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ぼちぼち日記

大切な日々のこと

『ひなぎくの冠をかぶって』

2008-10-22 10:54:02 | わたしの読書

『ひなぎくの冠をかぶって』 
グレンダ・ミラー作・伏見操 訳・板垣しゅん 画

(「BOOK」データベースより)
幼い妹が死んだとき、グリフィンの心は罪悪感でいっぱいになった。
嫉妬心から、妹なんていなくなればいい、と思ったからだ。
ぼくのせいで妹は死んだんだ…。
家族を亡くした悲しみを、残された家族はどのようにして乗りこえるのか。
美しい自然描写と心理描写を織り交ぜながら描く、少年の心の軌跡。

家族を失った時、どうやったら、その悲しみを乗り越えることが出来るのか。
きっと、色々な方法があって、きっと、色々な人が、それを模索し、苦しんでいるのだと思う。
私が選んだ方法は、グリフィンと同じように、自分を責めること・・・なんだろうなと思う。
悲しみを何かに転化しなければ、とても、耐えられない、弱い心。

グリフィンを深い悲しみから救いだしてくれたのは、ひなぎくの冠をかぶった、一人の女の子。
彼女の魔法は、家族一人ひとりが、自分だけで抱え込んでいた悲しみを、「共有しあう」という
大切な時間を作ってくれる。
その瞬間こそ、グリフィンの心が救い出される瞬間だ。
涙があふれて止まらなかった。
こんな風に、本を読んで嗚咽したのは、いったい、どのくらいぶりだろう。

私は、未だに、自分の悲しみや罪深さを、友だちには明かせても(それも一部だけれど)、
家族にだけは、明かすことが出来ないでいる。
共有する怖さ、それをすることで、逆に、自分の心のバランスが崩れるような恐怖感。
だから、たぶん・・・一生このままだろうと思っている。
でも、もしかしたら・・・いつか・・・こんな日がくるのかもしれない。
本を閉じた後、そんな、穏やかな気持ちが、心の片隅にポツンと湧き上がった。
もしかしたら、だけれど。


『泣けない魚たち』

2008-07-17 11:08:49 | わたしの読書

『泣けない魚たち』 阿部夏丸

息子の読書感想文用の本を探しているときに、ことり文庫の店長さんに教えて頂いた本。
早速、図書館で借りてきました。
面白いけど、読んでも読んでも終わらない『吾輩は猫である』を一時中断して(笑)、
一気に読みました。
愛知県の矢作川を舞台にした、3人の少年の物語。

読んでいる間中、ずっと感じていたこと。

何でもかんでも、心の中を言葉になんか出来ない。出来ないままでいい。
言葉に出来ない感情、想いの大切さ。重さ。
もしかしたら、それを言葉にするために、私たちは、学ぶのかもしれない。
もしかしたら、それを理解するために、私たちは、大人になるのかもしれない。
言葉に出来ない感情や想いを、子ども時代に、いくつ体験したかによって
その人の人生は、変わるような気がする。

そして、もう一つ。
野や山や川に出て、自分自身で、この地球の鼓動を聞かない者たちは、
たぶん、本当の意味で、地球を大切にするなんてこと出来ないだろうということ。
映画やテレビで見せたって、駄目なんだ。
教室の中で、「エコ」なんか教えたって駄目なんだ。
子どもの時に、その小さな体全体を使って、地球の鼓動をきかなければ。

そして、心に残った言葉。
両親がおらず、川漁師の祖父に育てられた こうすけが、担任の先生に言った言葉。
「本に書いてあることはいいから、先生が、川で見たことだけ聞かせてくれ。」

作者は言う。
利権がらみで山や川を食いつぶす大人たちはともかく、子どもたちには、もっともっと
野に出て虫や草花や魚やたくさんの小さな命に触れてほしい。虫を見たら取っちゃえ。花を見たら摘んじゃえ。そんなことで、自然も地球もぐらぐらしないはずなのだ。


本物のカブトムシを触れない子が多いのだそうだ。
カブトムシは、ゲームやカードの中で遊ぶもの。そんな子ども達を作ったのは、
私たち大人だ。
子ども達は、もちろん。大人にも、是非、読んで欲しい本です。

ただ今、学校の横を流れる川で、主さま(鯉)と格闘中の息子くんも、読み始めました。
私とは違う、何かを、きっと読み取ることでしょう。
昨日は、「オレ達は、どこで、南京袋をかっぱらってくれば、いいかな?」などと、
ぶっそうなことを言っておりましたが・・・トホホ、そこかいっ!


