goo blog サービス終了のお知らせ 

ぼちぼち日記

大切な日々のこと

C.V.オールズバーグ

2009-05-18 17:27:02 | わたしの読書
  

『ベンの見た夢』 村上春樹訳
『さあ、犬になるんだ!』 村上春樹訳
『ジュマンジ』 村上春樹訳
『魔術師アブドゥル・ガサツィの庭園』 村上春樹訳
『ハリス・バーディックの謎』

もうすぐ、息子の誕生日。
恒例の本のプレゼントは、今年は、オールズバーグの絵本をプレゼントしようかしら?
と考えました。(+図書券)
これまで読んだ中では、断然、『魔法のホウキ』か『まさ夢いちじく』なのだけれど
もっと面白いのがあるかもしれないと、図書館に置いてあるオールズバーグを
山のように借りてきました。

どれも、絵の素晴らしさと恐ろしさは、優越つけがたいのだけれど、やはり、私は
『魔法のホウキ』と『まさ夢いちじく』かな。
ドキドキの作用点は、人それぞれだから、良い、悪いではなく、好みということで。
ただ、物語の最初のシーンだけを集めた?ような画集『ハリス・バーディックの謎』
は、また、他のものとは違う面白さがあり、これはいつか、是非とも手元にと思った
のでした。
(息子が、この面白さを理解するのには、あと3年ぐらい必要?と思い、今回は、
やめにしました)

並べられるワンシーン。
どの絵も、その先の物語は、読んだ者それぞれの頭の中に続いていく。
その恐さが、オールズバーグらしくて、シビレテシマイマシタ

それにしても、多くを語らない恐さ。ジリジリと迫るような恐さ。
オールズバーグって、やっぱり、すごいなあ。

『青空のむこう』

2009-05-16 00:23:30 | わたしの読書

『青空のむこう』 アレックス・シアラー 金原瑞人訳

明るい!軽い!!
まるで、洗濯したばかりの、しかも、ノリでパリパリに仕上げたシャツのよう。
この文章は、アレックス・シアラー独特のものなのかしら?それとも、金原訳だから?
ずっと、そんなことを考えながら、読んでいました。

主人公の少年が死んだところから始まる物語。
「死」を扱った物語だというのに、この明るさ、軽さは、イッタイ・・・・・。
もしかしたら、そのギャップこそが、この本の一番伝えたいことなのかもしれないと
思ったりもして。

テーマが「死」ということもあってか、私の苦手とする『書き手の主義主張』が色濃く、
途中、「もしかしたら、全部読めないかもしれない。」と、思った程だったのだけれど、
そこが不思議その軽妙な文章と物語運びにのせられたまま、一気に最後まで
読んでしまったのでした。

途中まで読んだところで、ラストも、おおよそ予測でき、実際、その通りになったのだ
けれど、それでも、オイオイと声をあげて泣いてしまったのも、これまた不思議
この涙も、主人公が可愛そうとか、「死」というテーマが重くて・・・ではなく、なぜか、
「ハリー(主人公)、良かったね!本当に、良かったね!」
という、爽やかな涙なのです。本当に、不思議

なんやかや文句をつけながらも、最後まで一気に読み終え、おまけに、読後の、この
爽やかな気分。
「死」の物語を読んで、どうして、こんな気分になれるんだろう?
なんだか、不思議な作家さんかもしれません。
それが知りたくて、今日、図書館で、またもやアレックス・シアラーを借りてきてしまったのでした。
やっぱり、2冊読んでみないとね。なんて。


『アイヌ神謡集』

2009-05-13 15:08:08 | わたしの読書

 『アイヌ神謡集』 知里幸恵編訳

大地の鼓動が聞えてくるような、力強い、神秘的な物語に、圧倒され続けました。
なんと美しい物語たち。
大地の恵に感謝し、その声に、じっと耳を傾けて生きてきた人々の営みを、何度も
想像しながら、読み進めました。

こんなに素晴らしい文化が、あったことを誇りに思う。
そして、それを迫害し、滅ぼした罪を、つくづくと考える。
日本は、決して、単一民族の国ではないのだという事実を、みなが共有しなければ
その愚かな行いを、また、どこかで、違う形で、繰り返してしまうに違いない。
本を閉じながら、そんなことを考えました。

若くして亡くなったという、知里幸恵さん。
幸恵さんが残してくれたものは、なんと、大きな宝物なのだろうかと思います。

この本を読み終わった後、NHKの教育テレビで放送している『にほんごであそぼ』の中に、
この本の一番最初の物語を見つけました。
エンディングで子どもたちが歌っている歌の歌詞にハッとして、あわてて、この本のページを
めくったら、まさに、そこに、その歌詞にある物語が。
翌日、テレビにかじりついて、テロップをのぞきこんだら、そこに「知里幸恵」の名前。
やっぱり!

