『シカゴよりこわい町』 リチャード・ペック 斉藤倫子訳
シカゴで暮らす兄妹、ジョーとメアリ・アリス。
二人は、毎年、八月の一週間を、田舎にある祖母の家で過ごすことになっていた。
これは、ジョーが9歳だったころから、15歳になるまでの7年間の夏の話だ。
大柄で、豪胆、町中の人々に恐れられている祖母。
最初は嫌々だった二人が、どんどん、祖母に惹かれていく様子が、生き生きと綴られる。
ジョーの語りで物語が進んでいくのだが、少々、大人しすぎる感が・・・ちょっと拍子抜け。
読了できるかなあ・・・なんて、思い始めたところだった。
いきなり、おばあちゃんが、死体に向けて銃をぶっぱなしたのだ!(一気に目が覚めた)
そこからは、あっという間だった。
そう。私も、おばあちゃんに、すっかり魅了されてしまったのだ。
郵便ポストを爆破した悪戯者を懲らしめるために罠をしかけたり、保安官のボートに乗って密漁をしたり。宿敵?親友?のために、インチキ商品をバザーに出して、彼女の家を取り返したり。
どの夏のエピソードも、読んでいるものを少しも飽きさせない。
また、弱く貧しい者に優しく、そうでない者には容赦ないという一貫した態度が、すかっとさせてくれる。
おばあちゃんの迫力に、グイグイと押されながら、あっという間に読了デス!
どの章もj面白かったのだけれど、最後の章が、本当に素晴らしかった。
語られるのは、ジョーが少年から青年になり、祖母の元を訪れなくなって2年後、軍隊に入り、軍専用列車で駐屯地に向かう時のエピソードだ。
たった2ページの短いエピソード。
このたった2ページの章を、3回読んだ。
3回読んで、3回泣いて、泣きながら、おばあちゃんと過ごした夏を、一つ一つ、思い出していった。
たぶん、ジョーも私と同じだったろうなと思いながら。
夏休み。
銃をぶっぱなす祖母はいなかったけれど、私にとっても、それは、小さな冒険に満ちた豊かな時間だった。
ゆっくりと時間が流れ、それを楽しむ術を知っていたように思う。
そしてもちろん、小学生の時の夏休みの思い出は、友だちよりも家族との思い出の方が多い。
クールで、料理が得意で、人付き合いに割く時間は、あまり持ち合わせていない?でっぷりとした頼もしい母。猟犬のように働く母。
本を読みながら、おばあちゃんと母のイメージが、何度も重なる。
ああ、私の愛しい夏の思い出たち!
きっと、誰にでもあるであろう(あって欲しいと思う)、豊かな夏の思い出。
最後の最後に、こんなに泣けるのは、
素敵な夏の思い出を持っている者、愛する人を持っている者の特権なのかもしれない。
でも・・・
ジョーに近い年齢の息子だったら、この最後の章を、どう読むだろう。
それも、少し興味がある。
私が、声を出して笑っているのを見て、息子は、この本に興味深々。
しかも、表紙の絵のおばあちゃんが、自分のおばあちゃんに似ているときているものだから、とても我慢できない・・・・・
しかし、漢字にルビがないのが難点(かなり難しい漢字あり)。
中学生になったら・・・せめて、六年生になったら読めると思うと話したら、旦那が、
「そのとき、俺も一緒に読みたいな」と言った。
あら。私ったら、本嫌いのパパに読みたいと思わせる位、楽しそうに読んでたのかしら?
さすが、おばあちゃん!!