『ヴァン・ゴッホ・カフェ』

2008-06-05 11:58:25 | わたしの読書
『ヴァン・ゴッホ・カフェ』 シンシア・ライラント 中村妙子訳 ささめやゆき絵

ずっと寝室に置いて、
娘が興奮して寝てくれない時や、娘が夜中に起きて遊び始めた時に、
少しずつ、少しずつ、読んでいきました
100ページにも満たない、この本を、いったい何日かけて読んだのでしょう!
読めなかったということは、、その分、私は夜寝かせてもらえたということで、
それはそれで、嬉しいことなのですけれど
でも、「本なんか読んでないで遊んでよ!」という夜もあったので、読書のペースとは
完全に比例してないかな。ふふ。

さて、物語・・・
古い劇場だった建物の片隅にある、ヴァン・ゴッホ・カフェ。
そこでは、毎日、素敵な魔法が起こります。ごくごく、普通に。当たり前のこととして。
だから、お客さんも誰も大騒ぎなんかしないのです。ああ、また魔法だなってね。

正直に言うと、最初は、何かしっくりきませんでした。
読むペースが遅かったのは、娘のせいだけなく、そのせいもあったと思います。
ぽつん、ぽつんと語られる物語は、流れが止まっているような感じ?がして、ちょっと違和感。
読むのやめようかな?どうしようかな?そんなことを考えながら、少しずつ少しずつ読んでいきました。
いや・・・・図書館で借りていた本だったら、途中で、やめていたかもしれません。
その時がくるのも知らずに。
でも、これは妹から借りた本。いつものように、長期間貸し出しの本なのです。

と、そのうちに、なんだか、その独特のペースが心地良くなっていました。不思議。
流れが止まっているような・・・は、いつの間にか、どこかにかくれている魔法を、
じっと目をこらして探しているような、待っているような、そんな心地良さに変わりました。
そう、クララのように。

クララはいまになにか起こる、きっと起こると思いながら、どきどき待っているのが好きでした。どきどき見まもっているのが好きでした。

魔法は、きっとありますね。確信しました。

『ミオよ わたしのミオ』

2008-06-03 18:43:01 | わたしの読書
『ミオよ わたしのミオ』 リンドグレーン作 大塚勇三訳

が歩き出してからというもの、ひとときも目が離せない毎日を送っています。
ちょっと気を抜いてしまったがために、ソファーにボールペンで悪戯書きをされたり、
庭に脱走されたり、玄関の靴をタオルの引き出しにしまわれたり・・・
ますます、気を引き締めて子育てに臨む母なのです!
おかげで、読書は、一日数ページペース。ようやく、ようやく読了しました。

ちょっと寂しい雰囲気のリンドグレーン。いつか読んでみたいと思っていました。
変わった題名なので、以前から、なんとなく気になっていたのですが、逆に、題名が地味・・・というか、古臭い?ような気がして、開かずにきました。
けれど、図書館で開いたとたん・・・・・まるで魔法のように・・・・・とりつかれてしまったのです。
そのまま、お持ち帰り~(笑)

夢中になりすぎて、近所の子どもたちが、娘を囲んで遊んでくれているときは、
なんと、外にまで持って出て、玄関に座って読んでしまいました。
少し読んでは、娘の姿を確認し・・・・という、なんとも忙しい読書ではありましたが、
面白かった!
まさに、今までのリンドグレーンとは違う物語。ぐん、ぐんと引き込まれるようでした。
いったい、この方は、どれだけの世界をお持ちなんでしょう。

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孤児のミオは、養子にもらわれた家で、悲しい日々を送っています。
ミオは、まだ見ぬ父親を慕い、誰かに愛して欲しいと求めます。
そして、それらをかなえてくれる「はるかな国」にと、足を踏み入れるのです。

読み進めるうちに、大人の読み手である私は、この「はるかな国」は、もしかしたら、ミオの空想の国なのでは?という疑問を抱いてしまいます。
読んでいる間は、夢中で忘れているのだけれど、ふとした拍子に、いつもどこかに引っかかっている「それ」が、頭をもたげてきて、不安にさいなまれてしまいます。
どうか、どうか、悲しい終わり方をしませんようにと。。。
ミオが、どんなに幸せなときを過ごしていても、何故かいつも、寂しさがつきまとっているように感じるのです。
この幸せが壊れてしまうような何かが、隠されているような気がして・・・