Shirokanipe ranran pishkan,konkanipe ranran pishkan.

思いがけず、物語の原文・・・アイヌ語の発音をローマ字で書き取った部分・・・を
耳からきくことが叶ったのです。
あの歌は、アイヌの音楽?・・・じゃないだろうなあ。
でも、少しは、民族音楽を参考にしてるのかな?→

この番組の「歌をつけて、詩や文学を覚えてしまおう~♪」みたいなノリだけは、
どうしても好きになれないのだけれど(正直に言うと、嫌いです)
こんな風に、アイヌの言葉に触れることができたことだけは、感謝・感謝。

ただ、単純に美化してしまわず、きちんと、その歴史も伝えていかなければならないということも、
政治家すら、間違えて発言してしまうほど深刻な問題なのだということも、
一個人の意見として付け加えておこうと思います。
学校では、全く教えてもらった覚えのない、アイヌのこと。もっと知りたいなと思いました。


『猫ばっか』

2009-05-08 13:24:37 | わたしの読書

『猫ばっか』 佐野洋子

以前、読んだことがあったような、なかったような。
頭をひねりながら、でも、そのうちに、そんなこと、どうでも良くなりました。
佐野洋子さんの本は、やっぱり、好き♪
妹の「猫の本棚」から見つけ出した一冊デス。

猫にまつわる話が、いくつも、いくつも、つまっています。
おまけに、洋子さんのイラストが素敵♪
猫と暮したことがある人なら、絶対に、うんうん、猫って、そうだよなーと頷きたくなるし
暮したことがない人なら、絶対に、暮したくなるに違いない。
(前も、他の本で、同じような感想を書いた記憶がありますが)
猫って、本当に愛すべき動物です。
どの話も良かったけれど、病院から抜け出したクロの話が、一番、胸に残りました。

さてさて・・・
小さくて、冷蔵庫の引き出しの中に、閉じ込められてしまったこともある
我が実家の猫たちも、今では、すっかり「おばあちゃん」。
二匹して、カーテンによじ登っていた頃が懐かしい程、寝てばかりです。

お家に大くん(犬)がいるせいか、猫に対して、全く、遠慮のない娘は、いつでも猫を
追いかけて、何度も、のんびりしたい老猫たちの怒りをかっていました。
大くんは、いつだって遊んで欲しいけれど、猫は、そうじゃないってこと・・・どうしても
理解できません。
仕舞いには「ふーっ」と、威嚇されておりました。

それでも、猫ちゃん大好き
家に帰ってきてからも、パパに、
「猫はねー。キキ(猫の名前)はねー。」と、一生懸命、話して聞かせていました。
ちなみに、実家では、「パパ」と「にぃに」より、「大くん」の名前を連呼していた娘さん

「大くんは?」「キャンプよ。」
「大くんは?」「もう寝てるかな。」
「大くんは?」「ご飯食べた頃ね。」

暇になると、永遠に、この問答


『夢十夜』

2009-05-07 15:51:00 | わたしの読書

夏目漱石 /井田 英津子・画

ゴールデンウィーク、娘と二人、実家でのんびり過ごしました。
(パパと息子は、バーベキューと雨キャンプを楽しみました)
娘がお昼寝している間に、妹の本棚から、読みたい本を探してきて
ドップリと読みふけるという、贅沢な休日。
夕飯の支度の段取りナシで読書する、この贅沢よ。
お母さん、40歳になっても、こんな娘でごめんなさい。

挿絵の美しさ、物語の美しさに、いっぺんに引き込まれた一冊。
十の夢の話。なんとも美しく、恐ろしい、十の夢。
漱石先生の文章は、どうして、こう美しいのでしょうか。
あまりに、美しくまとまりすぎていて・・・そこが、好き嫌いの分かれ道なのかな?
などと思ってみたり。
もちろん、私は、大好きなのですが。