『絵描きの植田さん』 いしいじんじ
火災の事故で、重度の難聴という障害を負った絵描きの植田さん。
父親の汚職疑惑で、町の人々の嫌がらせと好奇の目から逃れて、移り住んできた母娘。
物語は、絵描きの植田さんと娘メリを中心にして、湖で社会から寸断された、小さな集落の住民たちとのふれ合いが描かれています。
いつもの「しんじ無国籍ワールド」は、ここには感じられず。
山深い北国にある小さな集落が、リアルに想像できる物語でした。
独特の「不気味なよどみ」もなく、とてもサラリとした綺麗な水と、その水にキラキラひかる太陽の光を感じながらの読書となりました。
いつもと違う!でも、とっても好き!そんなことを思いながら。
『麦ふみクェーツ』や『ぶらんこ乗り』の、あの胸をしめつけるような切なさも、『ポーのはなし』のような、どろんとしたよどみも好きだけれど、こういう話もいいなあ。
いしいしんじ、オソルベシ!まだまだ、知らない世界アリ。奥が深いデス。
年が明けてから、一気に3冊を読了しましたが、
3作とも、ドキドキ・ワクワクという物語ではなく、
涙を流したり、心震わせるような感動作でもありませんでした。
言ってしまえば、たぶん・・・ベストセラーには、なれない本たち。
時間がたつと、図書館の書庫に入れられてしまう本たち。
けれど、そういう本の持つパワーというか、放っている光というか・・・
そういうものの大きさを、肌で感じた本たちでした。
どれも、清清しく、光があふれていた。本当に。
出版社さんには、こういう本を大切にして頂きたいと、心から祈るばかりです。
(少しずつですが、買いますのでよろしくお願いします)
次は、
たぶん・・・これらの本たちとは、毛色の違う、長編の本を読みたいと思っています!
ローズマリ サトクリフ(著) 灰島 かり(訳)
イギリス、パークシャーにある、巨大な白馬の地上絵を知っていますか?
(表紙は、その地上絵の写真なのですが、それが、写真だということに気づいたのは、かなり読んでからでした。本当に、この世のものとは思えない美しさなのです)
これは、その地上絵が、どうして描かれたのか?についての物語。
この本は、妹が、息子くんに「読んでみて。」と、貸してくれた一冊。
けれど、息子は、まだ興味がなさそう。。。
そして、私は、歴史小説が大の苦手。
だいたい、
日本の歴史は、そちらの学校に進んでもいいかなと思ったこともあった位、好きだったけれど、
世界史は、からっきし駄目だったのです。
それでも、息子に・・・という妹の言葉が、なんだか気になって、ページをめくりました。
良かった。とても良かった。
何より、この文章の、物語の透明感!!本当に、素晴らしいです。
物語を読みながら、表紙の美しい緑色が、胸に突き抜けていく感覚を覚えました。
そして、読み終わったあとの、この清清しい気持ち。これは、一体なんだろう。
この世界に溢れている不思議について、もっともっと、知りたいという気持ちが掻き立てられ、いてもたってもいられない!・・・そんな興奮を感じました。
記憶のどこかに、私のルーツが刻み込まれているのではないか?
それを呼び起こす術はないのだろうか?
そんなことを考えて、意識を闇の向こうにしずめてみたりする、私がいました。
ああ、学生の頃、この本を読んでいたら、歴史が、もっともっと、好きになっていたに違いない。
だって、世界には、こんなにも不思議が、溢れているのだもの。
そして、その不思議は、遠い昔、現実に起こったものなんだ。
それについて考えること、想像してみることは、なんと楽しいことなのだろう。
彼らがいて、今の私たちがいるのだということが、
それを心で感じることが、こんなに素敵なことなんて!
