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ぼちぼち日記

大切な日々のこと

『長い冬休み』

2009-11-17 13:22:13 | わたしの読書
 『長い冬休み』 アーサー・ランサム

シリーズの他の巻に比べて、随分、薄い本だなあ~というのが、最初の感想だったのだけれど(笑)、
途中で、何度も、他の本に浮気してしまったことが祟って、またまた、長い読書になってしまいました。
浮気したからと言って、決して、面白くなかった訳ではないのです。
いつ、この本に戻ってきても、同じように物語は魅力的に流れていたし、ここに戻れることが嬉しく、
なんとも心地よく感じられた・・・そんな読書でした。

冒険は、いつだって緊張の連続なのにも関わらず、物語は、変わることなく、ゆるやかに流れていくのが
いつもながらの驚きです。
普通、緊張する場面を読むときは、時間が早く流れていくものだけれど、全く、変わらないのです。
だからこそ、いつでも、安心して戻って読めるんだろうなあ・・・。
前の巻のときも書いた気がするのだけれど、子どもたちの体験する時間の流れ、そのものが、この物語
の時間の流れだなあと、つくづく、思わずにはいられません。
本当に、素晴らしい!
私には、一つの冒険に区切りがつくと、ついつい、他の本に浮気してしまう悪い癖があるのだけれど、
それでも、嫌な顔一つせず、ちゃんと読者を迎え入れてくれる懐の深さにも、いつもながら、感謝。
そういう本に出会えたことにも、あらためて感謝。(ことり文庫さん、ありがとう!)

さてさて、物語は、ツバメ号とアマゾン号の乗組員に、新しい仲間が加わるところから始まります。
冬休みを過ごすために、都会からやってきた、D姉弟。
ツバメ号の乗り組員たちも、長期休みに、街からやってくるのだけれど、D姉妹は、正真正銘の街っ子で
自然の中で遊んだことが、全くない子どもたち。
そんな姉弟の冒険、とりわけ、迷子の羊を助け出す冒険や、北極圏をめぐる冒険は、思わず手に汗
にぎる緊張感で、ハッと気が付けば、ページがよれていることもある位のものでした。

一歩ひいて考えると、とてつもなく無謀で、一つ間違ったら死んでいるかもしれない!と、大人なら、
眉をしかめたくなるのだけれど、「いいじゃないの。冒険は、これだから冒険なのよ。」と、笑顔で頷いて
しまうのが、このシリーズなのですよね。
今回、リーダーのナンシイが、おたふくかぜのために、家から出られなくなったという設定も、最高に愉快でした。
彼女の描いた暗号?絵?には、私も、子ども達と一緒なって頭をひねらせてもらいました。

そして、何より嬉しかったのが、舞台が、いつもの湖だったこと。
もちろん、海の冒険を描いた前の巻も面白かったのだけれど、やっぱり、湖が舞台の方が、私も好きなようです。
この静けさや、空気の清清しさは、やっぱり、湖だからこそ。。。いいです。
本気で、深呼吸したくなるんですよ。本を読みながら。

残念なことを一つあげるとすれば、ティティとロジャの存在が薄かったこと。
他のメンバーは、主役をD姉弟に譲ったとしても、ちゃんと、自分で考え、悩み、葛藤する場面が出てくる
のだけれど、この二人に関しては、その内面までが伝わってくる場面が、皆無でした。
それが、ちょっと残念。もちろん、これは、ティティ・ファンとしての意見なのだけれど。
次の巻は、是非!と思いながら、また、少し浮気してから、もどる予定です。

家族で読む、アーサー・ランサムシリーズ。
息子は、二巻先へ(またまた、この分厚い本を中学校に持って行きました)、旦那は、一巻先(こちらも、
相変わらず、どんなに疲れていても、毎晩少しずつ読むというパターンで)。
私は、ビリの位置をキープしながら、他の本に浮気しつつ・・・のスタイルで、ゆっくりと進んでいます。

『猫を抱いて象と泳ぐ』

2009-11-09 13:35:42 | わたしの読書

猫を抱いて象と泳ぐ  『猫を抱いて象と泳ぐ』 小川洋子

小川洋子さんの短編を読んだばかりのところで、どういう訳か、ずっと前に予約していた、この本が届く。
すっかり、小川洋子の一週間。
他に、ずっーと前から読んでいる本があるのだけれど、またまた、後にまわして読み始めた。一気に。
たった2日のお楽しみ。途中で、本を閉じることなど、到底できなかった。
(久しぶりの午前さま。翌朝のお弁当からは・・・おかずが一品消えました)

小川洋子さんの長編を読んでいるとき、いつも感じるのは、空気の清清しさ。
どんなに悲しいストーリーでも、その清清しさと、秋の日のような、凛とした空気のハリ、軽さが、私を支配します。
この本には、特に、そのことを感じさせられました。

もし、あらすじだけを追ったとしたら、あまりに、悲しすぎるし、切なすぎる物語。
主人公に想いを馳せ、何度、涙を流したでしょう。
ラストに至っては、何度考えても、もっと違うものであって欲しかった。
でも、最後の一行まで、その空気の清清しさは、変わることなく私を支配していました。
 どうしてなのだろう?本をおいてから、何度も考えました。