なんといっても、私は、第一夜の夢が好き。
夢の中なら、百年、愛する人を、その墓の横で待っていても良いかなと思う(笑)
百年たった時、何を思うのか?知りたいような。知りたくないような。

ただ、この本。
挿絵が、あまりに美しすぎて、これは、挿絵としては、どうなんだろう?と
無粋なことを考えたりもしました。
頭の中で広がる絵が、どうしても、挿絵の中で完結してしまいます。

恥ずかしながら、『夢十夜』という物語をはじめて読んだので、まずは、文章だけで
楽しむべきだったかもしれない・・・という気持ちが、少しだけ残りました。
もちろん、この挿絵が、素晴らしすぎるが故の感想なのですが。


『種をまく人』

2009-05-02 14:55:39 | わたしの読書



『種をまく人』 ポール・フライシュマン 片岡しのぶ訳

幼くして父親を亡くした少女。移民の少年。
韓国人のクリーニング屋の女性は、店に入った強盗に殴られてから、家にこもりっきりでした。

脳卒中で車椅子生活の人のヘルパー。16歳で妊娠したメキシコ人の女の子・・・

この本に出てくる人々は、みな、何かしら問題を抱えている人々。
自分たちが暮している町を愛することもなく、ただ、そこで暮らし、生かされている。
そんな彼らが、ある少女が蒔いた種をきっかけに、変わっていきます。
隣に住んでいるのが、どんな人かもしらないようなアパートの中の空き地に蒔かれたのは、
小さな小さな種。誰しもが、自分のためだけに蒔いた種。
けれど、種が繋いでくれた人と人との繋がりは、どんどん大きく、広がっていきます。

たった一つの小さな種が、大きな森をつくる力を持っているのだと、
森は、実は、最初はみんな小さな種だったのだと、そんな当たり前のことを
シミジミと、温かい気持ちで頷かせてくれた物語でした。

愛する人との温かく、平和な暮らし。誰かと繋がっている安心感。
人間が欲しているものなんて、たぶん、みんな同じもの。
なのに、人間って、どうして上手くいかないんだろう。
どうして、いがみあったり、憎しみあったり、盗もうとしたり、戦ったり・・・・・


人物設定は、アメリカという社会が抱えている問題そのもの!という感じがするけれど、
実は、日本だって同じことなんだろうなと思います。
問題を抱えていない人間なんて、きっと、いないと思うから。
種を蒔かないとね。種をまかなければ、何も生まれないのだ。



お天気に恵まれたゴールデンウィーク!
今年は、単発のイベントが、ちょこちょこと入った連休になりました。
今日は、息子くんは地元サッカーチームの応援に。(招待券を頂いたので)
娘は、最後まで「もパパ(と)車で行くー」と駄々をこねていましたが、
姿が見えなくなったら、さっさと諦めて、チューリップのうたを歌いながら、おままごとを
楽しんでいました。この切り替えの早さは、ホント笑えます。

二人と一匹。残された家は、とても静かで、おひさまもお昼寝しているみたい。
お出かけが大好きで、どんどん予定を入れてしまう性分だけど、こんな風に、のんびり
過ごすっていうのも、いいもんだなー。
バナナとクルミのケーキも焼けたし、本も一冊読み終えたし。
おかげで、お昼ご飯を作る気になれず、女二人だし~とバナナケーキとサラダでランチ。
男組には、信じられない「甘いご飯」を頂きました。


明日は、楽しみにしていた「0才からのクラシックコンサート」♪
アテナの森のshorinさんに教えてもらった、音楽の祭典!?に行って来ます。
→ http://www.lfj.jp/lfj_2009/

今年のテーマは、バッハなんですって。ゴールデンウィーク中、街が、音楽であふれるとか。
(駅とかでも、弾いちゃう人がいるらしい・・・との噂)
クラッシック。学校で習うような有名な曲を知っている!位の知識ですが、音楽は好き♪
こういうイベントなら、気楽に参加できて嬉しいな。楽しみに行って参ります。
うふふ。やっぱり、おでかけも好きだわ


『続・豚の死なない日』

2009-03-28 15:19:47 | わたしの読書



たった一つの物語が、自分の価値観や人生観に、大きな影響を与えることがある。
『豚の死なない日』『続・豚の死なない日』は、今の私にとって、まさに、そういう物語でした。