年初めから、素敵な本を続けて読むことができて、とても幸せです。
なんだか、いいことが、たくさんある年に思えてきました。ふ、ふ、ふ。
マリア グリーペ(著), 大久保 貞子(訳)
他の本を読めなくなってしまい、いつも、復活するのに時間がかかります。
エッセイや短編だと、そうでもないのだけれど、今回のエッセイは、かなり
胸に響いたので、長編を読んだときと同じように、抜け殻になってしまいました。
ようやく、ようやく、読もうか・・・という気持ちになって、
でも、図書館の本は、全部返してしまっていたので、
家の本棚から、妹に借りたままになっていた本を出してきました。
これは、お父さんのいない少女・ユリアと、
看護婦をしているお母さんが、夜のお仕事に行くときのために、
子守りとして雇った『夜のパパ』のお話。
二人の想いが、交換日記?の形で進んでいきます。
二人の出会い、
二人が、心を通わせていく様子。育まれる友情。
どれもこれもが、愛おしい作品でした。
中でも、心に残った言葉。
友だちに「夜のパパなんて、おかしい」と、からかわれ
どうして、夜のパパがいて可笑しいの?と、書くユリア。
その中で、
みんなのパパとママの関係は、校長先生と先生の関係に似てる
というユリアの言葉に、どっきりさせられました。
パパとママと子どもがいるから、全部揃っているから、家族なんじゃない。
パパだから、ママだから、子どもと心がつながっている訳じゃない。
お互いを想い、信頼し、言葉と時間を重ねてこそ、家族であり
そういう人が、子どもには必要なんだなと思う。
夫婦関係も同じく。
とても、とても考えさせられた一冊。
復刊ドットコムによって、復刊したとか。
挿絵も、最高に素敵。
年始早々、手元に置きたい一冊となりました。
本当は、図書館から本を借りていて、
しかも、そのうちの一冊は、読みかけだったにも関わらず、
この本を買ってからというもの、
とても、読書に集中できる状態で、なくなってしまいました。
2日間、読みかけの本と格闘しましたが、もう、無理。
あきらめて、図書館の本を全部返却し、この本を読むことにしました。
春樹さんが、以前からずっと、出すと言っていた『走ること』についての本(エッセイ)。
ずっと、ずっと読みたかった。
期待しすぎて、
「もし、期待はずれだったらどうしよう?」
と、ページをめくるのをためらった程、この日を待ち望んでいました。
夢中になって読んだ(夢中になりすぎた)、夢のような数日間でした。
良かった。とても、とても良かった。
村上春樹、その人が、そのまま、この本の中にいるような、そんな感覚。
少女のように、ページをめくるたびにドキドキして・・・。
今は、とても感想など書けません。
テーマは、「老いる」なのかな。
村上春樹の自分史というような本かもしれません。
けれど、そんな簡単な一言で片付けてしまうことに、違和感を覚えたりもします。
もっと深い、もっと大切なものを貰えた気がするから・・・
あなたのファンでいて良かった。
あなたの作品と一緒に、年をとれて良かった。
あなたは、この先、どこへ向かうのでしょう?
あなたは、あなたの目的地に。私は、私の目的地に。
そう、ここから分かれて、また走り出すだけのこと。
でも、この本で、あなたに出会えて
ここから、またスタートできることが、こんなにも嬉しいなんて。
ヴァージニア・ユウワー・ウルフ(著) こだま ともこ(訳)
抱っこでないと眠れなかった、高熱の娘と一緒に、こつこつと読んだ本。
読み終わった日には、熱も下がっていました。うふふ。
今日は、体力回復のためか、一日中眠り姫の娘。
読んだその日に、感想も書きとめてしまいました。
主人公のラヴォーンは、高校生。
大学へ行き、いい仕事について、いつか、ドラッグや犯罪だらけの、この町から、出ていくのだと、自分に言い聞かせて生きています。
けれど、母親と二人暮らしのラヴォーンは、大学へ行くお金を、自分で稼がなくてはいけません。
そんな彼女が選んだのが、ベビーシッターのアルバイトでした。
3歳しか年が違わない、シングルマザーで2人の子持ちのジョリー。ジョリーの汚れ放題のアパートで、ラヴォーンとジョリーの不思議な友情が芽生えます。