きっと、読み手それぞれの解釈があると思います。
この本を読み解くには、もう一度、時間を置いて読んでみないと、と思います。

心に響いたのは、
困難にぶつかった時に、ミオを支えてくれたのは、たった一つ「ミオよ わたしのミオ」というお父さんの言葉だったこと。
子どもにとって大切なのは「愛情」それ一つなのだなあ・・・その想いが、何度も、こだまするようでした。
「愛してるよ」という直接的な言葉ではなく、「ミオよ わたしのミオ」という言葉であることが、また、心に残りました。

そしてもう一つ、心に残ったこと。
そもそも、残酷な騎士カトーとは、何者だったのだろう?ということ。
剣を湖に捨てるシーンも、ミオとの戦いのシーンも、小鳥のシーンも、深く、深く、心に残りました。

あー。大人は、つい、深読みしようとしていけません。
もっと素直に、ただ単純に読むべきなのかもしれません。
子どもたちは、きっと、心からミオを応援し、安心して・・・幸せな気持ちで読み終えることでしょう。

ミオが、いつまでもいつまでも、幸せでありますように。
世界中の子どもが、幸せでありますように。
そう願わずにはいられない、物語でした。

『石川くん』

2008-05-28 13:08:45 | わたしの読書

『石川くん』 枡野 浩一

母の生まれ故郷が岩手なので、小さい頃から、夏休みに旅行といえば「岩手県」でした。
その度に、おじさんが連れていってくれるのは、石割桜と「石川啄木」縁の場所。
だから、小学生の私は、作品も知らないのに、一番身近な作家さんが「啄木」だったのです。

そのせいでしょうか?
妹が貸してくれたこの本を読んだとき、無償に作者に腹が立って、もう、どうしようもなくなって、
途中で読むのをやめてしまったのです。
ところが、「返さないと」と思って数日前に広げてから、夢中になってしまって・・・・
あっという間に読了。我ながら、びっくりです。
読んでいなかった間に、免疫が出来たかしら?なんて。

これは、石川啄木を愛してやまない?作者による、啄木の短歌を現代風になおして紹介した本。
現代語での訳?は、とても楽しいのです。
問題は、一つ一つの作品に添えられた啄木のエピソード(笑)
私生活と作品を、ここまで強く結び付けられてしまうと、なんだかねえ。

しかし、まあ・・・たしかに、石川くんは、ヒドイ!
女遊びしすぎだし(ただの好色男?)、借金は踏みたおすし、仕事しないで夢ばかり見てるし・・・
だから、この本を読んだあとに、今までのように、啄木の歌を読めない自分がいます。
笑っちゃって、なんだか、純粋に歌を楽しめないというか。。。
私が、人の言葉に影響を受けやすいからいけないのかな。

作品の裏側を知るのは、もっと、作品自体を味わってからで良かったかなあ。
と、ちょっと思ったりもしたけれど、この本をきっかけに、啄木を無償に読みたくなりました。
うーん。高校以来だけれど、読んでみますか!
もしかしたら、今までと違う「啄木像」が、私の中にも出来たりするかも?


『エミリ・ディキンスン家のネズミ』

2008-05-20 08:35:49 | わたしの読書

『エミリ・ディキンスン家のネズミ』
エリザベス・スパイアーズ作 クレア・A・ニヴォラ絵 長田弘 訳


「詩」を読むのは好きなのだけれど、どうも、小説のように、スラスラ読むことができません。
一つの詩を、何度も何度も、頭の中の引き出しを開け閉めしながら、反芻して反芻して・・・
何となく、「自分の中に入ってきた!」という瞬間があって、それでようやく、その詩から離れることができます。
おかげで、何年も我が家にあるにも関わらず、未だに読まれていない詩も多し。
でも、何故、そうしないと前に進めないのか、自分でも良くわからないのです。

この、たくさんの詩がちりばめられた物語。
詩に出会うたびに、いつものように、噛みしめ、噛みしめ・・・
しかも、しっかりと歩き出した娘は、一瞬も目を離せない状態で、読書時間がとれず。
気がつけば、手にとった日から、かな~りの時間がたっていました。
ようやく、よくやく、読了です

白ネズミのエマラインが、詩人エミリ・ディキンスンの部屋に引っ越してきた所から、物語は始まります。そして、はじまる密やかな「文通」。
美しい、美しい、物語でした。。。
実際のエミリの詩を使って進んでいくという、なんとも変わった物語。
実際には、エマラインのために書かれた詩ではないはずなのに、なぜか、
エマラインのためにだけ書かれように思えるから不思議です。