『豚の死なない日』の衝撃が大きく、これは、しばらくクールダウンして、しっかり、
消化した方が良いと思ってから、数ヶ月。
ようやく、続編を読もうという気持ちになりました。
別の本を探していたら、隣の棚にあったこの本が目にとびこんできて、その場から
立ち去れなくなってしまったという、運命的な出会いでした。

父親を亡くし、小さな農場と、大切な家族を守っていかなければ、いけなくなった
主人公・ロバート。
周りの人々に支えられ、助けられながら、父親の教えを心に、しっかりと、大地に足を
つけて歩んでいくロバート。
そんな、ひたむきな青年の行く先には、様々な困難が待ち受けています。

グイグイと、力一杯、読者の心を掴んで進んでいった前作に比べ、『続・・・』は、
少しずつ、しかし、しっかりと、まるで、ロバートと共に歩んでいるような、そんな読書となりました。
読んでいる途中で、何度も、心の奥底に眠っていた『前作のシーン』が、蘇ってくる
感覚があり、その度に、感極まって涙してしまう・・・という、今まで、体験したことの
ないような読書体験を味わいました。
本当に、すごい体験をさせてもらった気がします。

あまりにも、この本が、自分の中で大きすぎて、今は、まだ、感想を言葉にすること
すら出来ないのだけれど、あえて、メモしておくとしたら、
この本を読んでいる間中、ずっと感じていた、「感謝」という言葉でしょうか。
うーん。書いてしまうと、あまりに、言葉が軽いような気がしてしまうのだけれど。
それと、しっかりと大地に足をつけ、その足の裏から、大地を感じることができる人に
なりたいと、強く思ったことも、メモしておかなければと思います。
「感じる」。このことの大切さ、難しさ・・・。心にズンと響きました。

素晴らしい本との出会い。
教えて下さった方々に、深く感謝しながら、本をとじました。


『ねずみ女房』

2009-03-06 15:35:49 | わたしの読書



『ねずみ女房』 R・ゴッテン作 W・P・ディポア画 石井桃子訳

自分の住む家以外の世界を知らず、その狭い世界の中で、平凡に暮らしているネズミ。
ねずみ女房が、他のネズミと違うのは、ただ、「いまもっていない、何か」が、ほしかった。
ただ、それだけでした。

ある日、ねずみ女房が暮らす家に、一羽のハトが、捕らわれてきます。
ハトは、ねずみ女房に、外の世界について、話して聞かせてくれます。
家の屋根や、気の梢や、丸い形の丘や、たいらな畑地や、遠くの山のこと。
そして、飛ぶということについて。
ねずみ女房が、ハトを逃がしてやることで、この物語は、結末を迎えます。
結局、ねずみ女房は、外の世界に旅立つことはなく、平凡なネズミのまま終わるのです。

ハトが飛んでいってしまった時に、ねずみ女房が流す涙に、若い頃の私だったら、きっと
今と違う感情を抱いただろうなと思います。
運命を変えることなく、受け入れることにした彼女に、きっと、「自分は、こうはならない!」と
鼻息荒く、思っただろうと思います。
どうして、ハトと一緒に、外の世界に出て行かないのかと。

でも、不思議なことに、今の私は、すんなりと彼女の一生を受け入れました。
それどころか、ねずみ女房の小さな幸せに共感し、その生き方を、心から愛おしいと思ったのです。
働かず、ヤキモチからか?不安からか?妻をかじってしまう旦那さんとの生活を変えなかったことも含めて。
それが、正しいことなのか、そうでないのかは、わかりません。
ただ、確信しているのは、ねずみ女房の一生は、それでもきっと、幸せだったということ。

人の幸せは、何を得たとか、何を成し遂げたとか、きっと、そんなことではないのです。
どんなに小さくても、夢があり、憧れがあり、不思議に思う気持ちがあり、そして、心の中に
宝物を(それが、たった一つであったとしても)持っていること。
そうです。なんと言っても、ねずみ女房は、星を見たのですもの。

小さな小さな物語でした。
深い、深いところに、キラキラと輝く何かが隠されている、そんな物語でした。素晴らしかった。
この物語と出会えたことに、心から感謝を。


『あの犬が好き』

2009-03-02 15:14:58 | わたしの読書



シャロン・クリーチ作 金原瑞人 訳

詩を書く。
それは、なんて、楽しいことなんだろう。なんて、切ないんだろう。
詩を書く。
主語が何で、述語がなんだとか、段落がどうとか、そんなこと
いちいち考えなくても書けてしまうという、素晴らしい特典つき。
「文の途中で主語が変わってるよ?」なんて、注意されたりしない。(ね、息子くん)
会話にはカッコをつけるなんてルールも、無視したければ、無視すればいい。(ね、息子くん)
いや、もしかしたら、それさえも、魅力の一つになってしまうんだから!詩は、やめられない!