それはきっと、主人公の「チェス」に対するひたむきな想い、誠実な想いのせいなのでしょう。
これが、最後まで、絶対に揺らぐことがなかったからこそ、その空気は、変わることがなかったのだと思うのです。
博士・・・のとき、それが「数式」であったように。
そのひたむきさ故に、一般的に考えれば、悲しい人生を歩むことになる主人公。
それが、そういう世界を手に入れることができた、主人公の宿命だったとしたら・・・・・・。
そう思うと、また、切なさに胸が痛くなります。

物語は、現実とは、少しだけ離れた世界・・・別の世界の話のように感じられ、それは、はじめ、私に
いしいしんじの世界を思い出させました。
でも、いしいしんじの物語が、どこへ行き着くのか、全く予想がつかないのに反し、この物語は、
はっきりと、どこかにたどり着くのだという意思が、全編に流れていたように思います。
はりめぐらされた、多くの伏線。
一つ一つが、全く、関係性がないように思える、この変わった「題名」もまたしかり。
(今では、これほどピッタリの題名はないと、心から思います)

立方体のゴンドラが、行き違うことがなかったら、どんなにか素晴らしかっただろうと思うけれど、
主人公が、もっと違う選択をして、もっと、普通の幸せを手に入れたって良かったのにと思うけれど、
それでもなお、最後の最後まで、ピュアな気持ちを抱いたまま逝った主人公を、幸せだなあと思わずには、いられません。

生きるって、とても素敵なことなんだな。
悲しすぎる結末を読んでも、なお、そう思える、不思議な物語。
終わりゆく秋の読書にピッタリの、素晴らしい一冊でした。

『完璧な病室』

2009-11-02 14:07:41 | わたしの読書

『完璧な病室』 小川洋子

博士やミーナのような作品も好きだけれど、やっぱり、「これぞ、小川洋子!」と唸らせる
この本のような、作品が好き。いや、大好き。
はじめて、この方のエッセイを読んだとき、小川洋子という人が、あまりに普通の、素敵な女性なのに
驚き、違和感を抱いたのを覚えています。
以来、エッセイを読むときには、必ず、自分に「これは、エッセイだぞ!」と言い聞かせているのです(笑)
もちろん、エッセイだって面白いのですが、小川洋子さんが、私と同じ普通の世界に住んでいることが
どうしても、自分の中で消化できないのです。

それくらい、小川洋子さんの こういう作品が好き。この文体。素晴らしい。
グロテスクで、官能的で・・・・・。
読んでいるうちに、誰も知らない遠い場所に、たった一人、閉じ込められてしまったような感覚に、
襲われます。無機質な空間に、たった一人、閉じ込められたような・・・。
恐ろしくて、気持ちが悪くなって、何度も本を置きました。

本を置いたら置いたで、今度は、自分の身の回りのものを、小川洋子風に言葉にしたくなる自分が
いて、途中で、そんな自分に気づいて、おかしくなりました。
例えば、部屋の隅の埃とか、暗くなった電球とか。
そんなものが、とてつもなく重大で、何か秘密を隠し持っているように思えてくるから不思議です。

児童小説の合間の読書には、ちょっと、毒気が強い一冊でした。
でも、本当に面白かった。

死病におかされた弟を看病する姉の話『完璧な病室』と、認知症を患った親代わりの祖母を
施設に入れる女性の話『揚羽蝶が壊れる時』の二話が、収録されています。
劇的なストーリーがあるわけではない。本当に、ただ、それだけの話。
でも、人の心理を揺さぶるのに、劇的なストーリーは必要ないのです。


『ヤマネコ号の冒険』

2009-09-09 00:09:05 | わたしの読書

 『ヤマネコ号の冒険』 アーサー・ランサム

長い、長い読書。読んでも、読んでも、終わらない。
でも、それが、なんと嬉しいことか!!!
遅々として進まない読書が、まるで、ヤマネコ号の乗組員と、航海を共にしている
ような、気にさせてくれるから不思議です。
一度も飽きることなく、ちょっとした時間を使って、大切に、コツコツと読み続けました。

この本で、ツバメ号とアマゾン号の乗組員は、はじめて海に出て行きます。
本物の海。本物の宝探し。本物の海賊!!!
乗組員たちの夢の物語が、現実のものとなるのです。

この巻で、一番印象に残ったのは、ナンシイ。
今までは、威勢が良くてムードメーカーだけれど、ちょっと強引なイメージが強かったナンシイ。
でも、この旅でのナンシイは違います。
船酔いする弱いところも、ちょっと見せてくれるし、ジムおじさんの気持ちを代弁したり、
気持ちの良いリーダーシップを見せてくれるシーンも、多々アリ。
ツバメ号は、ジョン船長の船だということを尊重し、気持ちよく身を引くシーンは、
一番好きなシーンになりました

それにしても、前の二巻とは、かなり毛並みが違う物語に、ランサムの大きさを痛感します。
なんといっても、これだけの長さを、一章たりとも飽きさせずに読ませるのだから
すごいです。
ああ、全集を揃えて良かった!