でも、考えてみれば、詩とは、そういうものなのかもしれません。
以前、まど・みちおさんの詩集のときにも書いたのですが、詩集を開くと、不思議と
「そのときの自分に必要な言葉」が見つかるものなのですよね。
まさに、エマラインの目の前に、エミリの詩が舞い落ちてくるように、です。
詩には、きっと、そういう魔法がかかっているのだと思います。


そして・・・・・例えそれが、小さな、へたくそな詩であっても。

作文が、何より苦手な息子くん。
なのに、担任の先生は、ことあるごとに作文を書かせます。
中でも一番、息子を悩ませたのが、何かあるたびに書かせられる「詩」でした。
B5ぐらいの大きさの画用紙に、詩を書き、絵をそえて、先生の机に保管されている
発泡スチロールや消しゴムで作ったオリジナルの印を押して、廊下に掲示するのです。

5年生になった頃は、悩みすぎて、学校で書き終えることが出来ず。
家に持って帰ってきては、22時すぎまで悩む日々。大変なことでした。
なのに、5年生の3学期頃から、一切、お持ち帰りがなくなりました。
先日、掲示が終わった詩を持ち帰ってきたので、たずねてみました。
「いつの間にか、詩を書くのに慣れたんだね。」
「詩なんて、たいしたことないよ。思いついたこと、ただ、書けばいいんだもん。
むしろ、楽しいし。」

息子ときたら、この課題のために、先日、「筆ペン」と「サインペン」が欲しいと言い出しました。
筆ペンで字を書くと、かっこよく見えるのだそうです。
サインペンは、絵のふちどりのために。相変わらずの凝り性です(笑)

おかげで、授業参観で、子どもたちの詩を読むのが、何よりの楽しみとなった母。
ウケ(笑い)を狙っている子あり、5・7・5にこだわって書いている子あり、絵が描けないほど永遠と文章を綴っている子あり、絵手紙のような子あり。
それぞれの子が、生き生きと綴っています。

今まで、色々な題材がありました。
富士山に雪が積もった日、みんなで教室の窓から富士山を見て。
用務の先生と校長先生が収穫してくれた「校庭のざくろ」を、みんなで一口ずつ食べて。
音楽会が終わった日に。
もうすぐ6年生になる日に。
同じ顔ぶれで6年生になれた日に、記念撮影に出た校庭で花を見つけて。

同じものを見ても、食べても、聞いても、感じ方は、それぞれ。
同じものは、一つもありません。
でも、全部つながっている。不思議な魔法でつながっている。すごいなあ。

もしも、学級会で
「昨日の音楽会の感想を言って下さい。」なんて質問をされたら、
「ハイ。楽しかったです。」「同じで~す。」
で、終わるかもしれない。
でも、詩で表現すると、素晴らしい魔法がかかるのです。不思議。

詩の持つ魔法が、どうぞ、多くの子どもたちに伝わりますように。
白ネズミのエマラインが、エミリと心通わせたように・・・・・・。

ターシャ・チューダーの言葉

2008-05-02 10:48:29 | わたしの読書

『今がいちばんいい時よ』
ターシャ・チューダー リチャード・W・ブラウン写真 ウィンズロー・チューダー写真
食野雅子 訳
『楽しみは創り出せるものよ』
ターシャ・チューダー リチャード・W・ブラウン写真 食野雅子 訳
『生きていることを楽しんで』
ターシャ・チューダー リチャード・W・ブラウン写真 食野雅子 訳

ターシャ・チューダーという作家さんを知ったのは、2年くらい前だったでしょうか。
図書館ボランティアの勉強会で、美しいお庭の写真集を紹介した方がいたのです。
そのときは、「お庭が綺麗だなあ」「こんなお庭欲しいなあ」そんな感想で終わってしまったのですが、
その後、「あのお庭の人だ。」と、見入ってしまったNHKのスペシャルで、すっかり、ターシャ・チューダーという作家さんの、暮らし方のファンになってしまいました。
番組は、お庭を紹介するというものではなく、彼女の暮らし方、子育てに焦点を当てたものでした。

中でも、憧れてしまったのが、お人形づくり。
子どものために、自らの手で人形を作り、子どもたちが楽しめるようにと、人形の服のカタログまで作ってしまったのだとか。
子どもたちは、カタログで服を選び、それを、彼女が仕立てるのです。
楽しそうーっ!
けれど、何より私が驚いたのは、彼女が仕事を持っていたということ。
その頃、仕事と家事の両立に四苦八苦し、時間に追われる毎日を送っていた私には、目からウロコでした。
時間がないと嘆いていても、何も始まらない。時間は、作らなければ、ね。