この本は、そんな私の詩への想いを充分に満たしてくれるものでした。
詩なんて女の子の書くものだ!と言っていた男の子・ジャックが、先生との
やり取りを通して、どんどん、詩にハマッていく姿は、とても愉快で、温かい気
持ちにさせてくれました。

-------------------------------------------------------------
もうすぐ、息子の卒業式。
最後の個人面談で、2年にわたり、詩を通して、自分を表現することを教えて下さった
担任の先生にお礼を言いました。
個人面談で、絶対に伝えようと思っていた感謝の言葉。こんなこと、あんなこと。
けれど、先生のお答えは、とてもショックなものでした。
「残念ながら、そう言って下さる保護者の方ばかりでは、ないのですよ。」

「先生は、詩や絵にばかり、力を入れるのですね。」という抗議が、あったとのこと。
それよりも、算数などの授業に時間を割いて欲しいと思われる親御さんが、多いとのこと。
そのため、6年生になってからは、書かせる場面を、極力少なくしたとのこと。
知らなかった・・・・・。
詩を書く機会が少なくなったのは、息子が、残念がっていたから知っていたけれど
それは、行事が忙しくて、時間がとれないだけなのかと思ってた・・・

保護者からの抗議で、教育方針を変えていくことについては、先生に対しても、色々と
思うところがあるのだけれど、こういうご時勢だからと、お気の毒に思ったり・・・・
でも、「何故?」ばかりが、心に残ったままでした。

--------------------------------------------------------------

詩を書くときに、一番必要なのは、自分の心と向き合うこと。
自分の中の悲しみや喜び、気づき、美しいと思う気持ち、時に人を憎む気持ち。
そんなものと、正直に向き合う。それこそ、生きる力の源だと思うのです。
でも、それは、
反対する親御さんの考えと同じように、一個人の抱く、一つの考え方でしかない・・・。
保護者面談の日から、悲しい気持ちが、心の中に、ずっと残っていました。
そんな私に、この本は、エールを送ってくれているようでした。
ジャックなら、こんな風に言ってくれるだろうか?

「そういう考え方、たぶん、間違ってないと思うよ。うん。たぶんね。
だってさ、詩のおかげで、僕の犬は、いつまでも、大好きな僕の犬でいてくれるんだから!」

---------------------------------------------------------------
私の中で、子どもの詩と言ったら、何と言ってもこの本!
この本が、もっともっと、有名になったら、
「先生、子どもに詩を書く喜びを教えて下さってありがとう!」と言ってくれる親御さんが
増えるのではないか?と、密かに思っているのだけれど・・・・・駄目かな。



『たいようのおなら』 灰谷健次郎 編  長新太 画


『スカイラー通り19番地』

2009-02-23 23:48:34 | わたしの読書


『スカイラー通り19番地』 E・L・カニグズバーグ作 金原瑞人訳

この物語の登場人物たちは、とにかく個性的で、魅力的。
犬のタルトゥーフォさえ、こんなにも愛しいなんて!
主人公はもちろんだけれど、そのおじさん達の魅力は、主人公をしのぐほど。
アレックスとモリスおじさんのことを思うだけで、胸が一杯になってしまいます。
こんな風に年をとりたいな。。。こんなおじさん達が、となりに住んでいたら嬉しいな。
何度もそう思って、ああ、塔の下に立つことが出来たら・・・と、ため息をつきました。

正直に言えば、塔の存続のあり方が、ちょっとだけ不満・・・だったかな。
できたら、塔は、ずっと、おじさん達の傍にいて欲しかった。
塔をめぐる戦いの展開も、もう少し、じっくり、ゆっくり読んでみたかった・・・かな。

