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早起き鳥 

【未明混沌】今日も必ずお元気で…!

rakuten

今日は元気がないね...!

2016年11月10日 04時27分09秒 | 読書







 周りの人たちへの理解が深まるにつれ、

その人たちの人間的価値が見え、

敬虔な気持ちを抱くようになる。

他者を理解し、その人の魂に触れることは、

神聖な場所に足を踏み入れるのと同じである。


今すぐにでも実行に移すことができる。

今度誰かと話をするとき、

自分の自叙伝を持ち出すのはやめて、

その人を本気で理解する努力をして見る。


その人が心を開いて悩みを打ち明けなくとも、

その人の身になり、共感することはできる。

その人の気持ちを察し、心の痛みを感じとって、


「今日は元気がないね」

と言ってあげる。

その人は何も言わないかもしれない。

それでもいい。

あなたの方から、その人を理解しようとし、

その人を思いやる気持ちを表したのだから。


  「七つの習慣」

          スティーブン・コビナー 著
     









 今、僕は子供達に

水泳を教えるインストラクター

定年後の新しいチャレンジと

頑張って子供達とのスキンシップを

楽しませてもらっている


ある女の子が

「先生、今日は元気がないね!」

と言って近寄ってきた


驚きと嬉しさ...!というか感動の瞬間

子供達は僕を先生として、一人の大人として

しっかりと観察していることを実感

もう孫とお爺ちゃんくらいの年の差なのだが

水泳の先生としっかり位置付けて

見ているんだなと痛感


でも自分ときたら、

悪ガキにばかり目をやり、

叱り声で感情をもろに出している

なんと浅はかな...!

子供達の行動についぞ反応的に言動している

自分が稚拙すぎて恥ずかしい

そんな感情のコントロールに戸惑っている時に

ある女の子の一言

「先生、今日は元気がないね!」

この言葉は最高のプレゼント


見てくれている喜び、それも大人じゃなく子供達

以前、こんなことも言われたことがある

「先生は何歳...!」

こんな僕のことを気にしているんだなと思うと

胸がキュンとなる


一番純粋な心の子供達と本気で接することの難しさ

叱ると、

「いうことを聞かない」という言動が返ってくる


でも「今日は元気がいいな、

力が有り余っているようだね、

でも他の人に迷惑をかけちゃダメだよ!」

叱らずに子供達の懐に入っていけたら

良いなって思っている


     早起き鳥




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エトス・パトス・ロゴス...?