ただ、長い読書だったせいもあって、ただ今、喪失感に襲われて、次の巻に進む気になれず。
困りました
天気予報によると、明日から、秋の気配なのだそうですね。
読書の秋到来。ブログに記録も書いたし、そろそろ、次に進みましょうか。

 旦那さまは、ただ今、読み損ねていた一巻をコツコツと読んでいます。
毎晩、どんなに仕事で疲れていても、コツコツと一章読んで寝ます。
夢中になると明け方まで読みふけり、読まないときは、一ページも読まない私とは、
対照的な読書方法。こんなところにも、性格って出るんだなー。
それにしても、本嫌いの旦那をも虜にするランサム。やっぱり、すごいです。


『機関銃要塞の少年たち』

2009-08-06 13:02:46 | わたしの読書

『機関銃要塞の少年たち』 ロバート・ウェストール作・越智道雄 訳

子どもの頃、戦争に関する本を、漁るように読んだ時期がありました。
小学校の高学年の頃から、中学生の頃。
小学校の図書館に置いてあった、日本を舞台にした戦争の物語を読みつくし、『ベトナムのダーちゃん』
から、今度は、外国の物語にうつっていきました。そして、出会った『アンネの日記』。母が、買ってくれました。
たしか?たぶん・・・このとき、『聖書物語』という本も、買ってもらったのです。

「お母さんは、キリスト教徒ではないけれど、聖書は、そうでない人も、一度は読んでみるべき本だよ。」

本を買ってくれた時の「その言葉」以外、一切何も言わなかった母の姿勢には、今更ながら関心します。
だからこそ、その言葉が、今でも、心にやきついているのでしょう。
(もしかしたら、その後のことなんて、ちーっとも感心がなかっただけかもしれないけれど・笑)


さて・・・。ユダヤ人という言葉も、ヒットラーという人も、その時、はじめて知りました。
(もしくは、聞いたことがあったけれど、全然知らなかったか。)

その史実は、私にとって、まさに衝撃。それからは、児童用の本では足りないと、町の図書館に通って、
歴史書を借りたのでした。まるで、とり付かれたようだった・・・怖い、女子中学生(笑)


そして、同じ位の年になった我が息子。
夏休み。せっかく本を紹介するのなら、一冊ぐらい、戦争の物語を紹介しても良いかも・・・と思いました。
そして、この本を手にとったのです。けれど、結局、紹介することは出来ませんでした。
あまりに、苦々しい読書感だったから・・・。それほど、リアルな物語だったのです。
じっくり、腰を落ち着かせて読んでほしい。感想文なんて、足かせのないときに。
・・・・・・・・・・・それが、今の気持ちです。


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子どもは、なんと傷つきやすく、なんと、たくましいのだろう。
物語の舞台は、第二次大戦下のイギリス。
自分の頭の上を、敵機が爆弾を落としながら飛んでいき、よく知っている町の人たちが死んでいく。
そんな生活の中にあっても、子どもたちは、絶望するどころか、生き生きと、たくましく、駆け回ります。

印象深かったのは、敵兵(少年たちの捕虜)ルーディと、子どもたちが、心を通わせていく場面。
同じ人間同士が殺しあう・・・。戦争とは、なんと虚しく、馬鹿らしいものか。
ルーディと子どもたちの友情を目の当たりにして、あらためて思わされます。
そして、一番、心に残った場面。
ドイツ兵が上陸してきたという誤報により、町中の人々がパニックを起こす中、子どもたちが、親の傍に
とどまることを選択せずに、自分たちで作り上げた要塞に集まる、ラストシーン。

一体、大人は、自分たちを守ってくれる存在なのだろうか?
敵の大群(そう思い込んでいる)を目の前にして、子どもたちが、自問自答するシーンは、あまりに衝撃的でした。
その通り。だって、この戦争を始めたのは、大人なのだもの。
何のメッセージも掲げない(たぶん、あえて掲げない)この物語において、それは、唯一と言ってもよい、作者からのメッセージのようでした。

敵兵だと思い込んだ軍隊の中に、自分の親や先生の姿を認めながらも、向けた銃口を下ろさない子どもたち。
彼らを立ち止まらせたのが、誰でもなく、敵兵のルーディだったという事実。
ラストシーンは、深く、深く、私の心の中をつきぬけていきました。
戦争の悲惨さや、反戦を訴えるような言葉が、一つとして出てこない戦争の物語。
子どもたちが、全くもって可愛そうでなく、逆に、生き生きと描かれていることが、なおさら、戦争の愚かさと、悲惨さを浮き彫りにします。

戦争という歪んだ世界の中で、狂気ともいえる遊びを作り上げる子たち。
子どもたちの一途さが、どうか、平和な世界の中で、別の方に向かう世の中であって欲しい。
子どもたちが、武器を集めるのをやめる日が、来ますように。


『ビーバー族のしるし』

2009-07-11 13:02:27 | わたしの読書

『ビーバー族のしるし』エリザベス・ジョージ・スピア こだまともこ訳

少年をテーマに読み進めてきましたが、ここまできて、一つの結論に達しました。
「読書感想文を書きやすい物語は、ない。書く子は、ルパンだって書く!」
そんな結論が出た後ではありますが、図書館から予約を入れておいた本が届きました。