二人の少女の前に立ちはだかるのは、ずっと昔から、変わることなく存在し続けている社会の闇。
そんな闇に立ち向かい、変わっていこうとする二人の少女の力強さ、前向きな姿に、大きく、心を動かされました。
それは、まるで、レモンのような・・・さらりとした読みやすい文章。
だからこそ、この重く、暗いテーマを、爽やかに読ませてくれるのでしょう。
ジョリーが、ラヴォーンに強引に連れていかれた学校の授業で、先生から聞かされた「盲目の女性とレモネードの話」を熱く語るシーンでは、涙が溢れて止まりませんでした。
そして、その日から、ジョリーが変わっていく様にも。。。
勉強したいって気持ちは、こういうことなんだなあと思ったら、また、胸が熱くなりました。
どうしようもない社会の闇も、勝手に背負わされた荷物も、自分の力で、変えていけるのだというメッセージに、どんなに救われる少年、少女がいることでしょう。
いつか、息子や娘にも読んで欲しい本です。
『はじめての文学・桐野夏生』
この本を読もうと思ったのは、ただ、単純に・・・
中高生に混じって、読んだことのない(あるいは、あまり読んでいない)作家さんの作品を、読んでみようと思った、ということと、
「桐野夏生の作品で、中高生(あるいは、小学校高学年)が、読めるものがあるのか?」
という、素朴な
疑問からでした。
『柔らかな頬』という作品を読んだのは、何年前でしょうか。
最後まで犯人が明かされず、消えた娘の行方も知れないまま・・・という、在りえないサスペンス。
ホラーやサスペンス、推理小説を読むときの(苦手なので、ほとんど読みませんが)、あのドキドキ感や、手に汗握る感が、全くなくて・・・
「人間って、馬鹿で汚くて、でも、なんだか可愛いじゃん。」そんな感想を抱いたのを覚えています。
文章も、きりりと整っていて、私好み♪
でも、あの頃はやった『OUT』には、とても進む勇気がなくて、結局、それ以降、遠ざかっていた作家さんでした。
そんな作家さんの『はじめての文学』。
どの作品にも、鋭く尖った針が、何本も突き立っていて・・・しかも、それには、毒が、たっぷり塗ってある。
もしくは、得たいのしれない邪悪なものが、にじりよってくるような恐怖を味わえる一冊。
そんな感じでしょうか。
だいたい、作者のあとがきの題名が「小説には毒がある」ですから(笑)
毒、ありすぎでしょ!と、思わず、突っ込みたくなったのは、私だけでしょうか。
作者も仰る通り、毒があるから、面白いのかもしれません。
素直に感想を求められたら、はっきり「面白かった」と答えられます。
でも、でも・・・
母親として、これを子どもに勧められるか?と聞かれたら、迷わず、NO!かな。
(母親じゃなかったら、勧められるかもしれませんが)
でも、その頃の子どもたちにとっては、この類の小説は、必要不可欠とも思います。
大人が汚くて仕方なく思えたり、そういう時期に、そういう爆発しそうな感情を抱えているときに、こういう本は、必要かもしれない。
男と女のもろもろも、嫉妬、ねたみ、横恋慕、不倫、殺人・・・その存在を、私に教えてくれたのは、たしかに、物語だったから。
図書館で、友だちから借りて、むさぼるように読んだ時期・・・あったなあ
だから、中高生のみなさん。
どうか、この本は、心配症のお母さんに隠れて、こっそり読んであげて下さい。ね。
『物語の役割』 小川洋子
小川洋子さんの講演会でのお話を、本にしたそうです。
小説を書き上げるまでのお話は、どれも興味深いものばかり。
(中でも「博士の愛した数式」が、大きくとりあげられていました)
彼女の、物語を書く姿勢に、とても共感しました。
そして、彼女の読書歴のお話では、大きく頷くばかり。
私と読書の関係も、まさに、彼女と同じです。
まるで、自分の心の中を言葉にして表現してもらえたような、そんな錯覚さえ覚えました。
「ああ、私は、この作家さんが好きだ。」
一頁読むごとに、そう、つぶやいてしまいました。
つぶやかずには、いられませんでした。
素敵な言葉が、そこかしこにちりばめられていて、何度も何度も、行っては帰り、行っては帰りしながらの読書になりました。
本当に、私は・・・・この作家さんが好きです!