けれど、それを差し引いても、面白い作品でした。

なんと言っても、私には、もう一つ、別のお楽しみがありました!
それは、『ムーンレディの記憶』の登場人物たちの、もう一つの物語を読むこと。
『ムーンレディの記憶』の面白さを、持っていかれるという難点はあるけれど、
この、繋がっていくドキドキ感は、たまらないものが!
これこそ、前後逆に読んだ甲斐があったというもの・・・・・・・かな。

そうそう、表紙の薔薇が、あまりにも毒々しくて、最初、気に入らなかった
のだけれど、本をとじるときは、この表紙が、とても好きになっていたということも
追記しておこうと思います。

-----------------------------------------------------------
私が、この本が好きな理由は、たぶん、初恋の話が好きなことと、ものを作る人が
出てくること。そして、心に残る言葉を見つけたこと。
この本を宝物にしてくれた言葉。きっとこれからも、何度となく思い出すだろうと思います。
忙しくて、周りが見えなくなってしまうようなときには、きっと、立ち止まって
深呼吸して、この言葉を思い出そう。

「よく塔を作る時間がありましたね?」ジェイクがいった。
「いそがないことだ。」アレックスおじさんがいった。「そうすれば時間ができる。」


『ムーンレディの記憶』

2009-02-20 11:31:58 | わたしの読書


『ムーンレディの記憶』 E・L・カニグズバーグ作 金原瑞人 訳

この物語、そろそろ80歳迎えようかという作者・カニグズバーグさんの作品なのだそうです。
びっくり!80歳ですか!
ストーリー展開と言葉のスピード感は、少しも衰えることなく、いえ、以前読んだもの
より、アップしているような印象さえ受けました。

転校生のアメディオは、ウィリアムといっしょに、風変わりなゼンダー夫人の大邸宅
で家財処分の仕事を手伝ううちに、モディリアーニのヌード画を発見する。
ところがその絵には、過去から現在にわたる驚くべき真実が隠されていた。
(本書カバーより)

絵画を元にした謎解きは、『クローディアの秘密』を思い出させてくれました。
ナチスの歴史を絡めた謎解きは、とにかく、面白い!
それに、ゼンダー夫人の魅力的なことと言ったら!一番のお気に入り人物となりました。

とてもとても、面白くて、夢中になって読みふけったのだけれど・・・・・
(まさに、暇さえあれば本を開いておりました)
実は、あとがきを読んで、登場人物の何人かが、前作『スカイラー通り19番地』に
登場していることを知り、続けて『スカイラー通り・・・』を読んでしまった私。
これが、また、とても面白くて・・・・私の中では、『スカイラー通り・・・』に、押され気味の
『ムーンレディの記憶』となってしまいました。
これから読まれる方は、是非、順番通りに読まれることをおススメします。


『詩の好きなコウモリの話』

2009-01-19 15:05:30 | わたしの読書
『詩の好きなコウモリの話』
ランダル・ジャレル(著), モーリス・センダック(絵), 長田 弘(訳)

12月に読んだ本。
長田弘さんは、ご自身の詩集とともに、多くの訳も手がけておられるようです。
同じ詩集を読み返すばかりで、ちっとも新しいものに手がだせないでいる私。
今年は、もっともっと、読んでみたい作家さんデス。
(小川洋子作品を全部読む!という目標も、今年に持ち越しています)

題名から、哲学的な物語をイメージしていたのだけれど、全く違っていました。
特に、ラストが最高に好き。
良い意味で、裏切ってくれた本でした。

この本を読んで思ったこと。
この世界には、なんと愛すべきモノたちが暮しているのだろうということ。
その輝きは、すなわち、地球の輝き。
そして詩は、地球上のすべてのものを、もっと、もっと、輝かせる力を持っている。
いやいや、もしかしたら、その営みそのものが、詩なのかもしれない。

この世界の「ありとあやゆるモノ」たちが、全身で歌っている詩。
それを、もっと感じられる人になりたい。
もっと、もっと、それらに耳をすます時間と心の余裕を持てる人になりたい。
そして、死ぬその日まで、詩をうたっている人になりたい。