時代は、18世紀、アメリカ。主人公は、もうすぐ13歳!!!になる少年・マットです。
父さんと、新しい土地を開拓し、丸太小屋を建て、畑を作ったマット。
そして、その日がやってきます。
父さんが、街に残してきたかあさんと妹、それから、生まれているはずの赤ちゃんを迎えに
行くのです。マットは、トウモロコシ畑と炉の火の守をしながら一人残ることに・・・。
たった一人、開拓地の森の中で暮すことになったのです。

マットは、家を守るという仕事をこなしながら、父さんとの約束の日を待ちます。
そんなある日、飢えに耐えかねて、「みつばちの巣」に手を出してしまうマット。
襲い掛かるミツバチから助けてくれたのは、二人のインディアンでした。
インディアンの長、サクニス老人と孫のエイティアン。
老人はマットに、孫に白人の文字を教えてくれるように頼みます。そのかわりに
毎日狩の獲物を届けよう、と。

マットは唯一彼が持っていた本「ロビンソン・クルーソー」を教材に使い、勉強をはじめます。
けれど、白人を敵視するエイティアンとの距離は、なかなか縮まることがありません。
インディアンは白人たちにとって、自分たちよりも劣る野蛮人。
そういう価値観の中で育ったマットにとって、誇り高く、森で生きていく智恵を備えた
少年エイティアンは、衝撃でした。

食べる分だけの動物しか獲らない。殺したものは、必ず、役に立てなければならない。
小さい魚は、逃がす。子どものいる動物の雌は殺さない。
その一つ一つが、マット、そして私の胸を大きく揺さぶります。
なんと言っても、一番感動的なのは、マットが、エイティアンとの別れを前にして、
ずっと、聞きたくて聞けなかった一つの質問するシーン。
マットは、白人達がインディアンの土地を奪っているのではないか?もしかすると
自分たちがお金を出して手にいれた、この土地も、実は、エイティアン達のものだった
のではないのか?と、考えていたのです。
その質問に対するエイティアンの答えには、涙せずにはいられませんでした。

私たちは、なんと愚かなのだろう。
地図に線を引くことでしか、自分たちを守れなくなった人間は、その他の「自分を守る術」を、
すべて捨ててしまったのかもしれません。
それならば、今、私は、この地図を捨てることが出来るだろうか?
出来ないのなら、何が出来るのだろう?そんなことを、何度も考えました。
そしてなにより、全く違う価値観を持った者同士が、そのままの自分を大切にしながらも、
理解し合え、尊敬し合えるという物語に、深い感動を覚えずにはいられませんでした。

最初、サニクス老人が、食べ物と引き換えに、孫に文字を教えて欲しいと頼むシーンを読んだとき
白人たちが、インディアンが字を読めないことを良いことに、自分達に都合の良いように
契約書にサインをさせることを憂いての申し出だと、信じて疑わなかった私ですが、最後の
旅立ちのシーンを読んでから、あれは、ただ、マットを助けるための申し出だったのではないか?
と考えるようになりました。
老人は、当たり前のこととして、13歳のマットのプライドを守ってくれたのではないか?
そんな気がしたのです。

お互いがお互いのまま、尊敬しあえる世界。
13歳の少年達の物語に、この世界の明るい未来を思わずにはいられませんでした。

感想文はともかく、是非とも、息子に読んで欲しい本。本日、注文です。


『風をつむぐ少年』

2009-07-09 13:13:58 | わたしの読書

 『風をつむぐ少年』 ポール・フライシュマン著/片岡しのぶ訳

息子からのリクエストにより、中学生の子が楽しめそうな本をテーマに、読んでいます。

主人公のブレントは、17歳。
車で自殺を図り、自分が死ぬ代わりに、見知らぬ少女を殺してしまいます。
遺族が、償いのためにして欲しいと言ったのは、アメリカ大陸の4つのはじっこ
に、娘の《風の人形》を作って立てること。
両親の反対の中、ブレントは、バスに乗って旅立ちます。

体裁ばかり気にして、生きてきたブレント。
旅の中で、ブレントは、自分の内面と向き合い、成長していきます。
そして、本当に大切なものを見つけるのです。
その成長の過程が、とても自然で、さりげなく、とても心に染み入りました。

ただ、(亡くなった)少女との出会いが、ブレントに新しい人生を切り開かせてくれた
のかもしれないというような、ラストの言葉には、正直、違和感を感じました。
それは、私が信仰をもたないからかもしれません。
その言葉を遺族が言ってくれたなら、こんな違和感は、抱かなかったかもしれません。
たしかに、そうなんだけど。そうなんだけど!・・・って。考えすぎかな、私(笑)

そうそう、ブレントの旅の物語の中に、彼が立てた《風の人形》の別の物語が織り
込まれているのが、とても良かった。
それは、それぞれの場所で、《風の人形》を見た人たちの物語。
こういう、何かを接点にして、全く違う世界に生きる人たちが結ばれていく物語って
とても好きなのです♪

