているように「マーラーの交響曲第3番の終楽章に匹敵するような壮大な音楽」です 最後の”鐘”が希望を体現しながら鳴り響く中、全曲が閉じられます

圧倒的な拍手 とブラボーが会場を満たします。一段と拍手 が大きくなる中、1階席の聴衆の目が会場の後方に注がれます。2階席から下を見下ろすと、サングラスをかけた作曲者・佐村河内守氏が杖をついて急ぎ足で舞台に向かっているところでした そして、舞台に上がるや否や指揮者の金聖響としっかりと抱き合い、お互いを讃え合いました 次いで佐村河内氏は弦楽器の首席奏者全員と握手し、会場の前後左右に向かって一礼し、聴衆の感動を受け止めていました 

金聖響のもと、神奈川フィルは全力でこの大曲に対峙しました しかし、作曲者の佐村河内守は会場でただ一人自作の交響曲第1番を聴くことが出来ませんでした。全聾だからです。作曲家にとってこれほど残酷なことがあるでしょうか?その代わり、聴衆のわれわれが彼の耳になって神奈川フィルの演奏を通してしっかりとメッセージを受け止め、その素晴らしさをスタンディング・オベーションで彼自身に伝えました。生涯忘れることのない印象深いコンサートでした

 

          

                    

コメント (2)
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