明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1043)ICRPの歴史を再度捉えなおす-下(矢ヶ崎さんのICRP批判のポイント-3)

2015年02月22日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150222 23:30)

ICRPの歴史の批判的捉え返しの後篇です。昨年秋に7回にわけて行った連載のダイジェストです。今回は読みやすいように7回の連載に即した小見出しを入れます。

広島・長崎における被曝影響の過小評価

これまでマンハッタン計画を引き継いだアメリカ原子力委員会や全米放射線防護委員会(NCRP)が、放射線の遺伝的影響への人々の不安をなんとか抑えることに腐心してきたこと、これにICRPが同調を深めてきたことを明らかにしてきました。
これに対してビキニ環礁の核実験の後にはガンや白血病への懸念も高まってきました。とくに焦点化されたのはストロンチウム90による汚染でした。ストロンチウムはカルシウムと化学的性質が似ているため骨に入り込み、人体に深刻な影響を与えます。
ストロンチウムの危険性を告発した有名な書にレーチェル・カーソンの『沈黙の春』があります。彼女はこの中で殺虫剤などの化学物質とストロンチウムなど放射能による複合汚染をこそ、生物に差し迫る危機として告発したのでした。

放射線に起因するがんや白血病の恐れを押さえるためにフル活用されたのが、アメリカが組織した原爆傷害調査委員会(ABCC)が広島・長崎で行った被爆者調査でした。ここからは急性死亡のしきい値は1シーベルトであり、放射線障害のしきい値は250ミリシーベルトだという結論が導き出されていました。
しかし急性死しきい値1シーベルトという値は、1945年9月までの死者を対象にしたものでしかありませんでした。その後も放射線障害から回復できずに次々と亡くなっていった人々がデータから除外されたものでしかなかったのです。
放射線障害も、「脱毛、皮膚出血斑(紫斑)、口内炎、歯茎からの出血、下痢、食欲不振、悪心、嘔吐、倦怠感、出血等」などが爆心地から5キロぐらいでたくさん見られたにもかかわらず、爆心地から半径2キロ以内に高い割合で発生した「脱毛、紫斑、口内炎」のみが放射線急性障害であると断定されていました。

このため半径2キロ以外の人々が放射線障害を受けた被爆者として認められなかったのですが、ABCCは2キロ以内の被爆者が受けた傷害をこれら2キロ以外の被爆者との比較対照から導き出すことで、被害を実態より小さくみせる操作まで行いました。
白血病の調査も被曝後の広島と全国平均との単純比較によって行い、有意差がないことから被害はないという結論を導き出そうとしました。しかし1930年から34年の広島の調査では白血病は全国平均の半分だったのでした。そのため被爆後に全国平均と同じになったのは、実質的には倍になったことを意味していました。
さらにそもそもABCCの調査そのものが1950年10月1日以降のものであり、それ以前に亡くなった人々もまたデータから消されてしまいました。もっとも重篤な被害を受けた人々の苦しみがまったくカウントされていなかったのです。

調査対象が広島、長崎に限定されたことも大きな問題でした。なぜなら原爆投下後の両市は壊滅状態だったため、多くの人々が市外や他県に移らざるを得ませんでした。これらの人々のうちにはそのまま他の地域に定住した人々がいましたが、それも調査から切り捨てられました。
仕事を求めて移住した人々も同じでしたが、この場合、より若い人ほど移動が顕著だったため、データから放射線感受性がより高い多くの若い人々もまた除外されることになりました。
さらにもう一点付け加えるならば、被爆者に対して日本社会の中で起こった差別が被害者を大変苦しい状況に追い込み、被害者が被害実態を告発できず、社会的に隠されてしまうことまでが重なっていました。私たちはこうした中で被爆者が、二重、三重、四重に苦しんできたことをしっかりと把握する必要があります。


コスト・ベネフィット論-放射線防護学への金勘定の導入

一方、ICRPをはじめとした国際原子力村は、広島・長崎のあやまった、過小評価された放射線障害のデータに依拠しつつも、医学的・科学的論争に依拠していては、新たな科学的事実が露見した場合に非常に不利になる事態を考え、路線変更を目指してきました。
それが放射線の危険性を科学的に洞察して安全値を決めることから、「リスク・ベネフィット論」を持ち込み、放射線被曝にリスクがあっても、それを越える利益があればよしとする論議への転換でした。
肝心なのは、どちらがよりリスクが多く、ベネフィットが多いのかというのは社会的にしか判断できなことであり、科学的には導き出せないことだということです。そこには何を価値的に高いものとするのかという人為的判断が忍び込むのであり、その点で純粋な科学的判断ではなくなるのです。

あえて例えを入れましょう。早稲田大学に入ることと慶応大学に入ることにはどちらの方がベネフィットが高いでしょうか。科学を装った場合、両大学の卒業生の終身給与だとか、社会的ポストだとかを数値化した比較が試みられるかもしれません。
しかしそんなもの、どこまでいっても科学的な答えではないのです。この場合、代入する数値の項目によって違ってしまうでしょうし、なおかつ、どちらに軍配が上がろうとも、愛校心をもっている卒業生たちのすべての納得など得られるべくもないでしょう。そこには社会的判断と個人的判断が入れ込んでいるからです。
にも関わらずその計算が科学的に導き出されるかのように装っているのが、リスク・ベネフィット論なのです。このリスク・ベネフィット論は、1970年代にいたるとさらに「進化」して「コスト・ベネフィット論」となっていきました。