人形が、見知らぬ人たちの心を癒し、救いを見出したりすることで、少女の死が、
永遠に、誰かの『生』と結びついていくというメッセージなのかな・・・とも思いましたが、
色々と詮索するのはよして、素直に、この清清しい風を受けようと思います。
どんな孤独な人だって、必ず、どこかで、自分の思いもよらぬところで、誰かと繋がっている。
こういう物語を読むと、いつもそのことを考えて、それだけで、心が温かくなるのです。
ああ、前を向いて、生きていこう!って思うのです。


『殺人者の涙』

2009-07-01 12:48:00 | わたしの読書

『殺人者の涙』 アン=ロール・ボンドゥ 伏見操(訳)

読んでいる間中、ずっとずっと、孤独や悲しみ、虚しさに占領され続けた。
まさに、地の果てのような深い絶望の穴に、心が、飲み込まれてしまったかのようだった。

物語の舞台は、チリの最南端、太平洋の冷たい海にノコギリの歯のように食い込む地の果て。
誰も寄り付かないその土地に、ひっそりと暮す家族の元に現れたのは、
「天使(アンヘル)」「歓喜(アレグリア)」という名前の殺人者だった。
殺人者は、ただ、逃亡の旅を終わらせたいという理由だけで、いとも簡単に、
そこに暮していた夫婦を殺してしまう。残された息子・パオロ。
自分の年さえ知らない男の子が、生きるために選べる道は、たった一つ。
その両親を殺した殺人者と暮すことだけだった。。。

あまりに強烈な始まり方。
パオロへの愛情から、変わっていくアンヘルの心を、喜びを持って受け取ることすらできない
「虚しさ」が心を支配して、荒れ果てた荒野をさ迷い歩いているような読書だった。
途中、警察に追われるアンヘルとパオロが、きこりのリカルドと出会い、希望と、人間の生きる意味を
悟る場面に辿りついたときですら、その虚しさの霧は、晴れることがなかった。
そして、やはり訪れる悲劇。
なんと、救いのない物語だろう。。。リカルドの死を読んだとき、絶望の淵に突き落とされたような
気持ちになり、どうして、パオロは、あの時、海に飛び込まなかったのだろうかとさえ思った。

ところが、最後に、物語は一変する。
始まりからずっと、モノクロのイメージで、色も音もない世界だった物語が、最後、
大人になったパオロが、一人で、その地の果ての家に戻ってきたところで、一変するのだ。
送られてきた色とりどりの葉書、絨毯、洗いたてのカーテン、ろうそく。そして、本棚。
物語は、突然、色を身にまとい、温かい湯気を感じさせる。そして、流れるバッハ、こぼれる詩。
誕生した、小さな「天使」と「歓喜」。

最後の3行を読んだ瞬間、この物語のすべてを理解できたような気がした。
それは「、アンヘル・アレグリアという殺人者もまた、神の子だった」それを、心から理解できた瞬間。
突然、涙が溢れ、しばらく、涙が止まらなかった。
最後の3行で涙するという、なんともいえない物語。

また、殺された両親の血の上のテーブルで、パオロが、殺人者とスープを飲むシー
ンが強烈で、そのシーンを読んでから、ずっと、その画像が胸に突き刺さったままで
いたのだけれど、ラストで、それが、きちんと引き抜かれたことも印象的だった。
本当に、素晴らしいラストだ!

実は、このラストにたどり着くまで、
「たしかに、とても面白いけれど、どうして、こんな物語がYA本なんだろう?」
と思っていたのだ。
子どもに、こんな人殺しの本を読ませるのか?救いのない物語を読ませるのか?と。
でも、ラストを読んで納得。

ただ、私が息子に紹介するなら、最後まで読み込む力が、息子に備わった時かなと思う。
この凄いラストシーンまで、きちんと読むことができるようになったら・・・。
そうしたら、読んで欲しい。そして、考えてほしい。
罪について。正義について。人間の生きる意味について。
そして、感じてほしい。
人は、変わることができる、絶対に。ということを。


『風の靴』

2009-06-26 13:16:49 | わたしの読書

『風の靴』 朽木祥

中学生になった息子が、
「中学生になっても、感想文の宿題があるんだって~」と、ウンザリ顔で言った。
「ルパンもランサムも、書きにくそうだから、何か良い本ない?」
あー。入学式が終わったと思ったら、もう夏休みなんだねー。早い、早い。

本の相談をされて、正直、嬉しい母。
でもね、感想文が書きやすそうな本って、どんなのだろう?
逆に、ルパンとかの方が、書きやすいかも?なんて思ったりもする。
だけど、自分の好みの本以外を読むチャンス
是非、是非、紹介させて頂きましょう

そんな訳で、借りてきたのは『風の靴』。ずっと読みたかった本。
中学受験に失敗した、中学一年生の男の子の家出の話。。。
これが、ちっとも暗くなくて、清清しいのです。
主人公の悩みが、もっと身近に感じられるであろう、同じ中学一年生が読んだら、
そんな風には、思えないかもしれないけれど・・・。
そんな頃を懐かしく思い返すことができる大人には、その悩みさえが、まぶしく感じられました。