だから、ことり文庫さんに教えて頂いた講演会で、「ターシャとの出会い」というお話が聞けると知ったときは、本当に、本当に、心が躍りました。でも、冷静に考えてみれば、いけるはずもないのです。誰が、オッパイあげるのってことですからね。くすん。
そんな訳で、ブログで教えて頂いた本たちを、図書館から借りて、気持ちだけターシャの世界に浸ってみました。

ターシャの簡潔な言葉と、美しい写真で構成された本。
暮らし方の原点が、そこにあります。本当に、素敵な本でした。
私も、ターシャのような視点で、家の仕事、育児を見つめなおしてみたいな。
きっと、掃除にも、お皿洗いにも、暮らすことの喜びは、見つけられるはず。
そう思うのです。

そうそう。
家でも職場でもガーデニング隊長の旦那に見せてあげたら、驚くほど熱心に、読んで(見て?)おりました
こんな庭があったら、会社に行かなくなりそう。あなた・・・。
さあ、私の方は、次は、ターシャの絵本を読んでみよう!


『赤ちゃんとお母さん』

2008-04-21 12:36:10 | わたしの読書
『赤ちゃんとお母さん』 まど・みちお

息子の春休みに帰省をし、町の小さな図書館に行きました。
大人の本も子どもの本も、ワンフロアーしかない、本当に小さな図書館。
帰省しても、図書館?という感じですが、こういう図書館って、好きなんです。
当たり前ですが、蔵書数が少ないから、視界に入る本の数が限られてくる。
ついつい、見逃してしまっている本、大きな図書館なら、すでに書架に入れられてしまっている本。
そういう本たちに出会える、すばらしいチャンスが溢れています。
そうそう。先日も、隣町の公民館・図書室で、旭山動物園のエッセイに、出会ったばかりでした。

そして、今度は、この小さな図書館で・・・
まど・みちおさんの『赤ちゃんとお母さん』という詩集に出会ったのです。
ひとめぼれ
我慢できずに、ことり文庫さんから取り寄せました。

届いたその日から、いまのところ毎日、欠かさず読んでいます。
娘は、今月の12日からずっと、熱が上がったり下がったりを続けていて、どこにも出かけられず。
だから、この本が、大活躍でした。
詩って、一つ読んでおしまい!でも良いから、39度の高熱があったって、じっとしてられない娘には、ぴったりです。
今、一番、楽しんでいるのは『こっつんこ』という詩。

おでこと おでこと 
こっつんこ こっつんこ

なみだと なみだと
ぴっかりこ

詩に合わせて、おでこをこっつんこ。
この後、ほっぺも出てくるので、もちろん、ほっぺもだまりんこ。

『あたまは てんてんてん』も、身体の部分を触りあえる詩。

あたまは てんてんてん
ほっぺは ぽんぽんぽん


と続いて、お口、手、肩と進んでいきます。

私の大好きな詩『あかちゃん』も、もちろん入っていました
そして、今、とても気に入っている春の詩が、『たんたん たんぽぽ』。
先日、家族みんなでつくしとりに行って、この詩の通りの場所を見つけました。
たんぽぽ、ちょうちょ、つくし、すみれ。全部、見つけたよ。
嬉しくて、嬉しくて・・・・・。でも、その場で詩を暗唱できなかったのが、ちょっと残念。
私のコチコチ頭は、簡単には、覚えてくれないのです。クスン。
 つくしの味は、春の味

『あかちゃん』を教えてもらってから、すっかり、まどさんファンになり
どの詩集を手元に置こうかと、いろいろ、図書館で見てまわっていたのですが、
こんな可愛らしい詩集が手に入って、本当に満足。
だって、
大好きな詩集が一冊あると、生活が、キラキラと音をたてて輝きだすのですもの。

詩集って、まるで占いの本みたいだと思うときがあります。
(占いの本って、ほとんど読んだことないのですが
今日の気分で、開いてみると、必ず、その時に必要な詩が現れるのです。
どんなに落ち込んでいたとしても、必ず、答えが見つかります。
本当に、本当ですよ。

『ムギと王さま』

2008-04-08 21:36:57 | わたしの読書

『ムギと王さま』 ファージョン作品集③ 石井桃子訳

ようやく春休みが終わり、いつもの毎日が始まりました。
たまった読書日記を、ぼちぼちと書いていけると良いのだけれど。

この本は、友人の娘さんたち(小学生)にプレゼントする本を選んでもらった際に
薦めてもらった本の中の一冊。
とても、とても良かった。
本当に、素晴らしい本でした。
男の子向きとか女の子向きとか、そういう意味ではないのだけれど
夢見心地の女の子には、絶対に絶対に読んでほしいな。
これは、昔むかし、夢見心地だった女の子の意見デス。

