27日(月)。森本恭正著「西洋音楽論~クラシック音楽に狂気を聴け」(光文社新書)を読み終わりました 著者は1953年生まれの作曲家・指揮者です。東京芸大を中退、桐朋学園音楽大学、ウィーン国立音楽大学等で学んでいます 2007年、08年のポーランド・ルトスワフスキ国際作曲コンクールの審査員を務めています
彼は日本に普及しているかに見えるクラシック音楽について違和感を抱き、次のように語っています。
「ヨーロッパという、私たちとは1万キロ以上も離れた土地に生まれ、日本に移入され、わずか100年程の間に独特の発展を遂げたのが、現在の日本のクラシック音楽である。それは既に私たちの文化に深く根を張ったかの様にみえるけれども、その先に咲いた花の形質は、現地(ヨーロッパ)に咲いている物と、どこか違っているように思う」
ある時、ピンク・フロイドの演奏するロックの演奏の波形をモニター画面で見た彼は一つの発見をします それは、2拍子でいえば2拍目(後拍)を強調する波形になっていたことです世界中の学校の授業では1泊目を強調して2拍目を弱くするように習うはず。ところが、ジャズやロックでは逆になる。そういう発見です なお、後拍を強調することを日本では「アフタービート」と呼びますが、本来は「アップビート」と呼ぶとのことです。
ここで著者は、「アップビート」はジャズやロックに限らず、クラシック音楽の演奏でも見られるのではないか、と疑問を抱きます そこで、世界的なヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツとヒラリー・ハーンの演奏するバッハの「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番」の冒頭部分の波形をグラフに示します。すると、2番目の音符(後拍)の方が波形が分厚くなっており音が強調されていることが分かります
著者は「狂気のクラシック音楽」「スィングしないクラシックなんてあり得ない」「饒舌なヨーロッパの音楽」など、刺激的なタイトルで持論を展開していきます 「現代の視点から過去を見ない」というテーマで主に演奏家に向けて次のように語っています。
「バッハやヴィヴァルディの作品を見るとき、モーツアルトやベートーヴェンやヴェルディを”知っている”目で見てはならない 彼らはまだ生まれていないのだ。バッハもヴィヴァルディも、モーツアルトが生まれる前に死んでいる。自分は、モーツアルトもベートーヴェンも知らない、と心の中で10回位唱えてから、バッハの譜面を開くべきだろう そのことで、新しい発見が生まれるかもしれない。同じことはベートーヴェンを開く時にも,或いはシューマンを開く時にも言える。斯かる作曲家が知っていたことと、知りえたこと、知らなかったこと、知りえなかったことをいつも的確に把握していることが極めて重要だ」
これは演奏家が心がけるべきことである一方で、音楽を聴く側としても心得ておくべきことではないかと思います。この著書で指摘されていることは今までのクラシック音楽論になかった初めてのアプローチです。今後コンサートやCDを聴くうえで新たな基準が出来たように思います。音楽好きにとっては必読書でないかと思います