良かった。とても良かった。
読んでいる間中、そして、本を閉じてからもずっと、清清しい風を感じることができる
そんな物語でした。ラストは、涙、涙。
感想文を書きやすいか?と、問われたら、?????
逆に、主人公が近すぎて書きにくいかもしれない。
でも、おじいちゃんの残してくれた言葉が、どれも素敵で、これを読んだ夏は、
特別な夏になるような、そんな気がしました。それに・・・
まだ、裸足のままの風を感じることが出来る人が読んだら、どんな風に感じるのだろう?
そんな想いもあって、一冊目、決定デス。

あと、二、三冊読んでみたいと思っている本があるのだけれど、その前に、予約が
まわってきた『殺人者の涙』を読んでしまわなくては。
いくら待ってもまわってこない予約が、こういう時に限って、まわってくるのです(笑)
この勢いで、読了できると良いのだけれど。

息子の中学校は、今日で期末テスト終了。
昨晩、息子は「もう、頭が爆発するー!」と、闇に向かって叫んでいました。
ああ、頭が爆発する前に終わって、良かった、良かった。
中学生のみなさん、お疲れ様でした。これからの方は、頑張って下さいね。

そして、テストが終わった途端、部活です。
今日からお弁当。明日、あさっては、出稽古で、6時30分に集合だとか。
せっかくテストが終わったのに、のんびりできない中学生。
若くなければ、やってられないねー。頑張れ、中学生!
明日、5時起きの母も、頑張ります


『そこまでの空』

2009-06-24 15:43:51 | わたしの読書

『そこまでの空』 安野光雅 俵万智

俵万智さんの短歌が好き。
31文字の中に、ドキッとするような輝きがかくれている。
ハッとさせられるたび、ああ、この人の短歌は素敵だなあと思う。
正直、安野さんの絵は、イメージじゃなかった。
安野さんの絵は、もちろん好きだけれど、
俵万智さんの短歌は、写真とか、原色がパッと目にとびこんでくるような
ポップアートのようなものをイメージしていたから・・・
でも、そんな思い込みは、思い込みで終わりました。とても良かった。

『あい』という言葉で始まる五十音だから傷つくつくつくぼうし

一首目から、ガツンとやられてしまった。
さりげなく添えられた安野さんの絵が、また、良い。
そしてやっぱり思うのは、やっぱり俵万智さんの短歌が好き♪
子どもの頃からの趣味で、未だに、詩や短歌を書くのだけれど
一生のうちで、一首でも、彼女のような短歌が作れたら、どんなに幸せかなあと思う。
その短歌を一首もって、天国に渡るのになあ。(・・・行けますよね?)

男とはふいに煙草をとりだして火をつけるものこういうときに

「もし」という言葉のうつろ人生はあなたに一度わたしに一度

村上さんの小説の余韻に浸っていたくて、しばらくは、何も読まないでいようと思って
いたのだけれど、
息子に、
「夏休みの読書感想文を書くための本を紹介して~。ルパンやツバメ号じゃ、
ちょっと書けそうにないから~。」
とお願いされ、図書館に。そのために行った図書館で、手にしたのがこの本だった。
気持ちの切り替えには、ピッタリの一冊だったな。
特に、好きな歌が、記した3首。何度も、繰り返して読んだ。

さて、息子くんに、何を紹介しようかと頭を巡らせ、読んでみたかった本を何冊か借りてきた。
まずは、一冊目『風の靴』。すでに、スラスラと序盤を読み終わりました。
とても、いいです。


『1Q84』

2009-06-18 14:56:37 | わたしの読書

『1Q84』 村上春樹

なかなか、物語の世界に入り込むことが出来ず、辛いスタートの読書でした。
たぶん、雑念が入りすぎて、物語に入り込めなかったのだと思う。
雑念の訳。まず、性的描写が多すぎる。
(のちに、この物語において、大切な要素であることに気づいたけれど)
社会問題が盛り込まれすぎている。
DV、宗教、正義という名の元での殺人~あまりにも盛り込まれすぎて、何の味を
味わえばよいのか、途方にくれる。

そしてなにより、現実の社会と結びつきすぎている。
ニュースやワイドショーの話題と、あまりにダブってしまい、どうしても落ち着かない。
現存の(あるいは、していた)カルト宗教やコミューン?の名前が、頭から離れない。
あまりに、現存の団体や事件と結びつきすぎていて、そちらに気が散ってしまう。

・・・・・・・・・・。
そんな訳で、最初のうちは、物語に入り込めない自分との戦いのようだった。
もちろん面白いし、本を置こうとは思わなかったけれど、いつものように読めない
もどかしさが、自分を苦しめる。

ところが、突然、全てが、自分の中に上手く取り込まれていった。
そこが、どの場所だったのか?どうしてだったのかわからないけれど、ある地点を
境に、自分の中に取り込まれた物語が、すうっと流れ出したのだ。
そこからは、あっという間だった。そして、タメイキ。タメイキ。涙。