『急行 北極号』

2009-01-16 14:32:41 | わたしの読書


『急行 北極号』 クリス・ヴァン・オールズバーグ 村上春樹訳

教えて頂いてから、少しずつ、図書館に通って読み続けたオールズバーグ。
その独特の世界は、あっという間に、私を虜にしてしまいました。
今、集めているカリジェが揃ったら、次は、オールズバーグと、密かに心に決めています。
けれど、この、「クリスマス前には、必ず、本屋さんに平積みされている本」だけは、
まだ、一度も手にとったことがありませんでした。
それは、地元の図書館で、他のオールズバーグの本は、すべて書架にしまわれて
いるにも関わらず、この本だけが、他の絵本と一緒に、前に並べられていたからかもしれません。
・・・・・・・・・・私って、あまのじゃくだから

先月、息子への父母からのクリスマスプレゼントとして、我が家にやってきた、この本。
皮肉にも、我が家のオールズバーグコレクション、第一号になりました
クリスマスから年末にかけては、とても、新しい本を開く余裕なんかなくて、
お正月も終わった3連休の中日、ようやく、ようやく、この本を読みました。
私が読んでいるのを見たら、プレゼントされたことなど、すっかり忘れていた息子が、
あわてて、追いかけるように本を開きました。

まるで、運命だと思いました。
息子が、サンタからの最後のクリスマスプレゼントを受け取った年にふさわしい、
だからこそ、読んでほしい本でした。
最後のページを読んだ時の、こみあげてくる気持ち。
自分でも、どうしてよいのかわからなくなる程でした。
「今、出会うべくして出会った本」という感覚は、きっと、本好きの人なら、一度は
味わったことがあると思うのだけれど、まさにこの本は、私と息子にとって、
このクリスマスに出会うべき本でした。

もちろん、北極号に乗れるチャンスが、まだまだ、残っている子ども達にとっても、
この本は、きっと、素晴らしい一冊になることだろうと思います。
そんな子ども達は、息子とは、違う感動に出会えることでしょう。
色々な子どもたち、色々なサンタとの思い出を心に持った、かつての子どもたちが、
それぞれの想いをのせて、読むことが出来る一冊。

一度読んだら、やめられなくなって、ちょっとでも時間があるときには、パラパラと
めくって再読している様子の息子。オールズバーグの本は、まるで、麻薬です。
私は、その麻薬の余韻に浸りながら・・・・・・・・・・
今もなお、サンタの鈴の音を聞くことができる息子に、ちょっとだけ、嫉妬している
ことに気が付きました。


『まいごのどんぐり』

2009-01-08 14:32:24 | わたしの読書

『まいごのどんぐり』 松成 真理子

と一緒に通っている「わらべうたの会」の、やんちゃ坊主くん。
いつもいつも、娘を虜にして離さないその男の子が、ある日、先生に呼ばれました。
「ねえ、ポケットに入っている、その素敵なもの、みんなにも見せてくれない?」
入っていたのは、朝、食べてきたという柿の種(果物の)。
「秋は、果物が美味しいよね。」先生が言うと、
「これはね、すごく美味しい柿に入ってた種だよ」と、得意気の男の子。
その顔が、きらっきらに輝いていて

子どもって、種とか、実とか・・・・・・そういうものが大好き。
小さかった息子も、びわの種とか、柿の種とか、もちろん、どんぐりも
いつも、ポケットに入りきらないほど、持ち歩いていたっけ。

この本を読んだとき、その時の、あの男の子の「とびっきりの笑顔」を思い出しました。
そう、これは、そんな子どものバックから、転がり落ちてしまった「どんぐり」の話なのです。
なくしてしまった「どんぐり」は、一体、どうなるの
とても温かく・・・・・・・壮大なラストシーン。

子どもを育ててくれるのは、たくさんの温かい人の手であり、眼差しであり、
でも、それだけではありません。
この世界のすべてのものが、子どもを見守り、育ててくれているのですね。
当たり前のことなのに、ついつい、忘れてしまいがちです。
私だって、そうやって見守られながら、大きくなったのです。
故郷の海や、山や、校庭の桜の木。毎朝、裏の林で鳴いていた山鳩。
本を読み終わった後、世界のすべてが、愛おしくてたまらなくなりました。

でも、これを、現在進行形の子どもは、どう読むのだろう?
読み終わった時、同時に、そんな無粋なことを考えました。
けれど、可愛らしい絵に大きな字。とても、息子に読んでみてとは言えません。
ところが・・・・・・・・・
友だちと図書館に遊びに行くという息子に、この本の返却を頼んだとき、
思いがけず、この本の話を息子とすることができました。

