ぼちぼち日記

大切な日々のこと

『猫を抱いて象と泳ぐ』

2009-11-09 13:35:42 | わたしの読書

猫を抱いて象と泳ぐ  『猫を抱いて象と泳ぐ』 小川洋子

小川洋子さんの短編を読んだばかりのところで、どういう訳か、ずっと前に予約していた、この本が届く。
すっかり、小川洋子の一週間。
他に、ずっーと前から読んでいる本があるのだけれど、またまた、後にまわして読み始めた。一気に。
たった2日のお楽しみ。途中で、本を閉じることなど、到底できなかった。
(久しぶりの午前さま。翌朝のお弁当からは・・・おかずが一品消えました)

小川洋子さんの長編を読んでいるとき、いつも感じるのは、空気の清清しさ。
どんなに悲しいストーリーでも、その清清しさと、秋の日のような、凛とした空気のハリ、軽さが、私を支配します。
この本には、特に、そのことを感じさせられました。

もし、あらすじだけを追ったとしたら、あまりに、悲しすぎるし、切なすぎる物語。
主人公に想いを馳せ、何度、涙を流したでしょう。
ラストに至っては、何度考えても、もっと違うものであって欲しかった。
でも、最後の一行まで、その空気の清清しさは、変わることなく私を支配していました。
 どうしてなのだろう?本をおいてから、何度も考えました。

それはきっと、主人公の「チェス」に対するひたむきな想い、誠実な想いのせいなのでしょう。
これが、最後まで、絶対に揺らぐことがなかったからこそ、その空気は、変わることがなかったのだと思うのです。
博士・・・のとき、それが「数式」であったように。
そのひたむきさ故に、一般的に考えれば、悲しい人生を歩むことになる主人公。
それが、そういう世界を手に入れることができた、主人公の宿命だったとしたら・・・・・・。
そう思うと、また、切なさに胸が痛くなります。

物語は、現実とは、少しだけ離れた世界・・・別の世界の話のように感じられ、それは、はじめ、私に
いしいしんじの世界を思い出させました。
でも、いしいしんじの物語が、どこへ行き着くのか、全く予想がつかないのに反し、この物語は、
はっきりと、どこかにたどり着くのだという意思が、全編に流れていたように思います。
はりめぐらされた、多くの伏線。
一つ一つが、全く、関係性がないように思える、この変わった「題名」もまたしかり。
(今では、これほどピッタリの題名はないと、心から思います)

立方体のゴンドラが、行き違うことがなかったら、どんなにか素晴らしかっただろうと思うけれど、
主人公が、もっと違う選択をして、もっと、普通の幸せを手に入れたって良かったのにと思うけれど、
それでもなお、最後の最後まで、ピュアな気持ちを抱いたまま逝った主人公を、幸せだなあと思わずには、いられません。

生きるって、とても素敵なことなんだな。
悲しすぎる結末を読んでも、なお、そう思える、不思議な物語。
終わりゆく秋の読書にピッタリの、素晴らしい一冊でした。