春樹さんの小説を読んで泣いたのは、ものすごく久しぶりのような気がする。
何かが悲しくてとか、辛くて・・・ではない。
ものすごく大切ものを見つけたときの、触れたときのキュンとした胸の痛み。
それが、涙になったような感じだ。
もしかしたら、自分でも忘れてしまっている「心の奥にしまわれた何か」に、一瞬、
触れてしまったのかもしれない。
その涙の瞬間からずっと、「私の心の底に隠れているのは、何だろうか?」
そんなことを、ずっと、考え続けている。
空気の中から、糸を紡ぎだしてみたい衝動にかられる。

性的な行為の扱われ方については、最後まで、やはり、私の価値観の中では、到底
理解できないものだったし、それに対して、違和感がなかったか?といえば、嘘になる。
でも、やっぱり、面白かった。面白かったのだから、仕方がない。

今、もっと読んでいたいという気持ちを持て余しているけれど、でも、これで良いのだと思う。
実質的にも、主婦業に支障をきたし始めていたので、この位で終わってくれないと
困ったことになるし・・・・・・・・・
煮物を少し焦がしてしまったり、平日だというのに、1時半まで読みふけっていたり。
(娘が夜泣きしてくれて、ハッと我にかえったのでした)
これが、あと3日続いていたら、旦那さまに意見されていただろうなアブナイトコロダッタ

村上春樹の小説が、やめられないのは、この麻薬みたいな(やったことないけど)感覚。
終わった後の、この無力感。宙に浮いた感じ。
昔は、読み終わった後が辛くてたまらなかったけれど、最近、実は、それが快感なのだということに気づきました。
今なら、たぶん、月が二つ見える気がするな。


『ながいながい旅』エストニアからのがれた少女

2009-06-13 00:35:58 | わたしの読書


『ながいながい旅』エストニアからのがれた少女
絵・イロン・ヴィークランド 文・ローセ・ラーゲルクランツ 訳・石井桃子

アストリッド・リンドグレーンの写真集と共に借りてきた絵本。
アストリッドの作品の多くにに、イロン・ヴィークランドという画家が挿絵を描いています。
ああ、あのロッタちゃんの頑固で愛らしい顔!
彼女がどうして、絵を書くようになったのか・・・
その訳が、その生い立ちが、この絵本に綴られています。

切なくて、悲しい、少女の物語。
この地球から戦争がなくなる日が、いつか、きっと訪れると信じたいと
願わずにはいられませんでした。
どうかどうか、小さな女の子が(男の子が)、こんな悲しみを背負わず、
平穏に、楽しく、遊んで!暮せますように。

写真集で、イロンとその犬の写真を見つけたときは、感激しました。
写真集とともに手にすることが出来て、とても幸せです。


『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』

2009-06-13 00:27:44 | わたしの読書


『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』
ヤコブ・フォシェッル 監修
石井登志子 訳
岩波書店

見ごたえのある写真集でした。このボリューム!すごいです。
エーミール、ピッピ、カッレ。私と息子
が読んだアストリッド・リンドグレーンは、
そんなに多くはないけれど、それでも息子は、好きな作家は?と尋ねられれば、
必ず、「リンドグレーン!」と答えます。(たぶん、今も)

私たち親子にとって、大切な宝物・アストリッド・リンドグレーンの作品たち。
ああ、あの作品は、この人でなくては、生み出すことが出来なかったのだなと
大きく納得できる写真集でした。
両親の恋愛から始まって、彼女の生涯を丁寧に綴る写真集。
結婚したいとも思わない男性の子どもを身ごもったことや、優秀なキャリアウーマン
だったこと、政治や子どもの人権活動にも力を注いでいたことなど、知らないことが
たくさんあって、アストリッド・リンドグレーンという一人の女性に、すっかり魅了され
てしまいました。

一番心に残ったのは、遊びの章。
冬。息子さんとダンボールで、そり遊びをしていて、なんと、お尻に穴をあけてしまい
帰り道、息子さんは、お母さんの後ろにピッタリくっついて帰らねばならなかった
というエピソードには、思わず、声をあげて笑ってしまいました。
遊んで、遊んで、遊んで!遊ぶことが大好きだったアストリッド・リンドグレーン。
作品の中に登場する遊びも、ほとんどが、彼女が、子どもの頃に実際に遊んでいた
ことそのものなのだそうです。
現実の聖像争奪戦。なんて、楽しそうなんでしょう!!

「今までの人生はずっと、かなり面白かったと思うの。でも、一番面白かったのは、
子どもの頃。それは否定できません。」
そしてこの子ども時代を、横路媚やインスピレーションの泉としてアストリッドは
いつもそばに携えていた。この国のほとんどの読者は、ピッピの“生命の丸薬”
になんの疑いも持たない。
高齢になったアストリッドは、満足そうに打ち明けたそうである。
「何度も危ない目にあったわ。」

彼女の作品すべてに流れているメッセージ。それは、たった一つなのかもしれない。
子どもたちよ、たくさん遊びなさい!
豊かな子ども時代が、豊かな心を育み、それは、豊かな智恵と想像を生み出す。
そして、様々な困難に立ち向かう盾となり、槍となる。
私たち大人にできることは、そんな子どもたちを、ただ、見守ってあげることだけ。
いつでも、どんなときでも、安心して帰ることができる場所であること。
ただただ、胸に深く刻みました。