どの物語も好きで、どの物語も心に残っているのだけれど、なぜか
一番最初の「作者まえがき」が気に入っています。
憧れの本のある風景。
私の子どもの頃の読書風景と、勝手に重ね合わせてしまいました。
ちょっと埃っぽい、静かな学校の図書館。
まるで、宝物を取り出すように、本棚から本を選んだ日々。

あの時のワクワクが、そのままつまったような一冊。
娘をお昼寝させた後に、少しずつ、少しずつ、布団の中で読みました。
いつまでも、読み終わらなければ良いのにとさえ思ったほどでした。
表紙を見れば、訳は石井桃子さん。
子どもの血となり肉となる本を、大切に、大切に、訳された方なのですね。


『雑草ノオト』

2008-03-10 13:31:06 | わたしの読書
『柳宗民の雑草ノオト』 柳 宗民(著), 三品 隆司(画)

去年、庭の雑草とりに精をを出していたときに、名もない雑草たちの魅力に、
すっかり、とりつかれ(でも、しっかり摘んでしまいましたが)、この本を買いました。
すぐに冬になってしまって、しばらく出番がなかった、この本。
三月に入って、散歩に出かけられる日が増えてきて・・・ようやく出番です!!

この時期のお楽しみは、何と言っても、春を見つけること。
寒々とした風景の中に、小さな春の花を見つけたときの喜びは、何ともいえません。
先日、近所の畑の脇に、小さな青い花が咲いているのを見つけました。
「オオイヌフグリ」という、可愛らしい花。
子どもの頃、大好きで大好きで、よく摘んで家に持って帰ろうと試みては、失敗したものです。
どんなに頑張っても、花が、ポロリと落ちてしまうのですよね。悔しかったなあ。

そんなことを思い出しながら、ルンルン気分で帰ってきた私。
ところが、喜び勇んで名前を調べると、この愛らしい花の名前が、
「犬の陰嚢(ふぐり)」という意味の名前だということがわかりました。ショック!
そうなんだ・・・・・。知らなかった。
しかし、稀に、ピンクの花を咲かせるものもあるということもわかりました。
これは、嬉しい♪春の間、歩き回って探さなくては!!

 ホトケノザ

「オオイヌフグリ」の横に咲いていたのが、この「ホトケノザ」。
ホトケノザは、対生してつく丸形の葉や、その葉が頂葉では幾重にも重なって、
恰も仏の座、蓮台を連想させることから付けられたと云われるのだそうです。
そう思ってみると、もう、蓮台にしか見えなくて・・・なにやら、高貴な花に見えてきました。
名前って、大切ですよね。。。
でも、「オオイヌフグリ」の可愛らしさは、どんな名前であろうと変わりません。
気を悪くしないでね。「オオイヌフグリ」さん。

この本。
図鑑としては、(山歩きするような人には)ちょっと物足りないかもしれません。
子どもと一緒に探すなら、福音館の雑草の本の方が楽しいかもしれません。
でも、ウンチク大好きな人なら、大満足・間違いなし(それは、私)。
それよりなにより、雑草への作者の愛が溢れているのが、一番嬉しい。
一つ一つの雑草について書かれたお話が、とても楽しいのです。
これから、どんどん見つけていくんだそう思うと、もう、今からワクワクです。
まずは、ピンクの「オオイヌフグリ」。見つけられますように

『豚の死なない日 』

2008-02-27 11:29:19 | わたしの読書

『豚の死なない日』
ロバート・ニュートン・ペック(著), 金原 瑞人(訳)

生きるとは、どういうことなのか?
人間の誇りとは?豊かさとは、何なのか?
この本を読みながら、何度も繰り返し、自分に問い続けた。

この本を読んでいた数日間は、何をしていても、この本のことが、頭の隅から離れなかった。
自らへの問いも、その理由の一つだけれど、
狩のシーンやイタチと犬の殺戮シーンの描写が、あまりにもリアルで衝撃的で
本を閉じてからもなお、そのシーンが頭から離れなかったというのも、理由の一つだ。
豚の交配シーンもそうだが、ここまで生々しく描写する必要性があるのだろうか?
そう思わずには、いられない。正直、子どもに勧めるのに躊躇してしまう程だ。
けれど、すべてを読み終わった今、
その場面も含めて、この物語の素晴らしさに胸を打たれている。