ますます、好きになりました。
小川洋子が好きな人は、是非とも。
小川洋子を読んでみようか?と思っている方も、是非ともの一冊。
私は、小川洋子の本を揃えるときは、まずは、この本からと決めました。
(ふと気づけば、これも ちくま さんですねー。いい仕事してます。ホント。)
『レター教室』三島由紀夫
携帯電話もパソコンも好き。
「5分以内に返信しないといけない」なんていう、若い人のルールとは無関係のおばさんのメールは、必要なときに、相手の時間を気にせずに使える、便利なシロモノ。
でもね、でもね・・・
手紙には、メールにはない、「ドラマ」があるのです。
この『レター教室』は、まさに、レターから始まるドラマです。
言葉の端はしに見え隠れする、人間の浅はかさやカワイラシサ、腹黒さ。
優しさやいたわりの気持ちが、痛いほど胸に響いてきて、時に泣けてきたりするのは、文章が上手いとかいう問題ではなく、それが、手紙という手段を用いているからに、ほかなりません。
選んだ便箋の絵にすら、書いた人間の想いが宿っているかもしれないのだから、
その奥深さは、とても、メールや電話には、適わないのです。
そう。手紙は、ドラマなんだなあ。


















よし手紙を書こう!と思ったその瞬間から、物語は始まります。
書いているときの気持ちの高ぶり。
なぜか、書いているうちに、自己分析などしたりして。
そして・・・書き終わったときの満足感。
たった一通の手紙が、翌日もドラマを繰り広げます。
冷静になって読んだときの迷い。
「出そうかな?どうしようかな?やっぱり、明日にしようかな。」
その次の日にだって、ドラマは、待っています。
さらに冷静になっている自分が、どうして、あんなに興奮して筆をとったのか?と自分を戒めてみたりして。
そして、たどりつく悲しい結論。
「やっぱり、出すのやめよう。」
せっかく書いた手紙を、引き出しの奥に仕舞い込みます。
(なぜか、捨てられなかったりするのです)
何年か後に、ふと出てきた、その手紙。ドキドキしながら、読み返してみる。
ああ、なんだろう私ったら。
うふふ。そうそう、こんなときもあったわね。なんて。



















そうなんです!!一通の手紙が、こんなにも壮大な物語を作り上げるのです。
手紙は、やっぱりスゴイ。素晴らしい!手紙のない人生なんて!
・・・・・ふう。
三島氏の軽快な文章にのせられたのか、この本を読んでいたら、なんだか妙に興奮してきてしまい・・・。
想像が一気に膨らんでしまいました。
それにしても、三島由紀夫の作品の感想に、「軽快な文章」だなんて。
中学生のとき、『金閣寺』に挫折してから、一度も手にとったことがない三島由紀夫。
どうしても、あのハチマキ姿が頭に浮かんでしまい、固いイメージが先行していました。
こんなユーモアあふれる、皮肉っぽい?俗っぽい小説?を書いていたとは。
本当にびっくりです。
同性同名の別人なのではないか?という疑問を抱いた程でした。
本当に面白い!!
特に、最後の「作者から読者への手紙」では、声を出して笑ってしまいました。
ああ、三島由紀夫の作品を読んで、声を出して笑うとは!
今までのイメージは、いったい何だったのか?