2016年11月09日 04時33分12秒 | 読書







 古代ギリシャには

素晴らしい哲学があった。

それは、エトス、パトス、ロゴスという

三つの言葉のまとまりで表される哲学である。

この三つの言葉には、まず理解に徹し、

それから自分を理解してもらうこと、

効果的に自分を表現することの

本質が含まれていると私は思う。


エトスは個人の信頼性を意味する。

他者があなたという個人の

誠実さと能力をどれだけ信頼しているか

つまりあなたが与えられる信頼であり、

信頼残高である。


パトスは感情、気持ちのことである。

相手の身になって

コミュニケーションをとることだ。


ロゴスは論理を意味し、

自分のことを筋道立てて表現し、

相手にプレゼンテーションすることである。


エトス、パトス、ロゴス。

この順番に注意して欲しい、

まず人格があり、次に人間関係がり、

それから自分の言いたいことを表現する。


  「七つの習慣」

          スティーブン・コビナー 著
     









 人格があり、次に人間関係、

それから自分の言いたいことを表現する

エトス・パトス・ロゴス、

なんと素晴らしい哲学だろう

心に清々しい光が

差し込んでくるような気がする

そしてその順番を間違ってはならないとのこと、


でも自分を顧みれば、

全く逆の順番であるような気がする

いやエトス・パトスは全く見向きもせず

自分だけの論理がいかに正しいかを

相手に押し付けている

だけだったかもしれない

相手が納得しようがしまいが、

論理で打ち負かしてしまえばそれが勝利、

勝ち誇っとように相手に

威圧感を与えることが人間関係だと錯覚


最悪の場合、相手からひんしゅくを買い、

場合によっては恨みさえ買ってしまう

これでは人格、良い人間関係など

あり得ないことがよくわかる。


何事もまずは自分の人格形成があって

その上での人間関係であらねばならない

このことを肝に命じておきたい

人格のある人は決して感情的にならない、

喧嘩を売られて、その喧嘩を買えば

その時点で負けなのである


どんな誹謗中傷、嫌がらせだろうと

平気な顔をして自分のあるべき姿を貫き

自分のできることをひたすら行動する姿勢

それこそが相手に勝る必殺技なのかもしれない


     早起き鳥




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弱いところをさらけ出したまま...!

2016年11月08日 04時12分22秒 | 読書







 「私はこの本を読んで、

共感して聴くことを知った。

そしてあなたとの関係について考えてみて、

今までのあなたの話を本当の意味では

聴いていなかったことに気づいた。

でも、これからは

あなたの身になって話を聴きたい。

簡単にできることではないだろう。

うまくできない時もあるかもしれない。

でも頑張ってみようと思う。

私はあなたのことを大切に思っている。

だからあなたを理解したい。

あなたも協力して欲しい」


こうしてあなたの動機を相手に宣言するのは、

大きな預け入れになる。

しかし、あなたに誠意がなかったら、

相手を傷つけるだけである。

その人は弱い部分を

さらけ出しまま放り出され、

傷はいっそう深くなる


氷山に一角であるテクニックは、

その下にある人格という巨大な土台から

生まれたものでなければならないのだ。


  「七つの習慣」

          スティーブン・コビナー 著
     









 人と人との人間関係は

本当に難しいし厄介なこと

できることなら

誰とも関わりたくないとさえ思う


働きバチやアリさんたちは懸命に

自分のやるべき仕事をこなしているだけで

そこに心の触れ合いとか

コミュニケーションなんてものは

存在しないだろうけど

人は生きとし生けるもの中で唯一心を持つ生き物

だから凄いし、そして大変でもある



そこでリーダーたるものは

全てのことにおいて秀でた能力があり

それでいて素晴らしい人格という

基盤に支えられている人でなければならない

案外そうでないリーダーのいる組織には

本当のリーダーが存在して、

組織は曲がりなりにも維持発展している

その本当のリーダーとは一兵卒の中にこそ存在する

肩書きのある人はその肩書きを守ろうとすることで

リーダーたりえない立場に立つ



たくさんいる一兵卒の中で秀でた人格とは

自分が中心ではなく、

相手がそして組織を思う心であるのだろう


自分あっての他人ということが

そもそも間違っているのかもしれない

相手あっての自分なのだと

胸を張って言えるだろうか・・・?


氷山の一角である対処方法が

本来の人格に基づくものではなく

その人のエゴだったすれば

もう人間関係はもろくも崩れてしまうのだろう


     早起き鳥




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なんだかイライラしているようだね...!

2016年11月07日 04時17分50秒 | 読書







 相手と同じ視点に立って、

相手が見ているのと同じ世界が見られるようになるには

人格を磨き、本当に理解したいという

純粋な気持ちになり、相手との高い信頼残高、

共感による傾聴のスキルを育てることが必要である。

共感による傾聴の全体を氷山に例えるなら、

スキルは海面に突き出た一角、

いわば表に出る部分である。

このスキルには四つの段階がある。


一番効果の低い第一段階は、

相手の言葉をそのまま繰り返すことである。

「父さん、学校なんてもういやだよ」

「学校がいやなんだね」



共感して聴くスキルの第二段階は

相手の言葉を自分の言葉に置き換えることである。

「父さん、学校なんてもういやだよ」

「そうか、学校に行きたくないんだ」



第三段階に入ると右脳を使い始める。

相手の気持ちを言葉にするのである。

「父さん、学校なんてもういやだよ、くだらないよ」

「なんだかイライラしているようだね」



最後の第四段階は

二番目と三番目を組み合わせたものになる。

相手の言葉を自分の言葉に置き換えると同時に

相手の気持ちも言葉にするのである。

「父さん学校なんてもういやだよ、くだらないよ」

「学校に行きたくないなくて、

なんだかイライラしているようだね」


  「七つの習慣」

          スティーブン・コビナー 著
     









 「学校なんてもういやだよ」

と子どもが言ったすれば僕ならなんて答えるだろう

「どうしたの何かあったのか?