特に、主人公の少年が、可愛がって育ててきた豚を父親と一緒に解体するシーンは、
あまりの衝撃と残酷さに、何度も、目を逸らしたくなった。
少年と一緒に嗚咽しながら、心で叫んだ言葉。
目を背けてはいけない。これが、生きるってことなんだ・・・

人間は誰でも、何かの犠牲の上に生きている。
現代社会においては、犠牲に目をそむけ、気づかないで暮らしていくことは、
容易いことかもしれない。
でも、私たちの足元に「犠牲」があることは、隠しようのない事実なのだ。
その事実を知ってこそ、本当の意味で、生きていることに感謝できるのではないか?

学校では教えてくれない、魂の奥深くの問題について、教えてくれる・・・
もしくは、問題を投げかけてくれる一冊。
胸に強く、強く響いた一冊だった。
心が、強く、強く揺さぶられた一冊だった。
いつか・・・息子にも読んでほしいなと思う。
それが、中学生なのか、高校生なのか、その後なのかは判らないけれど。

そして、この本を受け入れられる心、真正面から受け止めることが出来る心を築くことが、
親として、今、子どもにしてあげなくてはいけないことなのかな、と、思ったりもした。


『見知らぬ町ふしぎな村 』

2008-02-22 16:29:15 | わたしの読書
『見知らぬ町ふしぎな村』 安房 直子(著), 北見 葉胡

日ごとに暖かくなっているなと感じる、今日この頃。
毎日、ようやく風邪が治った娘をつれて、散歩に出かけています。
近所をぐるぐる回り、今日は、売り出し中の分譲地街を偵察!?しながら帰ってきました。
全部売れたら、90戸も建つのだとか。今は、まだ何も建物がない、その場所に立って、
これからどんな家が建つのだろうと想像してみました。
ついこの間まで野球場だったこの場所に、いったい、どんな街ができるのだろう。

そんな不思議な気持ちを引きずったまま、知らない道を選んで進む散歩。
もしかしたら、いつのまにか、知らない町に迷い込んでいるかもしれない・・・
そういう感覚が昔から大好きで、一人旅に出ると必ず、知らない町をグルグルと廻ったものでした。
(そのまま迷子になって、ホテルに帰れないことも多々・・・)

だからこそ、この本の題名に、強く惹かれました。
残念ながら、一巻ほどは、のめり込むことが出来ませんでしたが、その異空間は、
私も、いつだって、そこに行けるのではないか?という気持ちにしてくれます。
少々、猫に頼りすぎている?という気もしましたが、それを差し引いても、やはり
安房さんの世界は素敵です。
とくに、美味しいお話が多かったのが嬉しかったな。
「うさぎやのひみつ」は、ちょっと怖いけれど、一度、夕飯を頼んでみたいという
気持ちを抑えることが出来ませんでした。
でも、アクセサリーが苦手で、結婚指輪しか持っていない私だから・・・どうしましょう。
うさぎは、アクセサリーで御代を集めるのです。持っていなかったら、やっぱり・・・・・

『博士の本棚』

2008-02-16 11:07:41 | わたしの読書

『博士の本棚』 小川洋子

小川洋子のエッセイは、ちょっと苦手。
あまりに大人しくて・・・なにか、物足りない気がしてしまうのです。
先日読んだ『物語の役割』は、講演録ということで、その「大人しさ」を
感じないですんだのだけれど、今回は、また・・・・・気になってしまいました。

真面目で、誠実。そんな、彼女の人となりが、嬉しくてたまらない反面
(好きな作家さんが、嫌な人だったら悲しいですもん)
ついつい、「物足りない」と思ってしまう私がいます。
小説での、あのドキドキするような大胆な文章、艶っぽい言葉たち、とのギャップを
どうしても、「つまらない」に置き換えてしまいます。
いや、もしかしたら、小川洋子が好きだから
彼女が「普通の女性」なんだと思えてしまうことが、嫌なのかもしれません。
私は、いったい、何を期待しているのだろう?困ったファンですね。

実は、途中で何度か、「もう、読むのやめようかなー。」と思いました。
でも、最後まで読めたのは、ファン魂と、彼女の本棚に並んだ本の面白さ。
彼女の選ぶ本は、どれも、魔法がかかったかのように輝いて見えます。
彼女の本棚を、一人、こっそり覗いているような快感。
しかも、手にとって、そっと表紙を触っているような快感。
うーん。私って変態。