もし、まだご存命であったなら、カナラズやファンレターを出していたに違いありません。
「三島由起夫さま」とは、絶対に書きませんから、どうぞ、読んで下さいませね。
(氏は、手紙で一番重要なことは、宛名を間違わないことだと述べています・笑)
面白さのあまり、つい、悪ノリして感想を書いてしまいましたが・・・
文豪の作品を読みずらいと思っている人(私を含め)には、特に、おススメの一冊。
群ようこさんの解説も、良かったです。
美輪さんのファンでも、何でもないのですが・・・
なんとなく、読んでみたくて借りてきました。
なんだったんでしょう。そういうものを求めていたのかしら(笑)
ますます、美輪さんが妖艶に見えてくる一冊。
あの原爆の体験を、こんな風に書く人は、美輪さんしかいないだろうなと思った。
こんな世界が、あるのだなあと思った。たぶん、私は、一生、知ることもないのだろう。
この履歴書があって、今の美輪さんがあるのですね。
人間が生きていくって、本当に、凄いことなんだって思った。
『なくしてしまった魔法の時間』 安房直子
どうして、この文章は、こんなにもゆっくり流れていくんだろう。
まるで、露が、しずくになって落ちていくような、そんな・・・時間が流れています。
ゆっくりとゆっくりと、頭(あるいは、心)に染み込んでいくような、そんな感覚。
それは、まさに『魔法の時間』でした。
正直、ずっと苦手だと思ってきた安房直子さん。
こういったファンタジーは、どうも、ソリが合わないと、ずっと思ってきました。
感動が大きかったことは、その苦手意識が大きかったことにも、関係していたかもしれません。
けれど、そのことを妹に話したら・・・
「あら、お姉ちゃん。安房さんが好きで、よく読んでいたじゃない。」
と!!!
ふふふ。
なんということでしょう。私ったら、ずっと、忘れていたのです。
昔、むかし・・・少女の頃、大好きだったということを!!
ゆっくりと、記憶を読み解いてみたら、安房直子、立花えりか、そんな名前が、ポツポツと思い出されてきました。そうだ。好きで好きで、お小遣いをためて、安い文庫本を買ったのだっけ!!
それがあるとき、こんなのクダラナイと放り出してしまった。
それはたしか、家を出て大学に進学したとき。。。
鞄に詰め込んだのは、村上春樹とリチャード・バック。
青かったなあ・・・私。
このゆったりとした、異次元空間を愉しむ心を捨てることで、胸がむせかえるような切なさや、寂しさを捨てることで、私は、前に前に、進んでいこうとしていたのでしょうか。
そんなことを考えていたら、なんだか、しんみりしてしまって。。。
一度読んだこの本を、また、ゆっくりと読み返しました。
私は、長い、長い時間をかけて、また、ここにたどり着いたんだね。
本に、そんなことを語りかけながら。
怖い本は苦手。
でも、読んでみたい。
苦手。でも、読んでみたい。
そんな押し問答(頭の中で)の末、借りてきた本。
最初は、小さな子どもの幽霊が三人も出てきて(しかも、とても友好的な感じ)、
なんとも、可愛らしい幽霊話なのかと思っていた。
人間の子どもと、子どもの幽霊の友情モノ?なんて、勝手に想像したりもした。
その女が出てくるまでは、だ。
恐ろしくて、恐ろしくて・・・
何度も、主人公が助かるのを確認するために、最後の方のページをめくった。
いくら読んでも安心できず、そのうち、意味も判らなくなってきて、
「ちゃんと前から読もう!」
と思いなおして、最初に戻り。で、また、恐ろしくて最後に戻る。の繰り返し。
本当に、怖かった。
「死」と「死後の世界」をテーマにしているこの本に、思い入れをしようと思えば
いくらでも出来たと思うけれど、あえて、それはしないように心がけ、
純粋にホラーとして楽しんだ。
久しぶりに、ドキドキとは違う、恐ろしさを味わったなあ。
調べてみたら、これは児童文学というジャンルに分類されています。
児童文学。ううう。大人の私でも、充分。充分すぎる。★5つの怖さです。
この本。私が、タメイキついたり、一人言言ったりしながら読んでいた
ので、息子が興味をしめして、「読んでみたい」と。
たしかに、面白い!それに、残酷な場面、グロテスクな表現などは、一つもなし。
「死後の世界」について、真摯な態度で描かれていて好感が持てる(私は)。
ラストは、ハッピーエンド。
でも、中学生になってからがいいんじゃない?と伝えた。
今の息子くんが読んだら、たぶん、もう二度と、夜、トイレに行けないだろうからね。
最後の部分が、英語では、どう書かれているのか、とても興味あり。とても素敵に訳されていて、思わず、いままでの怖さを忘れてしまいました。
アーサー・ランサム 岩田 欣三・神宮 輝夫 訳
いつも、本選びの参考にさせて頂いている、ことり文庫さんの倉庫。
安房直子全集を紹介した記事の下の方に見つけた「アーサー・ランサム」という名前に、なぜか、無償に惹かれてしまい(・・・これは、運命です。きっと)、検索して借りてきました。
とにかく、面白い!!
