『貝の火』 宮沢賢治・作 ユノ セイイチ・絵
宮沢賢治の朗読家として、第二の人生をスタートさせた叔父に影響され、少しずつ、賢治を読み進めています。賢治の作品は、暗くて、難しいというイメージでしたが、叔父の朗読を聞いて、その不思議な世界の魅力にとり付かれてしまいました。
ほとんどは、自分の読書として読んでいるのですが・・・この『貝の火』は、私の所属する「お話し会のサークル」でペープサートにした作品。
小学校に訪問するグループが、学校側の「宮沢賢治を学習する前に」という要望に答えて演じることになり(息子の学校ではありません)、その練習を見せてもらったのですが、その美しさに圧倒。今回、息子と一緒に読んでみることにしました。
川で溺れていたヒバリの子を助けた、兎の子ホモイは、その勇気と善行への褒美として、『貝の火』を手に入れます。しかし、この栄光が、彼を「うぬぼれ」と「驕り」への世界へ導いてしまうのです。
最後には、狐に騙されて、モグラをイジメ、「鳥を捕る」ことに加担させられてしまうホモイ。『貝の火』を手にいれるまでは、他の小さな生き物たちと同じく、狐のイジメに耐えていたはずのホモイが、あっという間に、イジメル側に転じてしまいます。そして、善の象徴である『貝の火』は・・・。
『貝の火』さえ与えられなければ、決して、そんなオゴリの気持ちを抱かなかったであろうホモイが、なんだか、哀れですらあります。
どうして、こんな試練が与えられなくては、いけなかったんだろう?大人の私ですら、そんな、いたたまれない気持ちになりました。
風刺や教訓が見え隠れするような作品は、あまり好きではない私。けれど、賢治の作品は、なぜか、素直に感動に結びついてしまいます。なんでだろう。
賢治の深い人生観?宇宙観?宗教観?みたいなものが、心に働きかけるのかしら?それとも、その独特の文章のせいかしら?
とにかく、賢治の文章は凄いです。最初は、絵が少ないから・・・と、寝転がって聞いていた息子でしたが、読み始めると、すぐに起き上がり、まるで、深い穴に飲み込まれる様に、本をのぞきこんでいました。(字ばかりなのにね)
息子は、ホモイが、仲間に威張り始めるところから、「あ~あ。」「馬鹿だなあ。」「駄目なのに!」と声をあげて、ホモイを促していましたが、最後の最後、狐の決定的な罠に怖気ずくホモイの姿には、もう、深いため息しかつけないようでした。
そして、結末を読んだ瞬間、息子は、私が顔をあげる前に立ち上がり、自分の布団に飛び込んでしまいました。ショックだったんだろうなあ。
でもね、良く、最後のお父さんの言葉をきいてみて。実は、これからがホモイの善への道なのです。それが、息子には理解できただろうか?
ショックが大きすぎて、息子の耳には、届かなかったかもしれないなあ。
でも、全編を通して描かれる、ホモイのお父さんの大きさに、きっと、息子も、救いの気持ちを抱いてくれていると思います。私も、こんな風に、子どもを導いてあげられる親でいたいなあ。
さりげなく、でも要所で、効果的に添えられているユノセイイチさんの絵が、また、素晴らしい一冊でした。
(表紙を見たときの息子の一言は、「また、イタズラ書きみたいな絵の人だね。」だったけど それが、また、素敵な絵です)