けれど、このエッセイで、何より嬉しかったのは、
以前から感じていた「小川洋子と村上春樹との接点」について、が、解決したことでした。
『風の歌を聴け』が、暗唱できるくらいだったという話。
机の上には、いつでも手にとれるように『中国行きのスロウ・ボート』が置いてあるという話。
その章を読んだとき(後で、自分のイカレ・加減に笑ってしまいましたが)、本気で、胸が震えました。
本当に、ファンというのは、勝手な思い込みで作者を崇め奉っていて(私だけかもしれませんが)、
作者にとっては、迷惑な話です(笑)

小川洋子の小説(特に、短編)を無償に読みたくなりました。
あの、世界にどっぷりと浸かりたい。そんな気持ちです。


『夜のパパとユリアのひみつ 』

2008-01-28 10:50:03 | わたしの読書
『夜のパパとユリアのひみつ 』マリア グリーペ(著) 大久保 貞子(翻訳)

『夜のパパ』の続編。図書館で借りてきました。
前回、夜のパパと無邪気にやりとりしていたユリアは、少し大人になっていました。
それでも、夜のパパとユリアの関係は、少しも変わらず。
前作に比べると、秘密のやりとりをのぞいているようなワクワクは、ちょっと感じられなかったのですが、
今回の方がストーリー性が強くて、それはそれとして、大いに楽しむことができました。

ユリアの暮らしているお家が、街の再開発の対象となり、タウンハウスに建て替えられることに。
古いけれど、とても素敵なこの家を、どうにかして残しておけないだろうかと、
ユリアと夜のパパが、考えをめぐらせます。
二人の素晴らしい計画は、大成功。けれど、結局、どうなったのかは書かれていません。
そこが、いいな・・・と思いました。

もちろん、私だって、家が残るほうが嬉しいけれど・・・
結果より、そこに至るまでが大切なんて、そんなツマラナイこと言いたくないけど。
でも、この本では、やっぱり、この終わり方が好きだなあ。
たとえ、家が取り壊されたとしても、あの計画は、大成功だったのだもの。
いつもいつも、心の中で言葉が空回りしているユリアが、みんなの前で演説をし、
ユリアをいじめてばかりいる友達が、みんなで、ユリアを支持してくれて。
ユリア、よかったね。

目に見えない大きなものに、立ち向かえる力をくれる人。
一緒に、立ち上がってくれる人。
そういう人に出会えることが出来たなら、人は、とても幸せですね。

『シカゴより好きな町』

2008-01-20 17:40:18 | わたしの読書
『シカゴより好きな町』 斉藤倫子

おばあちゃんの魅力に、とりつかれた私にとっては、嬉しい嬉しい続編でした。
なんと、3日で読了。家事は、ちゃんとやってました。念のため。
(ちゃんとの基準を何処で引くかは、人それぞれかもしれないけれど・・・

不況のために父さんが失業し、家がなくなってしまったメアリ・アリス。
父さんの仕事が見つかるまで、田舎の祖母の元で暮らすことになります。
夏の一週間だけならともかく、ずっと祖母と一緒に田舎暮らし。しかも、兄のジョーは、いません。
都会っ子のメアリ・アリスと、あのおばあちゃんの暮らしは、一体、どんなものになるのか!
ページをめくる前から、もう、ワクワクが止まりません。

『シカゴよりこわい町』と、全く変わらない、パワフルなおばあちゃん。
人の畑からカボチャは頂戴するは、仕掛けをかけて狐をとって毛皮を売るは、法外な値段で、チャリティーパーティのスープを販売するは・・・
メアリ・アリスは、いつの間にか、おばあちゃんの良い相棒となっていました。
おどおどしたり、気を失っていたジョーに比べ、「さすが、女!」って感じ。

何もかもメチャクチャに見えるおばあちゃんの行動だけれど、今回も、弱きを助け、強きをやっつけるという点においては、一貫しています。今回の方が、その色合いが強く出ていた感じもしました。
ただ、前回では、全く描かれていなかった、おばあちゃんの「老い」の部分が、事あるごとに描かれているのが、楽しい気持ちに、不安の種をまいていきます。
その度に、悲しくなって泣いてしまいました。

もしかして、最後におばあちゃんが亡くなるのでは?
心配で心配でたまらなかったけれど・・・・・・
今回も、最後の最後に、素晴らしい結末が待っていました。
思っていた以上に素晴らしい結末で、本当に、本当に満足!
やっぱり、ハッピーエンドは、いいなあ。。。
ハッピー・エンドでも、やっぱり、涙はこぼれるのですね。涙って、不思議だな。