ジョン船長、スーザン航海士、AB船員、ボーイ、の四人の子どもたちが繰り広げる、大冒険。
かつて、私の中にもあったと思われる冒険心が、ふつふつと湧いてきて・・・
でも、今の私は、自分も冒険したい!という考えには、もはや到達できない、おばさん。
それが、残念で、悲しくて・・・
ああ、子どもの頃に出会っていれば!!と、悔しくてたまらないのでした。
『ハックルベリ・フィンの冒険』『トム・ソーヤの冒険』や、『冒険者たち』の大ファンだった私。
絶対に、この本を好きになっていたに違いないのです。
今年か、来年かの息子へのクリスマスプレゼントは、これに決めました


絶対、絶対、この本!!
読んであげるなら、今でも大丈夫(読みやすいから)と思うのですが、自分で読むとなると、この分厚い本はどうだろう?と思ったりもする。
来年かなあ・・・。でも、中学生になる前の方が、いいような気もする。
小学生最後の夏休みまでに、読んでほしい。。。そんな思いがあります。
ことり文庫さんのおススメ通り、全集を一冊ずつ送ってもらうというのも、楽しいかもしれない。
本当に、本当に、素晴らしい一冊でした!!
何度も何度も、アンネ・フランクの日記を思い出し、
何度も何度も、今も世界のどこかで起っている戦争のことを想い、
何度も何度も、朝青龍バッシングばかりしているマスコミのことを考え、
何度も何度も、自分の言葉(思考)は、果たして、本当に自分のものだろうか?と考え、
何度も何度も、自分が、何か失くしてしまっていないか確認した。
主人公の女性小説家が暮らすのは、一つずつ、何かが消滅していく島。
それは、ハーモニカであったり、鳥であったり、チョコレートやラムネや薔薇だったり。
物が消えてしまうのではない。その物の存在の記憶が消えてしまうのだ。
消滅が起こると、人々は、何のために存在していたのかさえ思い出せなくなった、それらの品々を、自らの手で、この世から消滅させる。あるときは、燃やし、あるときは、川に流して。
主人公は、ひとつづつ、自分の記憶の中から、ものが消えていく恐怖を感じながらも、自分の中に拡がっていく空虚を感じながらも、何も出来ず、ただ、流れに身を任せるしかない。
記憶を失くすことが出来ないで、秘密警察に追われている大切な人を、隠し部屋にかくまいながらも、彼女は、消滅という巨大な力に対して、何もしない。何もできない。自分の職業である「小説」が消滅してもなお、何もしない。
消滅の原因が明らかになり、主人公が、それらと戦う話かと思っていたのに、期待は、見事に裏切られた。最後の最後まで、主人公は、消滅に身を任せるままだった。自分の体が消滅することになっても、だ。
誰も、誰かを救わない。誰も、自分を救わない。戦わない。
何もかもが消滅し、ようやく、迫害されていた「記憶を消せない」人々が助かるという設定は、戦争や独裁政治などに対する、最大の皮肉なのだろうか?