自分では、とても手が出ない高価な写真集。
貸して下さった図書館に感謝。
でも、この内容でこの値段は、かなりのお値打ちだと思うのでした。


『サーカス象に水を』

2009-06-03 12:16:05 | わたしの読書

『サーカス象に水を』 サラ・グルーエン 川副智子・訳

93歳のジェイコブが暮している老人施設の近くに、サーカスがやってくるところ
から、物語は始まります。
若い頃の思い出と、老人施設での生活が、交互に描かれ、進んでいく物語。
切なくて、恐くて・・・・・恐くて、恐くて。
こういう小説、久しぶりに読んだような気がします。

若きジェイコブが、
「両親を亡くしたことで、自暴自棄になって、大学(獣医学科)の最終試験を白紙で提
出、さまよい歩いたあげく、サーカス電車に転がりこむ」
という、最初の最初の展開から、これから、悪いことが起こるのだという不安が、
容赦なく襲いかかってきます。
何と言っても、転がり込んだ先が、サーカス。。。ですから

サーカスの描写が、また、凄いのです。
おかげで、読書をやめて布団にもぐっては、サーカスの怪しい光景が頭に浮かび、
寝付けない夜を、何日も過ごしました。
それはまるで、悪いお酒でも飲んだような感覚。
何か、悪いものを見てしまった、そんな胸がムカムカするような感覚。

老人施設での生活も、また、しかり。
どうにも出来ない腹立たしさ、無力感。これに、叩きのめされるようでした。

正直に言えば、こういうタイプの小説は、嫌いです。
子どもの本でも、大人の本でも、明快なハッピーエンドが好き。できたら、その過程
も、明るく、なんの不安も抱かずに進めるほうが好き。
でも、この本は、読まずにはいられませんでした。
恐いけれど、やめられない。先を知らずには、いられませんでした。

まさに、波乱万丈なジェイコブの人生。
あとがきで、訳者の方が書いておられたのだけれど、この若き日のジェイコブの物語
を「動」とすれば、老人施設での晩年のジェイコブの日々は、「静」。
この「動」と「静」の繰り返しが、物語を、いっそう魅力的に仕上げています。
そして、最後の最後。ラストが、素晴らしいのです。

「静」が、一気に「動」へと変わる瞬間。
あまりにも一瞬の出来ごとだったので、ピエロに化かされたかのような、そんな錯覚
を覚えました。素晴らしい!
頭の中を支配していた、怪しい、よどんだ空気が、一気に晴れた瞬間。
ああ、なんと面白い小説だったのかしら。
何と言っても、途中、楽天ブックスに予約していた「村上春樹」の新刊が届いたにも
関わらず、開けずに我慢できたのだから、これは、すごいことなのです。

ただ一つだけ、不満をあげるとすれば、ジェイコブと友情を育むピエロのウォルターが
死んでしまったこと。
これだけが、不満。大いに、不満!
だって、とても好きだったんだもの。本当に、本当に、悲しかったです

さあ、図書館から借りてきていた本は、すべて延長手続きをし、準備万端。
今日から、例の新刊を読み始めるとしましょうか。
村上春樹さま。この日を、何年も待っていました。


『ぼくとくらしたフクロウたち』

2009-05-25 14:20:08 | わたしの読書

『ぼくとくらしたフクロウたち』ファーレイ・モワット(著), R.フランケンバーグ(イラスト), 稲垣 明子(訳)

こういう本、大好き♪
自分の感性とピタリとはまる本に出会えた喜びに、ニヤニヤしながらの読書タイムでした。
楽しくて、楽しくて、あっという間。
ああ、息子に、小学生のときに読んであげたかったな。

自然の中で、のびのびとした少年時代を過ごすビリー。
フクロウをペットにしたいと思っていたビリーは、嵐で迷子になったフクロウのひなを保護します。
そして始まるビリーとフクロウ(クフロ)との生活。
自分も人間だと思っているクフロは、飛ぶよりも歩き、生の肉よりも料理した肉や果物、野菜が好き。
でも、負けん気は強く、犬や猫、カラスなど、自分を脅かしたり、馬鹿にするものには、容赦しません。
一方、後に仲間に入るフクロウのメソは、飛ぶこともできず、恐がりで、いつでもメソメソしています。
この対照的な二羽のフクロウの性格が、さらに、物語を楽しくしてくれるのです。

物語の中には、ビリーたちが、カラスの巣をメチャクチャにしてしまったり、クフロが、
猫やスカンクを殺してしまったり、子どもたちが、メソを虐待するシーンも出てきます。
(これをビリーが助けて、メソが家族の一員となるのです)
外遊びは、野球やサッカーなどのスポーツが中心で、ゲーム機が一番の遊び!の
子どもたちには、かなり、衝撃的なシーンかもしれません。
けれど、自然と共に遊ぶというのは、こういうことなんだなと、思うのです。
物語の生き生きとしていること。
最後の一行まで、キラキラと輝いている物語でした。