背景はうち続いた原発事故による社会的不安の高まりの中で、たくさんの科学者が放射線被曝の危険性がICRPが見積もっているよりかなり高いことを表明し始めたことにありました。
こうしたとき、ICRPは中立性を装った科学団体を登場させるのですが、このときはBEIR委員会が登場しました。日本語名を「電離放射線の生物学的影響に関する委員会」というもので、前身のBEAR委員会=「原子放射線の生物学的影響に関する委員会」を受けたものでした。
人々の意識が核実験から原発に移ったことに対応し、原子(Atomic)が電離(Ionizing)に変えられたのですが、この委員会が、放射線被曝を提言するコストが、社会が被る利益を上まってはならないとする定義を打ち出したのでした。

これに基づいてそれまで「すべての線量を容易に達成できる限り低く保つべきである」(as low as readily achievable:ALARA)とされた内容も書き換えられました。
どう変わったのかと言うと「容易に達成できる限り」を「合理的に達成される限り」に差し替えたのです。英語では”as low as reasonably achievable”になります。readilyがreasonablyに変えられたのでした。
容易にと合理的にの違いは一見ピンと来ないかもしれませんが、重要な点は、合理的にとはより安く、つまり経済的損失が少ない形でという意味を含んでいることです。

その事の決定的な意味は、被曝が純粋な生物学、医学の領域かは完全に離れて、経済学的範疇、もっと平たく言えば損得勘定から考察されるようになったことです。その際、重要なのは何が得で損かを決めているのは原子力を推進している側だという点です。これらの人々が放射線の被害を低く、放射線を使う利益を過大に見積もらないわけがありません。
このBEIR報告を受けて、ICRPはコスト・ベネフィット論の導入に踏み切り、放射線防護の目的を「最適化」と呼び出しました。防護にかける金額が、放射線利用によって生じる儲けを侵害してはならないというのが「最適化」の中身なのです。このことがICRP1977年勧告において定式化されたのでした。
決定的なことはこのもとでこのコスト・ベネフィット計算を盛り込んだ値が「実効線量」という名で呼ばれ採用されるようになったことです。単位はシーベルトです。要するに実効線量=シーベルトは、身体にあたる放射線量の物理量のことではないのです。経済的計算を加味することで純粋科学と遊離したリスク値、つまり損得勘定から割り出した値が「シーベルト」という数値なのです。


原爆線量見直しとチェルノブイリ原発事故

ICRPによるコスト・ベネフィット論への純化は1977年勧告で鮮明化されたのですが、ICRPはその後も線量評価を見直さざるを得ない事態に直面していきます。
決定的だったのは1979年にスリーマイル島原発事故が発生したことでした。このことで原発事故への懸念がますます高まりました。
同時にこの時期、中性子爆弾開発過程で、広島・長崎の中性子スペクトルの解析が行われたところ、大きな誤りがあることが露見してしまいました。広島、長崎の被害が、従来見積もられていたよりもずっと少ない放射線値で起こっていることが明らかになってしまったのでした。

このためICRPはそれまで依拠してきた広島、長崎の被曝線量を評価した「T65D=1965年暫定被曝推定量」を放棄せざるを得なくなりました。
これに変わって採用されたのが「DS86=1986年線量推定方式」でした。これにあわせてICRPは1985年にパリ会議を開き、公衆の放射線防護基準を従来の5分の1とし、1年間に1ミリシーベルトとしたのでした。
しかしパリ声明では同時に緊急時には「1年につき5ミリシーベルトという補助的線量限度を数年にわたって用いることが許される」という文言も入れ込まれました。

なぜICRPはこのような方向性を採ったのか。これまで見てきたように、一つには放射線防護学を純粋な物理、医学領域から切り離し、ベネフィット計算という恣意的なものを持ち込むことで、放射線を使う産業の行き詰まりの可能性を打ち破ろうとしたことがありました。
その上で、スリーマイル島事故以降、高まる原発への批判を鎮静化させるために、あたかも防護基準を厳しくしたような装いをする目的がありました。
しかし厳しくなった基準が、原子力産業の首をしめないために、非常時規定、要するに事故で1ミリシーベルトが守れなくなった時の規定を設け、事実上は5ミリシーベルトまで十分、許容される体系を作ったのでした。

このことは直後のチェルノブイリ事故にすぐさま適用されました。1ミリシーベルトなどと言っても、実際に放射能が漏れ出てくると緩和されるように仕組みを作ってきたことがすぐに適用されたのでした。
私たちが注視しなければならないのは、まさにこの延長上に、福島原発事故以降の私たちの置かれている現実があるということです。
1ミリシーベルトなどという基準は、それ以下の放射能漏れしか起こらない時のもの。事故が起こればそんなものはなくなってしまうのです。かくして私たちの国は、5ミリどころか年間20ミリシーベルトの被曝までが押し付けられてしまっています。

整理します。1977年勧告を最後的な境として、放射線防護学は完全に科学から遊離しています。あたかも放射線の強さを測っているかに思わされている「実効線量」は、その実、放射線防護にかかるコストと深刻な病になるリスクを換算して出てきている物理量とはまったく無縁な数値なのです。
そこではリスクもベネフィットも、社会的判断によって換算されていること、しかも放射線防護学では、放射線を使って儲けたい側、原子力村による恣意的な換算がベースになっていることが覆い隠されています。
私たちは、この点にICRPのもっとも顕著な非科学性、科学を装って人を騙している犯罪性があることをしっかりと把握しておくのでなければなりません。

以上の点までが『放射線被曝の歴史』で、中川保雄さんが明らかにした点です。まったくもって画期的な分析でした。
これまで述べてきたように矢ヶ崎さんのICRP批判は、中川さんがここまで成し遂げた業績を全面的に受け継いで、さらにICRPの線量評価の非科学性を具体的に分析したものです。
これらを前提として踏まえるべきこととしておさえた上で、先に進みたいと思います。

続く

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