主人公が、大切な人の記憶の中に、存在し続けることが出来たことだけが、せめてもの救いだった。そして、最後まで、言葉が消滅しなかったことも。
なんという物語だろう。小川洋子。オソルベシ。
目に見えない誰か。目に見えない力。
消滅したものが、どんなに大切なものだったのかさえ、わからない。
本を閉じた後、ふと、息子が、始業式の日にもらってきたプリントを思い出した。
始業式があり、宿題を集めたりと忙しかった中、担任の先生が渡してくれた一つの詩。
2学期は、この詩の意味をみんなで考えるのだそうです。
(1学期は「教室はまちがうところだ」という詩でした)
それは、小森香子さんの「自分のことばで」という詩。
叫んでみよう 自分の心を
自分の思いを 自分のことばで
と、始まるこの詩は、最後に・・・・・「自分のことば」は、
それは わたしが 生きている あかし
人間らしく 生きてゆくための
かけがえのない あかしなのだから
と結ぶ。
2学期は、クラスみんなで、この詩の意味を考えるのだそうです。
(1学期は「教室はまちがうところだ」という詩でした)
「子ども白書」という本の中の詩だそうです。
子どもだけでなく、大人も、考えないといけないかもしれませんね。先生。
『りかさん』 梨木香歩
お人形遊びが大好きだった。
誕生日プレゼントのぬいぐるみと、隣のお姉さんのおさがりのお人形、そして、薬局のおまけで貰ったゴム人形で、一日中、妹と一緒に遊んでいた。
お菓子の箱を家にして、ハンカチで布団を作って・・・
それぞれの役柄も、しっかり出来上がっていたっけ。(ほとんどすべて、姉という特権を振りかざして、私が考え、従わせていましたが・笑)。
楽しかったなあ・・・・・。
欲しかったリカちゃん人形は、もちろん、買ってもらえなかったけれど、それでも、やっぱり楽しかった。
主人公の「ようこ」は、あの頃の私のように、やっぱり、リカちゃん人形が欲しい女の子。
「おひな祭りに欲しいものがあるかい」と、おばあちゃんに尋ねられて、「リカちゃんが欲しい」とお願いする。
それからしばらくして届いたのは、ほっそりしたリカちゃんではなく、その倍近くも大きい、「りかさん」という名前の真っ黒髪の市松人形。
ぷっ。
ありそう。ありそう。
ようこの落胆が、痛い程わかる。なんともアリガチな展開だな。
でも、すぐに、そんな考えは、ふっとんでしまう。
りかさんが、ようこに話かけるのだ。それは、周りの人たちには聞こえない、不思議な言葉。
いつの間にか、ようこは、人形や木や、声を出すことができぬものたちの声を、聞くこと(感じること)が出来るようになっていく。そして・・・
人形に、気持ちや想いがあるなんて、考えたこともなかった。
私の人形たちは、何を考えていたんだろうなあ。
あれだけ、引っ張りまわされて、さぞかし、毎日、お疲れだったことだろうな(笑)
そんなことを考えながらの読書。楽しかった。素晴らしい時間だった。
人形遊びが大好きだった、かつての少女たち、そして、今、人形を大切に想っている少女たちに、是非とも読んでもらいたい一冊!
本当に、面白かった。
ちなみに、続編の『からくりからくさ』を、最初に読んでしまった私には、まるで、『からくりからくさ』の謎解きをしているみたいで、こんがらかった紐が、するすると解けていくような感覚を味わうこともできた。
面白かった。本当に、面白かった!!
大人だったら、この順番で読むのもアリ?なんて、思う。
『からくりからくさ』を、再読したくなってしまうけれど。
しかし、『からくりからくさ』は、大人でないと、ちょっと読み込むことが難しい気がするけれど、この『りかさん』は、子どもでも充分楽しめる内容。
子どもだったら、子どもの時に『りかさん』を読んで、ちょっと大人になってから、続編に進むのも面白いかもしれない。
色々な楽しみ方が出来るな。きっと。
そう考えると、本にも、命が宿っている気がする。うふふ。
人形。草。木。
声なきものたちの声をきく。はられた結界を解いて、語り合う。
なんて、素敵なことなんだろう。
結界なんて、今まで、考えたこともなかったけれど(息子がテレビで見ている『結界師』というアニメを、「また訳判らないの見て
」と呆れていた程、ウトイ私でしたが)、なんだか、とても、興味が湧いてきてしまいました。
実は、ものすごく身近なことなのかもしれません。
草木染に、やっぱり挑戦しよう!!
『からくりからくさ』を読んでから、染物の本を色々と借りてきていましたが、気持ちが、さらに高まってしまいました!