そんなことではダメじゃないか」

とまあ、こんな答えになるだろう


それがおうむ返しで

「学校、いやなんだね」

なんて答え方、その表現が

人格的スキルの第一段階だとは

この第一段階に行くための

ブレイクスルーが僕には必要である

立つ位置を自分から

子供のところへ移す必要がありそうだ

そしてそのブレイクスルーが本当に難しい


「学校に行きたくない」という子供がいたら

「バカじゃないの、そんなことではダメではないか」

と自分サイドの理屈を押し付けてしまう

その思考から一歩も前に出られないでいる

ここを改めて、

相手のところまで立つ位置を移動させるには

相当な訓練が必要だと思う


その訓練のためにもまずはおうむ返しから始めよう

そして自分の気持ちを言葉にして

そしてさらに相手の気持ちも言葉にする


「なんだかイライラしているようだね」

と親から答えてもらえるだけで

「お父さんに話してよかった、

明日から学校に行くよ!」

というふうになってしまうかもしれない


人は子供だろうが大人だろうが

ともかく、自分の話を誰かに聞いて欲しい

ただただ、それだけなのかもしれない


     早起き鳥




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親には絶対に心を開くまい...!

2016年11月06日 04時17分42秒 | 読書







 多くの親が子どもとの距離を感じ、

子供が考えていることを理解できずにいるのは

子どもをコントロールし、

自分の経験、自叙伝を押し付け、

子どもの心の中に入り込んでいく

たとえ言葉のうえで論理的であったとしても

相手の気持ちや感情に届かないこともある


「最近、調子はどうだ?」

「いいよ」

「最近、何か変わったことは?」

「何も」

「学校で面白いことは?」

「別に」

「週末はどうするんだい?」

「さあ」


友達とは長電話はするのに、

親の質問には一言で片付けてしまう。

子どもにとって家は

寝泊まりするだけのホテルと変わりない。

決して心を開かず

悩みを打ち明けることはないのだ。


しかし、よく考えてみれば、

正直なところ、それも当然といえば当然なのである。

子供は傷つきやすい柔らかいな内面を見せるたびに

親から一方的に自叙伝を聞かされ、


「だから言っただろう?」

などと頭ごなしの言葉で踏みにじられてきたのだ。

親には絶対に心を開くまいと思うのも無理はない。


  「七つの習慣」

          スティーブン・コビナー 著
     









 ここでは親と子どもの

コミュケーションエピソードであるが

大人どうしの関係においても

全く同じことが言えると思う


とはいえ、親と子どもという

最小で最高の社会において

こんな関係は全く持って不幸極まりない

親といえば小さい子どもにとっては絶対的な存在、

叩かれてなじられて、どんな仕打ちを受けようと

自分が知り得る最高の人


叱られれば自分はなんとダメな人間なのだろう

と自分を責め、苦しむのである

たった一言、親から

「おまえ、よくやったね、よく頑張ったね!」

とそう言って欲しいだけなのに、

つゆぞ耳にしない言葉である


「お父さんはねお前くらいの歳の頃は

こんな立派だっただよ、

だからお前もこんな風にしないとダメだ」


などと父は子どもの言葉を

最初の一言二言聞いただけで

その話の腰を折り

自叙伝を押し付けてくるのである


そしてさらに親ができなかった目標を

子どもに押し付けてくるのだから

たまったものではない

何かに自分の気持ちをぶつけるしか手立てがない

そしてイジメ、弱い人への暴力・・・・

陰湿な行動へと発展していくのかもしれない


親と子どもというこの最小でありながら

最も大切な人間関係を

親たる年長者がしっかりと人格を身につけて

そして子どもと接しなければならない

という大人の責任を思い知った


     早起き鳥




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