7月1日(月)。油断していたら、早いもので今日から7月です この6カ月間に聴いたクラシックコンサート、観た映画、読んだ本のベストテン的な中間報告は明日のブログで書くことにしたいと思いますとにかく今日から1年の後半に入ります。おのおのがた、油断めさるなこれからの半年なんてアッという間ですぞ
閑話休題
昨日、サントリーホールで東京交響楽団の第611回定期演奏会を聴きました プログラムは①プロコフィエフ「交響的協奏曲(チェロ協奏曲第2番)ホ短調」、②ラフマニノフ「交響曲第2番ホ短調」。指揮はレニングラード生まれのドミトリー・キタエンコ、①のチェロ独奏はハンブルク生まれのイェンス=ペーター・マインツです
東響のコンマスが変わりました プログラムで確かめると水谷晃とありました。高木クンはどこへ行ったのでしょうか
1曲目のプロコフィエフ「交響的協奏曲」は、チェロ奏者・ロストロポーヴィチとの出会いによって「チェロ協奏曲第1番」から「同第2番」そして「交響的協奏曲」へと名前を変えて、生まれ変わってきた曲です
ソリストのイエンス=ペーター・マインツがキタエンコと共に登場します。マインツは背が高くスマートで精悍な顔つきをしています 一方、キタエンコはきれいな白髪がトレードマークです マインツは難関で知られるミュンヘン国際音楽コンクールのチェロ部門で1994年に優勝した逸材です
プログラムによるとこの曲の初演は1952年2月18日、モスクワ音楽院大ホールで、ムスティラフ・ロストロポーヴィチのチェロ、スヴャトスラフ・リヒテル指揮モスクワ青少年交響楽団によって「チェロ協奏曲第2番」として演奏されたとあります。あの大ピアニストのリヒテルが指揮をしたという事実にます。
第1楽章「アンダンテ」の冒頭からチェロが高音域で演奏されます チェロと言えば低音域を朗々と鳴らして”深い”音楽を奏でる楽器だ、というのが大方の常識だと思いますが、プロコフィエフは、そういう常識には満足できないのでしょう
第2楽章「アレグロ・ジェスト」は、チェロが自由闊達に語ります。かと思うと、抒情的なメロディーが流れてきます。起伏に富んだこの楽章は相当長く、最後がフォルテで終わるので、曲が終わったのかと勘違いして思わず拍手をしてしまいそうになります
第3楽章「アンダンテ・コン・モート」は、タップリ歌い、オケもチェロも疾走してフィナーレを迎えます
演奏後、会場のそこかしこからブラボーがかかり、拍手 の渦が巻きます。マインツはアンコールにバッハの「無伴奏チェロ組曲第3番」から「サラバンド」を穏やかに、かつ、しっかりと弾き切りました 一音一音が会場の隅々まで浸み込んでいくかのようでした
2曲目のラフマニノフ「交響曲第2番ホ短調」は、交響曲第1番が批評家の間で不評だったことから落ち込んでいた彼が、ピアノ協奏曲第2番によって名誉挽回し、気を取り直して1906年10月から1907年4月にかけて作曲したものです
第1楽章の冒頭、低弦による序奏に導かれてヴァイオリンによって美しいメロディーが奏でられます ロシアのロマンとでも言ったらいいのか、美しい抒情的なメロディーです。ちょっとシベリウスに曲想が似ています
第2楽章は躍動感溢れる音楽です。第3楽章は聴きどころたっぷりのアダージョ楽章です。クラリネットの音色が美しく響きます
第4楽章は、まるで落ち込んでいた彼が復活した瞬間のような、喜びに満ちた曲です そして、オーケストラを総動員した圧倒的なフィナーレを迎えます
キタエンコのタクトが上がると、会場のあちこちからブラボーの掛け声がかかります 大きな拍手の中、彼は何度も舞台に呼び戻され、歓声に応えていました
この曲は何度か生で聴きましたが、3~4年前にラ・フォル・ジュルネ音楽祭でドミトリー・リス指揮ウラル・フィルが演奏した第2交響曲が、これまで最も印象に残るものでした きしくも同じドミトリーという名の指揮者によって演奏された今回の演奏は、それに匹敵する素晴らしいものでした