「ああ、どんぐりが迷子になる本ね。」
「読んだことあるの?」
「ああ、この本の受け取りを頼まれたとき、帰り道に読んだ。」

あれまあ、この「低学年向き」と帯がしてあるような本を、よくもまあ、抵抗もなく
友だちの前で読んだわねえ、あなた。
相変わらずの息子くん。でも、なんだか嬉しくなって、珍しく、本の話をしてしまいました。

「ねえ、息子くんのポケットのどんぐりも、あんな風に、今頃、大きな木になっている
かもしれないよね。」
「いや、それはない。」
「(即答したな、オマエ!)どうしてよ。もしかしたら・・・・・」
「オレのポケットのどんぐりはね、すべて、次の日には、車にひかれてバラバラになりました。
ちゃんと確認したから、間違いない!」
「・・・・・・・・・・。でもそれは、最近の話でしょ。幼稚園の頃に拾った、どんぐりは・・・」
「あのさあ、現実はね、そんなに、甘くないんだよ。物語とは、違うんだからね。」

あー。はいはい。そうですね。
全部が大きな木になったら、地球がどんぐりに支配されちまうんですもんね。

でも・・・・・・・・・
君がお父さんになって、自分の子どものポケットにどんぐりを見つけたら、きっと、
君は、思い出すんじゃないかな。この本のことを。
君を大きくしてくれた、この素晴らしい地球のものすべてのことを。
そうやって、いつか、息子の心の中で、この物語が紐解かれる日を想うのは、
とても嬉しいことで、本って、やっぱりいいなと思ったのでした。


『魔女になりたかった妖精』

2008-11-13 23:42:32 | わたしの読書

『魔女になりたかった妖精』 
                        カルル・クヌート絵 ブリジット・ミンヌ文 目黒実 訳

子どもは、親の人形ではない。
親の価値観を、決して、子どもに押し付けてはいけない。

もちろん、頭ではわかっているし、そうしないようにと、自分にブレーキをかけたり
するけれど、でも、やっぱり・・・・・・レールに乗せようと頑張っている母が、ここにも一人。
それは、子どもを愛しているからこそで、どうか、将来、困らないようにとか
苦労をさせたくないとか、そこから生まれてしまうものなのだけれど、でもそれは、
やはり、親のエゴなのだろうな。

上品でお行儀よく、優雅な妖精。
けれど、妖精の女の子ローズマリーは、魔女になりたいのだと言うのです。
もちろん、ママは反対し、それなら魔女の森に一人でお行きと言い放ちます。
すぐに逃げ帰ってくるかと思った娘が、魔女の森で、たくましく暮して
いると知った
ママの戸惑い、驚き、悲しみ・・・・・・・・そして、気づき。
絵本を広げているママもまた、同じように、胸が痛みます。
大人であり、親である、絵本のこちら側のママは、思います。
「これは、絵本だから。世の中、こんなに甘くは、ないよね。」と。

でも、甘くなくても、それを選んだのは自分自身。それには、変わりないのですよね。
本当の愛情とは、例え、魔女たちに、ボロボロにされて逃げ帰ってきたとしても、
「お帰りなさい。」と、笑顔で言えることなのかもしれない。
かもしれない。かもしれない。でも・・・

母の心の葛藤は、そうやって、終わりが見えないようです。
そしてまた、ローズマリーのように、自分で選んだ道を、ずんずんと歩んでいける子
ばかりでなく、自分を殺してまでも、親のレールに乗る子もいるのだろうなあと思うと、
また、母の葛藤は、深い森に迷い込むようです。

でもどうか、この葛藤だけは、忘れないようにしようと思う。
何よりも尊く、何よりも強い、「愛情」という大きな力。しかし、その大きさ故に
一番大切なことを見失ってしまうことが、きっとあるはずだから。
自分の愛情が、間違った方向を向いてはいないか?
そんな風に、冷静に自問自答する時間が、もしかしたら母親には、必要なのかもしれない。
愛が大きすぎるが故に。

何より、絵が美しい絵本でした。ローズマリーの服の色が好き。
ピンクは、女の子のために選ばれた色なのだそうです。(長田弘「記憶のつくりかた」より)